prologue-2 「彼は実のところ、知っている」
あぁ、と欠伸をした。
こんな何も無い一日は、何もしないに限る。
やらない時はやらない。
なんならやる時もやらない。
これは自分の中ではとても大切にしているモットーでもある。
そのくだらなさすぎるモットーを再度頭の中で復唱する。
机の上にあるパソコンのディスプレイは、とある高校生の最近のテスト成績の推移が折れ線グラフで示されていた。
その折れ線グラフは、残念な事に右肩下がりとなっている。
「そのやる気のない顔、見るだけでこっちもやる気が無くなるんですけど…」
パソコンのディスプレイの上からひょこっと顔が出てきた。
その顔を見ずとも、ジト目でこちらの様子を窺っている彼女が何となくわかった。
微かに紅茶の香りがした。
紅茶でも飲んでいたのだろうか。
「三枝、今日俺に対する一言目がそれかよ…。まあ慣れたけどね」
視線をディスプレイから後ろの柱にあるアナログ時計に移した。
針は11時半を示していた。
やれやれ、と言い放ち両掌を肩に上げまるでアメリカンジョークの素振りをしながら席を外す。
「どこか行くのか?」
「一服ですよ。あ、煙草ないから先輩1本貰っても良いですか?」
俺の煙草で良いのか?と聞いてみると、先輩の煙草が1番好きなんですと、おもむろに言った。
そんな事1回も言われたことねーな…。
先輩の「煙草」が、だよな。
てかそれだったら同じの買えよ…。なんで違う煙草買ってるんだよ…。
こっちも三枝がさっきしていたアメリカンジョークの素振りをしながら、やれやれと言うと彼女は「真似しないでくださいってば!」と強めに背中を叩かれた。
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ふーっ
煙草を吸うと、リラックス出来るらしい。
これはニコチンを摂取しているから、ストレスを発散しているからなど様々な理論、原因があると言う話はよくある。
しかし、それ以外にため息のような効果もあるのだとか。
その煙草の煙を溜息として吐き出すと、ようやく煙草に火がついた三枝が隣に来た。
「…行き詰まってるみたいですね」
自分たちの会社には、喫煙所というものが存在しない。周りには自分が務める五階建ての会社のビルより遥かに高いビルが立ち並び、自分たちの会社は四方八方を高層ビルに囲まれている。
屋上で喫煙する事も可能ではあるが、ビルに空間を圧迫されるような景観では煙草は吸えたもんじゃない。
ということでしばらく前、会社に来た時から近くのコンビニの喫煙所で煙草を吸う習慣がついている。
立ち並ぶビル群に目を奪われつつ、横に居る三枝に言われた。
「行き詰まってる…な。」
我ながら情けない返事だと思った。
でも現状はそうなってるからそう答えるしかない。
「でも私、最近8件の申し込みあったんですよ!やっぱり三枝先生の活躍に期待出来るからって。いやー、私って人気急上昇なんですかねー?」
三枝はとても嬉しそうに言った。
三枝は煙草の火を消し続けようとした。
「…先輩」
彼女が何を言おうとしてるのかは考えずともわかった。だから、こう言おう。
「心配すんな」
と。
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会社が終わり、ビルの玄関を抜け近くの駐輪場に止めてあるバイクの元へ向かう。
今日外は一日中暑かったらしいが、屋内で仕事する自分達にとっては関係ない。うん、屋内最高。
バイクに跨り、駐輪場を抜けて5分ほどでふと思った。
カフェにでも寄るか…
仕事終わりにカフェなんて行かない。自分の場合。
でも何故カフェに立ち寄ろうと思ったかと言うと…
明日の朝までにやらなければいけない仕事がなんとまあ絶妙なタイミングで思い出したからである。
己の記憶力の引き出すタイミングを恨んだ一瞬であった。
若干不機嫌になりつつ、家と仕事場の中間地点にあるカフェにたどり着いた。
「ちくしょう…」
こんな事を呟きながら頼んだブラックコーヒーを飲むのは人生において一度たりとも無い。なんなら今日が最後である。
