第2話:依頼人と彼女
さて、お仕事です。
午前十時。
街の小さなカフェが電話で指示された待ち合わせ場所でした。
街外れの小さなカフェ。
人通りの決して少なくない道路に面したそのカフェは、廃材を寄せ集めて造ったかのような不格好な外見。木材、鉄材、ガラスにプラスチック。様々な形の色々な材料を使った歪なソレは、まるで子供が好奇心のままに作った工作のような雰囲気があります。
オマケ程度のテラスもほんの少しだけ段差と手すりを付けただけで、乱雑にテーブルと椅子が置かれています。
曲がった煙突から昇る煙は一年中空を覆い隠す厚い雲と同じ色をしています。
平日のせいか時間のせいか、はたまた店の問題か。
入店している客の姿はまばらで、お世辞にも繁盛しているとは言えません。
こんにちは、と一人の男性。
ナズナさんですか、と続けます。
はい、そうです。
私はナズナと申します。
それは良かったと男性はにっこりと笑みを浮かべ、二人掛けのテーブル、つまり私が座っている向かい側へと腰を下ろしました。
コーヒー二つとサンドイッチも二つ。
男性が近づいて来た店員さんに注文をします。
無愛想な店員さんは注文を繰り返すこともなく厨房へと消えて行きましたが、当然の様に私の分のコーヒーとサンドイッチを頼んだ男性に内心首を傾げました。
普通訊きませんか。
何か頼みますか、と訊くのが普通ではないのでしょうか。
コーヒーが苦手な相手だったらどうするんです。
百歩譲ってコーヒーはアリにしても、サンドイッチはどうなのでしょう。
午前十時です。
朝ご飯には遅く、昼ご飯には早い中途半端な時間帯にサンドイッチですか。
ケーキとかではなく。
とは言え、私はコーヒーが苦手ではないですし、お腹がいっぱいというわけでもないので正直文句はありません。
お会計に関しては彼が支払ってくれると後付けで言われましたし、有難くいただきますけれど。
当たり前ですがコレで金銭を要求されようものなら暴力を行使する所存ではありましたが、その必要はなさそうです。
窓に面した壁際の席。
店の一番奥にあたる一画に私達は座っています。
目の前で肘を付いている男性はジャック・カールスさん。
今回の依頼主です。
きっちりと着こなされた茶色のスーツ。光沢の目立つスーツケースの置かれた足元には磨き上げられた革靴が滑らかに光っています。細身のスーツのせいか実際よりもボリュームがあるように思えてしまう癖の強い髪の毛は控えめな綿あめという表現がしっくりきます。髪型に負けないくらいに存在感のあるまん丸の眼鏡もまた、輪郭からはみ出す程大きく、太めのフレームは半透明のオレンジ色でかなりのインパクトを与える逸品。
頭と体が別物なのではないかと感じてしまう程、印象には差異がありました。
その表情には相変わらず柔和な笑みが浮かんでおり、支払いを率先して申し出る所を見るに人としての器は中々広そうです。
こんな綺麗な人が相手だなんて嬉しいな、なんて恥ずかしげも無く言ってのけるのは、そんな心の余裕から成せる技なのかもしれません。
とはいえ、私も自分の容姿には多少なりとも自信はあります。
平均よりも小さな顔に血色が悪いと思われがちな白い肌。それが一層唇の赤を強調させていますし、鴉の羽のような艶やかな黒髪もまた同様にその色をより濃く見せています。スタイルも悪い方ではなく、ボン、キュッ、ボンとはではいきませんが一目で女性だとわかる程度には凹凸はしっかりと存在します。
身長だって女性にしては高いですし、よく言われる例えとしてはまるで人形の様でしょうか。
私はそんなこと一度も思ったことはありませんけどね。
さて、さっさと用件に移りましょう。
お仕事です。
そう、私はお仕事のためにここに居るのです。
目の前の彼の依頼を遂行する。
それが私のお仕事です。
何でも屋と言える程何でもやっているわけではありませんが、つまるところそういうことです。
依頼人の願いを叶える仕事。
もちろん、それ相応の代金はいただいていますけれど、きちんとソレに見合って成果は出しますよ。
なんせ、私は一度として依頼を達成できなかったことはないのですから。
ジャック・カールスさんのお願い。
今日のお仕事。
それは現在片思い中の女性と一緒に暮らしたいというものでした。
彼女は素晴らしい。
世界で一番素晴らしいんです。
僕の仕事はセールスマンです。
よくあるインチキ健康食品のセールスマンですよ。
自分が働いている会社のことをこんな風に言う社員はあんまり居ないでしょうけど、僕はその少数派の人間の一人です。
事実なんですからしょうがない。
利きもしない物をお客様に売り付けるのは良心が痛みますが、そうでもしないと自分が食べていけませんからね。
お恥ずかしい話、今の会社に就職するまで何十社も落ちてるんですよね、僕。
書類で落とされ、面接で落とされ、もう散々でしたよ。
そんな時にようやっと内定をくれたのが今の職場だったんです。
正直生活が切迫していたので助かりましたよ。
脛を齧らせてくれる両親も居ませんし。
ああ、すみません。
関係ない話しでしたね。
なんでしたっけ。
そうそう、彼女の話しですね。
彼女、とっても優しいんです。
笑顔が素敵で。
声も可愛らしいんです。
ようやく定職には就けましたけど、言った通りの仕事でした。
インチキ商品を高値で売り付ける。
知っていますか?
