第1章「剣闘士アスラム」scene3 百の愚者

………まどろみの時間は、唐突に破られた。



突然、薄暗い玄室の奥の方から、木製の扉の開く音が響いてきた。


錆び付いた金具が、軋み声をあげている。


扉は、こちらから見て三ヶ所存在し、その全てが開け放たれていた。





そして、扉の向こう側…さらに深い暗闇の中から、赤く輝く瞳らしきものが認められた。



一組、また、一組………


魔物の物らしき、赤い双眸は、次第に数を増やしていき、光を反射して一斉に煌めいた。




…最初の一匹が、闇から抜け出してくる…。




山羊のような頭に禍々しい角を生やし、血に濡れた、鎌を手にした、その化け物は、

まるで蟻の大群のようにワラワラと扉から湧き出でて………



…気付けば、



100はあろうかという魔物の双眸に、周囲を全て囲まれていたのだった……。




アスラムは、完全に囲まれぬよう、後ろに下がって、壁に背を預けた。



バフォメット。


人間が奴等に付けた名だ。


幽世に限りなく近い、闇の世界に生きる種族……

いわゆる、「悪魔」である。


バフォメットはその中でも、かなり低い地位にあるらしい。

自分達のテリトリーである、「魔界」ならば、その実力を十二分に発揮できるのだろうが……

こちらの世界に実体化する際に、かなり削ぎ落とされてしまうのか…

先程斬り倒していたオークに比べれば、恐れる存在ではない。



はずなのだが。




…さすがに、この数が、一同に襲ってくれば……


しかも、三方を囲まれてしまっては…………



そんな絶望的な状況の中にありながら、



アスラムの口元は、まるで、


輝く玩具を与えられた、赤子のように…


最上の女を抱く、正にその瞬間のように…



笑っていた。



闇が、


奴らの味方であるはずの、闇が、



アスラムの喜びに反応して、


口…


耳…


目…


または、身体中のありとあらゆる所から、

染み入り、染めていく…



闇に、染めていく。





正に、身体全体が、

闇に染められた瞬間、






『……ガァァァァ�』






獣じみた雄叫びが、

玄室の空気を震わせた。



………それは、

誰の声でもない、



まぎれもなく、




アスラム自身の口から、

発したものだった。



人のそれではなくなったスピードで、

地面を蹴り、跳んだ。




闇が、俺に力をくれている。


尋常ならざる、力を。




この一蹴りで、アスラムは悟っていた。



グラディエーターとして鍛練し抜き、培ってきた、様々な絶技………




そんな、人間の重ねてきた努力など、一瞬で上書きされてしまうほど、湧き出でる邪な力……。



オークを斬りながら、微かに感じ始めていた、あの感覚が、今、現実味を帯びて、彼の体を動かしている。




すり抜け様に、

一文字を3閃……!




3匹の山羊頭が、空中に舞った。



立て続けに、


10閃……………!!!




彼の周囲が、血の海と化した。


仲間の無様な肉塊を目の当たりにして、奴等がたじろぐ。



バフォメットどもは、アスラムの動きに、全く追い付けずにいた。



背を向け逃げ出す者も出てきた。



それを執拗に追い、背後から一刀に伏す。




一瞬、たじろぐ素振りを見せた山羊たちも、

自分達の目的を思いだしたのか、再び、鎌を振り上げ襲い掛かってきた。

その士気に吊られて、

数十匹の仲間が我先にと続く。




一文字に付いた血糊を振り払い、アスラムは、両手を広げて、奴等を向かえた。


口の端を吊り上げ、犬歯を剥き出しにし、


彼は、歓喜の叫びを挙げていた。



………斬!


…………斬!!


………………斬!!!!