正直に言うと、自分の目は腐っている。
過去に数多の女子生徒から「目、濁ってるよね…」と悲しげに言われた事を思い出してしまう。いかん、それで自分自身が悲しくなってきた…
そんな腐った目をしつつ、残った仕事を片付ける為に持ち帰ってきたパソコンをテーブルの上に乗せた。
電源を入れ、数多く並ぶファイルの中から一番右端の下のファイルを開いた。
「綺月 悠太 君」
そう書かれたファイルを開くと、今日の午前中に見つめていた折れ線グラフが出てきた。
出てくるや否や、溜息を吐く。
どう頑張っても右肩下がり。
しかし、問題はここからどう上に上げていくか。
そんな事はわかっている。
右肩下がりの折れ線グラフの少し下に、並行に示された赤色の線が引かれている。
左端から見ていくと、右肩下がりの折れ線グラフは赤色の線よりはまだ上の方にあった。
しかしながら、視線を右に持っていくと当然の事ながら赤色の線に次第に近づいてきているのがわかる。
再度認識した。
これは自分の責任であるという事を。
煙草を吸っている訳でもないのに、煙を吐き出すかのような溜息をまた一つついた。
「さあ、仕事を終わらせよう」
どこぞやのキャラクターが喋るような台詞を吐き、仕事に集中する。
仕事というのは、この折れ線グラフをどうすれば右肩上がりになるか案を捻り出すというもの。
その案が、今週に入ってから一向に浮かばない。
他の人に聞いてみるか、とおもむろにポケットからスマホを取り出し、LINEを開いてみた。
友達は6人しかいない。
「…はは」
今日何度吐いたかわからない溜息を吐いた。
わかっている。俺は昔から友達と呼べる人などいないという事を。
選択肢が一つ削られた。
LINEの友達の中には後輩の三枝がいたが、今日は地元の同級生と飲む約束があると言っていたか。
「やっぱり、三枝は凄いよな…」
仕事は少なからず自分より出来るし、何よりも可愛い。アシメントリーな髪型で、目つきは鋭く初めてあった時は内心怖くてビビっていた。
でも一緒に仕事をしていくと、嫌でも彼女の内面や仕事柄は自分の抱いていたイメージとは違っていた事を認識させられる。
まず可愛い。
他の何人かの社員から、積極的にアプローチされたというのは三枝と煙草を吸っている時に彼女自身から聞かされた。
自分はあまりそういう手の話は昔からする事は無かったし、三枝に言われてどう反応すればいいのかまずわからなかった。
戸惑っていたら、
「先輩、なんでそんなにおどおどしてるんですか?」
と、自分より10センチ背の低い彼女が下からのぞき込んできた。
「元からだ、こういうのは」
としか言い返せず、足早に喫煙所を去った。
…そんな事あったなあ。
スマホの画面の友達リストの面々を見つつ何故か過去の事を思い出してしまっていた。
そんな事を考えていたら、時間が気になった。
スマホの時計を見ると、6/15 木 21:15と示されているのを認識すると共に、パソコンに映し出されているひねり出した数個の案をもう一度見直す。
カフェに入って1時間半が経とうとしている。
人生は妥協が必要である。
そう思いながら、カフェを後にした。
「…すいませーん、名刺落としましたよ」
カフェの出口に差し掛かったと同時に、自分の数メートル後ろから男性、と言うよりはおじいさんの声が耳に入った。
「…ああ、すみません。ありがとうございます。」
名刺を拾ってくれたおじいさんは70代の、ハンチング帽を被り老眼鏡を掛けていた人であった。
70代というと、杖を突きながら歩くイメージが勝手にあったのだが、彼は手にしているのは拾ってくれた名刺1枚だけであり、腰も特段曲がっている訳でもなくてとても元気な感じが見受けられた。
「いえいえ気にしないでください、家庭教師さん」
おじいさんは微笑みながら、元いた席に戻りテーブルの上にあった本を読み始めた。
?
何故家庭教師だとしっているんだ?
と一瞬疑問に思ったが渡された名刺を見て自分は仕事のし過ぎでは無いかと思い、早く帰って寝ようと思うのであった。
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