粉末の栄養ドリンク。
水に溶かして飲むんですけどね。
使っている材料を知ったら吐きだしますよ、本当。
健康食品なんて今の時代流行りもしないですよ。
おまけにインチキ商品ときたもんだ。
でも、営業成績が落ちれば減給ですし、とんでもないブラック企業ですよ。
ブラックでない企業なんて存在するのか知らないですけど、ブラックなことには変わりない。
だからと言って辞める勇気も無く。
あの就活地獄をもう一度味わうのはごめんです。
本当に辛かったんです。
何をやってもうまくいかずに、一時期は自殺まで考えたことがあるくらいですよ、これでもね。
そんな時です、彼女と出会ったのは。
僕達が初めて会ったのは彼女の働く店でした。
髪の毛も高いヒールもバッグも服も、全部が全部赤いんです。
厭らしい赤ではありません。
彼女の美しさを際立たせる上品な赤です。
でもですね、全身華やかな彼女ですがアクセサリーの類は一切身に付けていないんですよ。
一つもね。
彼女に近づいたのはそんな疑問からでしたが、今思えばすでに惹かれていたんだと思います。
彼女は僕の話しを真剣に聴いてくれました。
慰めてくれたんです。
可哀想、頑張って、って。
瞬間、決めたんです。
彼女に似合うアクセサリーをプレゼントしようと。
赤い首飾りなんてどうでしょう
凄く似合うと思うんです。
そんな一心で定職を掴みとりました。
誰にでも言えるような言葉だけで頑張れるなんておかしいと思われるかもしれません。
でも、今までの人生の中で怒鳴って罵る人は居ても、励ましの言葉を掛けてくれる人は初めてだったんです。
優しく手を握ってもらうのがこんなにも温かいことだと教えてくれたのも彼女なんです。
この人しかいないと思いました。
運命の人だと。
ナズナさん、お願いします。
僕は彼女と一生一緒に居たい。
僕と彼女が一緒に暮らせるようにしてください。
というのが、私が録音していたテープのほんの一部の内容です。
始めこそメモを取ろうと努力していましたが、途中で諦め録音に頼りました。
何時まで惚気話は続くのかと思いつつ、ぬるま湯のようなコーヒーを啜るもカールスさんの口は止まらず、注文した本人がまだ食べていないのに手を出すのもと躊躇していたサンドイッチも口に運びます。
クーペの真ん中に入れた切れ目に千切りの野菜と一本まんまのソーセージを挟めたサンドイッチ。
パンはスポンジでも齧っているかのような感触で噛み切るのは至難の業ですし、野菜はシュレッターにかけた紙の様にしなしな。ソーセージに至っては最早ゴムの領域の弾力。
顎が丈夫で良かったと思ったのは初めてです。
ただでさえ食べるのに時間の掛かる食べ物を、さらにゆっくりゆっくり咀嚼して時間を稼ぐも彼の彼女語りは終わる気配を見せることなく咲き乱れ、本題の話しに辿りつくまでに一時間以上を要しました。
恋は盲目とはこのことを言うのでしょう。
当たり前ですが既に十一時を回っています。
お昼時と言って良い時間帯ではありますが相変わらず店内は空席の方が目立ち、テラスには私が入店する前から居た男女の区別もつかない老人が虚空を見つめたままピクリとも動かず座っているだけ。
知ったことではありませんが、こんなことで経営は大丈夫なのでしょうか。
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