第1章「剣闘士アスラム」scene2 戦闘開始
…ふと、下から響いていた集団の足音が途切れた。
ランタンの灯りに気付いたようだ…。
すん、すん、と、
こちらの気配を臭いで感じ取ろうとしている。
この辺りからすると、
あまり知能は高くは無いようだ…。
戦いやすい相手だということである。
『……早く来いよ……』
昂り過ぎる感情が、
余計な挑発を、アスラムの口から喋らせた。
彼の挑発が伝わったのか、動きを止めていた彼らは、ジリジリと距離を縮めて近付き始め…、
やがて、こちらが独りだと分かると、途端に、奇声を挙げながら走り出した。
相手の走るスピードはかなり遅く、間合いに到達するまでには、十二分に間がある…。
アスラムは、グラディエーターの業の一つ、
「ウォークライ」を発動させた。
独自に伝えられる特殊な呼吸法は身体中にあまねく酸素を駆け巡らせ、筋肉が次第にパンプアップしていく…。
頭のスイッチも軽いトランス状態へと切り替わり、士気が急激に高まっていく…。
『…さあ、こい……!』
ランタンの灯りの中に、先頭の一匹が姿を現した。
脂で汚れた醜い豚のような顔から、鋭い牙を二本剥き出しにして、古びた安価そうな胴鎧に、刃の欠けた斧。
興奮し、息を切らして開けた口から、泡の涎をダラダラと垂れ流している。
闇の世界に属する亜人種、「オーク」だ。
本来なら、パルルから遠く離れた異国、ダルカン公国近郊にしか生息していないはずの怪物である。
それが、なぜ、この風穴に………?
考える間もなく、先頭の一匹が、アスラムに向かって鈍器のような武骨な斧の刃を振り下ろしてきた。
濁り、血走った目には、自分たちの圧倒的な戦力に裏付けされた、勝利の確信が、ありありと浮かんでいる。
………しかし、この生き物、数による有利さを理解することは出来ても、個々の戦力差を図ることは、叶わないようだ。
アスラムは、オークの一撃をあっさりとかわすと、愛刀の一文字を、横薙ぎに走らせた。
オークの剥き出しの皮膚に潜り込み、一文字の刀身が、分厚い腹の脂肪を切り裂いた。
腹を裂かれ、おびただしい量の血流を撒き散らしながら、オークは、もんどりを打って、悲痛な叫び声を挙げながら、階段の横から暗闇に墜落していった。
ややしばらくして、
重量のある肉の叩き付けられる音が響いた。
その頃には既に、アスラムは電光石火の速さで、二匹目のオークの右腕を切り飛ばしていた。
先程まで腕のあった場所から、血液が噴き出す様を、驚きの表情で見つめがらその場にへたりこむ、オークの開いた口に、一文字を突っ込み、止めを刺す。
瞬く間に二匹の同胞を殺されたオーク達は、
すっかり戦意を喪失して恐れおののいていた。
アスラムがにじりよる歩幅に合わせるように、同じ距離を後ずさる。
……剣で生物を攻撃した際には、切った際の血や、脂が刀身に癒着し、切れ味が損なわれることがままある。
だが、この一文字の優秀なところは、刀身に宿された水属性の能力だ。
刀身が絶えず、極薄の水膜に覆われたこの刀は、火の属性を持つ対象に多大な成果を発揮するとともに、血液や脂の癒着を防ぐ効果も伴ってくれ、お陰で、終始、切れ味を損なわれることなく、何度でも切り刻むことができるのである。
その切れ味は絶大で、斬られる場所全てが必殺の急所と化すのだ。
ガナジの鍛冶屋に鍛え上げて貰った、珠玉の一振りだった。
………刀が肉を断つ、その手応えに、アスラムは久方振りの興奮を味わっていた。
やはり、戦場はいい……。
刀ひとつで掴み取る、
生還への歓喜………。
何事にも換えがたい………。
三匹目のオークの首をすっ飛ばしたころに、彼は、自身の身に起こっている変化を感じて始めていた。
この迷宮に漂い舞う、悪意のオドが………、
心臓の鼓動、
呼吸のリズム。
彼の生命や、魂といった、精神性な何か。
その、うまく言葉にできない何かに、リンクし始めているような錯覚に捕らわれ始めていたのである……。
力が、漲ってくる。
階段を全力で駆け下りている。
既に、一時間程走り続けているのではないか?
下りしな、数多のオークを切り倒してきた。
一文字の刀身は、血に濡れて尚、その輝きを失うことはなかった。
まるで、妖しく紅く鈍く光る刀身が、彼の心に同調しているかのようだ。
これだけ身体を酷使して戦い続けてきたにも関わらず、彼の体に、疲労感などかけらもなかった。
それどころか、階段を深く潜る度、怪物を一匹なぎ倒す度に、秘めたる力が、体の内側から盛り上がり、吹き出すかのようだった。
柄を握りしめ、刀を振るいながら、
アスラムは、満面の笑みを浮かべていたのである…。
階段が終わった。
勢いもそのままに、目の前に塞がる木製のドアを、力一杯蹴破る。
『……………!?』
…………沈黙。
…抜け出た先は、目視できないほど天井の高い、薄暗い大広間だった。
余りの興奮状態のまま、ひたすら怪物を斬り倒し、走り続けてきたせいで、ランタンをあの場に置いてきてしまっていたが、
幸い、この玄室のあちこちに生息しているらしい、光ゴケのお陰か……
または暗闇に夜目が効くほど慣れてきたお陰か……
回りを認知出来るほどの明るさを保ててはいた。
闇の中にただ一人、
自分の身体を確認してみる……。
怪物たちの返り血で、身体中が血塗れになっている。
髪も血に濡れ、額にまとわりついていた。
……それにしても。
とアスラムは思う。
あれほど不快に感じていたはずの、この迷宮に漂う障気………
数多の怪物の命を奪い取りながら走り抜けた今となっては、
まるで、木々の静寂から零れ注ぐ木漏れ日のように、
身体に、心地よく感じてしまう………。
……一文字の刀身を見つめてみた。
……生きた血をたっぷりと吸い取って、潤ったかのように、紅く、甘く輝いて見える…。
……いいようのない、
光悦感………。
…ふと、左手の甲に微熱を感じ、アスラムはガントレットをはめた手を持ち上げてみた。
……ガントレットに挿し込まれている、「クリスタ」と呼ばれる宝石が、血の色に輝き、明滅していた。
『……お前も、喜んでいるのか………?』
この、なにものにも変えがたい、
強さへの渇望を満たされる、喜悦………。
若かりし頃、飽くなく求め続け、決して満たされることのなかった、
終わりのない一本道……。
あの舞台に、俺は、再び、立とうとしているのか………?
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