第1章「剣闘士アスラム」scene1 風の風穴
ロココの酒場で耳にした、しがない噂話…。
なにかを期待していた訳ではない。
ただ、目的もなくいたずらに怪物を狩り続ける毎日に、違う刺激を求めてみたくなっただけだった。
そして、噂の元凶であるその場所に、今、その男は立っている。
…ロココ風穴最深部…。
…男の名は、アスラム。
ロココの街を根城に、日々、
怪物討伐の微々たる報酬を酒代に変えながら、
その日暮らしをダラダラと過ごす、グラディエーター(剣闘士)だ。
…事の発端は、ロココの街の中心に位置する酒場、『月の番人』で、偶然、隣で飲んでいた、旅の商人の口から聞かされた、噂話に端を発した。
『祭壇の裏に、隠された迷宮があるという…。
そこには、古代の財宝が手付かずで残されており、共和国が、わざわざ政府をあげて調査してるらしい、と…』
旅の男は、アスラムの姿をしげしげと眺め、こう呟いたものだ。
『お前さんほどの達人なら、その入り口を見つけられるんじゃないのかい?
何でもいい、なんか手掛かりを見付けたら、1千万スピナ出してもいいぜ』
男の、試すような口ぶりに、刺激を受けたのは、正直な気持ちだった。
最前線から身を引き、
半隠居同然ではあったが、
…1千万スピナ分の酒も去ることながら…
胸のうちに埋没されていた、未知なる世界への探求心…
再び、燃え上がらすのも悪くないもんだ。
…この風穴、
本来は、滴り落ちる水滴や、外から吹き込まれる風が、何千億年という歳月をかけて作り上げた大自然の奇跡……
巨大な鍾乳洞である。
下層の中央には深淵な地底湖が水を貯えており、
竜人や吸血コウモリ、
または風穴内で独自の進化を遂げた、蒼く不気味な甲殻魚や巨大な毒蛇たちなどといった、
怪物どもの棲み家と化していた。
…ただ、自然が造り上げた洞窟にしては、
些か謎の部分も多い。
イルーナ広しといえども、この風穴にしか見ることの出来ない、マナを動力としているであろう、石造りのワープ装置や、それを護るように、洞窟内をさ迷い歩く、ゴーレム達……。
ロココの街の郊外にある、
「忘れられた洞窟」と並んで、未だ解明されぬことの多い、未知の領域であった。
…そして、このロココ風穴最大の謎、とされていたのが、今、彼の目の前にある、この神殿であったのだ。
自然物である鍾乳石を潜り抜けた先に、いきなり現れる、この人工物は、見る者に必ず、大きな違和感と畏怖感を植え付ける。
しかし、
神殿の中には何かが備え付けられている訳でもなく、特別な罠もない。
壁の中央に、どんな意味を為すのかも分からない、紋章が施されているのみである。
神殿がその機能をいつ、発揮していたのか、その年代すらわからず、意味不明のまま放置されていたのだ。
しいて使用価値があるとするならば、最深部に生息している、風穴の食物連鎖の頂点に君臨する、「スコルピオ」に目を付けられた未熟な冒険者たちの、避難場所くらいなものか…。
その謎が、もしかしたら解き明かされるかも知れないのだ。
酒浸りの日々に飽き飽きしていた、アスラムにとって、久し振りに胸踊る探索だった。
『…たしかに、ここから風が流れてきてるようだ…』
神殿の一番奥、
石壁のとある場所から、
男の噂の通り、冷たい隙間風が、壁の向こうから洩れ込んでいた。
…鍾乳洞の中を抉って作り上げた、石壁の向こう…
…本来なら岩の壁があるばかりのそこから風が入り込む…
…つまりは、壁の向こう側に、空洞が存在するという証拠ではないのか……?