怪物の断末魔が、立て続けに、闇の中に響き渡る…。




…さすがに、100を越えた頃には、もう、何匹斬ったのかわからなくなっていた。




奴等は、もう逃げる気は無いらしかった。


化け物も化け物なりに、必死の形相で、彼に襲い掛かる。



刀を振り上げ、迎え撃つ鬼の形相のアスラム。




……彼の背中や腹に、熱いものが発生していた。



が、気に止むこともなく、ひたすらに、バフォメットの鎌を潜り抜け、避け、時には刀で叩き落としながら、奴等の命を終わらせていった………。






『ヌワアァァ……!』





身体に残った余力を絞り出すように、アスラムは一文字をバフォメットの頭に叩き込んだ。



さすがに振り抜く事が出来ずに、刃はバフォメットの脳天を割り、喉元まで裂いた後に止まってしまい、

彼は、死体とともに、もんどりうって、その場に倒れ混んでしまった。



どうやら、今のが、最後の一匹だったらしい。




『はあはあ…』



一文字を杖代わりに、それに全体重を預け、肩で荒々しく息をしながら、アスラムは周囲の沈黙に耳を澄ました。




血臭……。



紅に染まった薄暗い広間……。



自身の呼吸音…心臓の鼓動……。




彼の背中や、腕、腹から、何かがぶら下がっている。



…鎌だ。



怪物たちが彼に振り上げてきた、禍々しい形をした、鎌が、体に突き刺さったままなのだ。



なのに、殆ど痛みを感じていないのは、アドレナリンだけの力では到底、あり得ない。



間違いなく、何かしらの邪な


…否、甘美な、か?…


波動が、アスラムの体に、人外の力を与えてくれているのは確かなようだった。




カラン…カラン…



彼の意志とは無関係に、体中の筋肉が波打ち動き出し、体に突き刺さった異物…鎌を、外に追い出し始めた。



抜け落ちた傷口がすぐさま塞がり、滲んでいた血液が引いていく…。




くふ…



くふふ…




体を満たす強烈な力に、アスラムは、自然と笑いを漏らしていた。



クレリックの魔法…ブレスさえ遠く及ばない、凄まじいまでの回復力…。


その力に酔いしれていた。



ほどなくして、身体の痛みは収まりを見せ、若干の気だるさを残しながらも、普通に動けるようには回復していた。



回復した今となって、

アスラムは、迷宮に潜り込んだ時ほどの冷静さを取り戻していた。



…俺の身体に染み入るように侵食してくる、あの力……



あれに、完全に支配された時、いったい、俺は、どうなってしまうのだろう………。




甘美な果物のように、一口頬張るだけで身体いっぱいに満たされる、あの感覚………。



まるで麻薬である。




委ねすぎるのは、危険ではないのか。



より、強く、

より、強く………



魂が求めれば求めるほど、闇がそれに答えてくれるような…………。




闇に呑まれ始めているのか……?


この俺が………?



自分の身に起こりつつある変化を改めて鑑みて、アスラムは思わず身を強ばらせた。




ふと、我が師の顔が、頭を過った。




引き返せ!……と、

叫んでいるように見えた。



さて、この先をどうするか………。



アスラムは、闇の甘美な誘惑を振り払うように、地上に戻る理由に、頭を巡らせた。




…そろそろ、酒場で一杯やりたくはないか?



…弟子との約束が、あったのではなかったか?





…………だめだ。




振りほどけない…………!







いよいよ、無理にでも引き返そうとした、その矢先………




玄室の一番奥……

巨大な一枚扉のほうから、

今まで感じたことのない、強烈な悪気が、

アスラムの身体に、熱風のように叩き付けられた。





『………!?』



まるで野生の獣のように、その場を飛び退き、距離を取る。




悪気の発生した、扉に目を向けた……。






…扉は、閉まっていた。


……いや、扉は、関係がないようだ。



それよりも、数メートルほど手前か………



何もないはずの空間が、捻れ、歪み、


向こうに見える扉を、ひしゃげさせていた。



一発目に感じた悪気とは、比べものにならないほどの妖気が、そこから吹き出しつつあったのだ。





……それは、唐突に現れた。



中空に朧気に浮かぶ、

深紅の線………。



徐々にその線が鮮明になるにつれ、

それが、巨大な六芒星であることに気付くと

アスラムは、自分の記憶の中にある光景を思い起こした。


あれは、そう、岩のような竜、フェルゼンを討伐した時のこと………。


これと同じ光景を、彼は目にしていたのだ。


あの時は、フェルゼンを倒したと同時に六芒星も消え失せ、何事もなく、その場を立ち去ったのだが………。


今回のこれは、少し、違うようだ。




驚きを隠せぬまま、武器を構えるアスラムの目の前で、いよいよ、事が起こりつつあった……。



……六芒星の中心から、

何もないはずの中空から、



眩い光と、溢れんばかりの障気に包まれながら、



遂に、そいつは、ゆっくりと姿を現したのだった……。







第1章……………fin

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