『破れるのか…?この壁…』
自信は無くはなかった。
腐ってはいるが、これでも昔は、マスターレベル称号を得た戦士の一人であったのだ。
動かない壁相手に、
臆するような技量ではないと、自負するくらいはまだ許されるだろう。
酒場の飲み友達である、はぐれ騎士レクサスから、ラム酒一杯を奢って無理矢理拝借してきた、ミスリルハンマーを上段に構え、アスラムは、静かに息を吸い始め、ゆっくりと吐き出し、また吸い…と繰り返し、丹田…へその下辺りを意識して、気を集中させていった…。
『フンッ………!』
『%##&*@§!!!』
アステュート…
高密度に練られた気の一撃が、ミスリルハンマーを通して迸り、目の前の石壁に叩き付けられた。
気が炸裂する際の爆発音と、石壁が崩れ落ちる轟音とが合わさって、風穴中に響き渡る…。
『はは…こいつは…』
砂埃に咳込みながら、アスラムは目の前に現れた、その光景に身震いした。
折れたミスリルハンマーの柄が、歓喜の震えに反応して小刻みに揺れている。
石壁の崩れたその先は、想像していた通り、空洞が拡がっていた。
…そして、想像を遥かに越える代物が、姿を表したのである。
それは、異様な光景だった。
風穴の神殿とは、明らか に質の違う、禍々しい障気…。
建築学、または考古学に関しては全くの素人のアスラムでさえ、神殿が造られたであろう時代よりも、遥か古くから存在していたのだろうと想像できた。
そこには、
より悪魔的な装飾を施した長い長い階段が、
地獄の奥底まで続いているかのように、存在していたのだ……。
唯一の共通点である、
神殿のそれと同じ、紋章の様なものが、階段の壁の至るところに施されていた。
『面倒なことになった…』
アスラムは、想定していた以上の事態に、不快感を露わにして毒づいた。
…ただそれ以上に、
危険な香りのするこの階段に、心惹かれているのも、確かだった。
そんな性分、今までの彼ならば、面倒臭いだけだったのだが……。
右手の平で、愛用してきた無銘一文字の柄を確かめるように握る。
体中のマナを絞り尽くして、狂戦士(バーサーク)の業を発動させた時のような、刹那的な感情が、沸々とわき起こり、体を満たしていく……。
唇をめくれあがらせ、犬歯をむき出しにして、思わず、にやついてしまった。
久しく忘れていた、この高揚感…。
高まる興奮が、アスラムの身体中に拡がり、
まるで、錆び付いた関節にあまねく行き渡る潤滑油のように、
彼の体を、階段に向けて、
前へ前へと押し進めていった………。
アスラムは、自ら開けた壁の穴に頭を突っ込み、中の様子を伺った……。
用意していたランタンをかざし、底を照らしたが、あまりの深さに何も照らされない。
…地の底から漂い上がる、汚れたオドの流れ…
洞窟の湿度と相まって、かなりの不快感を感じさせるが、未知への好奇心が、それをはねのけ、アスラムの足を、暗い階段へと運ばせていった。
…湿って濡れた石畳の階段を、一歩一歩を確かめながら、慎重に降りていく…。
昆虫か何かを、何回か踏み潰した。
ランタンの乏しい光に照らされて、
あの、奇妙な紋章が、
ひとつ、またひとつと、階段と共に続いていく……。
…隠された古代の秘宝だって?
最初から、そんなものを期待していた訳ではないが……
ここは、そんなもんじゃない…。
そんな、甘い夢など期待しないほうがいい…。
後頭部にチリチリと感じる、嫌悪感が、アスラムにそう、警鐘を鳴らしていた。
もっと、何か、巨大な…
大きく深刻な、悪意……
階段を降りれば降りるほど、
地上から離れれば離れるほど、
漂う悪意のオドに、首まで浸かっていくかのような………
…しかし、それでいて、彼は、その不快感を、逆に楽しみ始めていたようだった。
これから己の身に起こりうるであろう、何かしらの恐怖に期待し、興奮し始めていたのだった。
………半刻ほど、階段を降りてきただろうか…
既に地上付近は暗黒に飲まれ…
この先もまた、暗黒にある…。
…そして、何かが確実に起きるであろうとの、この迷宮へ期待感に胸を踊らせていた、アスラムの欲求は、唐突に満たされることになった。
今まで、唯一の音であった、彼の足音…
それとは別の、何者かの足音が、
遥か下層の階段から聞こえはじめてきたのだ…。
ひとつ…ふたつ………
かなりの数だ…。
一個連隊に匹敵するような…。
足音は、何か、沢山の毛でおおわれたものが引きずる際のような、そんな音だった。
一個連隊の足音が、どんどん近付くにつれ、
鼻を覆いたくなるような異臭に混じり、
鼻をすするような呼吸音が聞こえ始めた。
…彼はランタンが邪魔にならぬよう、壁の紋章に引っ掻けると、
一文字を鞘から引き抜き、両手で中段に構え、足音の主たちを待ち構えた…。
乏しいランタンの灯りは、まだ相手を照らせずにいる。
何かは、もう、すぐそこまで来ていた……。
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