第3話
一週間もすると入山さんはもうみんなの中心で快活に笑い声を発していた。私だけが二十代だから世間話を発展できないと思いこんでいたが入山さんは簡単にクリアしていった。はじめから初期武装の違うゲームをしているようだ。私はまだ人間関係のこん棒を振り回しているのに入山さんはすでにセラミックソードで次々攻略していった。
私は仕事をしなければならないので話の内容が遠巻きでしか聞き取れなかった。だけど入山さんはそうとう音楽が好きなようでよくライブに行くような話をしていた。家の部屋の中でも通勤時でもヘッドフォンを装着して大音量で聴くのが幸せだという。パートの人たちはそんな話でも盛り上がっていた。身振り手振りで入山さんが聴いているアーティストの魅力を精一杯伝えようとしているのが目に見えていた。そのアーティストは「小夜子」といった。あまり聞き慣れない名前だった。
その日は取引先からのクレームもでて残業に追われた一日だった。ながく続いた雨も終わっていたが空はずっと曇り空だった。遥か上空の雲は町工場のような音をたてながら形を崩しながら速度をあげて動いていた。
疲れきった体はいつも以上に眠気を誘い、テレビをつけっぱなしでいつの間にか眠りに落ちていた。
はじめは夢のようだった。頭の中で曇り空の音が轟々としていた。目が覚めると夢だと思っていた映像はテレビでそのままの姿を現していた。心臓がひとつ鼓動した。テレビの画面が落雷してテロップが出た。逡巡する記憶が静止した。入山さんが言っていたあの。
「小夜子」
バックバンドがけたたましく音を弾く。その中央で小夜子はマイクを握り締めて床を正視して逆光を背に微かに息で肩を震わせ立っていた。ライトが小夜子に向けられた。近未来とでもバロック調時代ともみられるデザインのドレスに鮮やかなそれでいて毒々しいほどのピンクの装飾。艶やかなアクセサリーをほどこした姿が舞っている。その衣装にも負けない強いルックスを兼ね備えた小夜子は長い髪を振り乱し、強烈な目力で堂々として歌いはじめた。
小夜子はギターをかき鳴らした。歌声は透き通り心に突き刺さり染み渡っていった。小夜子は躍動していた。
私は息が苦しくなってきた。だけど心地よかった。時間にして四分だったが、時間の概念を確実にふっ飛ばした。
小夜子が最後に金切り声をあげて倒れ込んだ。ギターのひび割れた音が轟音とともに事切れた。黒い髪が宙を彷徨って静かに落ちた。暗転して、テレビはコマーシャルに入った。
私が我に返るとテレビの前で正座して、両手でテレビの両端をつかんでいた。コマーシャルが流れたことで、これはテレビ番組だったと思い出した。ツバを飲み込んだら喉の奥が痛んだ。
眠気が一斉に消し去って心臓の鼓動はいつまでもゆっくりにならなかった。疲れともいえない電流が体を駆け巡った。テレビと明かりを消して横になって目を閉じる。さっきまでの映像が残像として蘇る。照明が脳裏で眩しく輝いている。残像で蘇る小夜子の妖艶なる美しさがいつまでも離れなかった。
気がつけばカーテンに白い光が映り込み、鳥のさえずりと大型トラックが通過する音が聞こえてきた。ぼんやりと時計をみると遅刻寸前の時間だった。化粧も適当に家を出た。そういえば鏡をみたときは、やっぱり自分で(しかもスッピンで)がっかりした。あんだけ小夜子のことを思ったんだから少しぐらい小夜子にさせてほしいよ、頼むよマジ神様。
空気はいつのまにか張り詰めるほど冷たくなっていてそろそろニベアを買おうかと思う時期になっていた。
走って息切れしてようやく電車に乗り込む私を当然ながら誰も見ようともしない。私が高校生のときは本を読んだり新聞を読んだりただ座っている人がいたりしたものだけど、今乗客を見たら全員スマホを見ていた。いや、見ている内容はゲームだったりラインだったりどこかのサイトかニュースだったりするのだろうけど、異様だった。どんな人にもそれぞれの生活があって事情があって生きているのだろうけど、いつのまにか誰が誰でもいいことになっていないか、私が今ここで吐血して倒れたとして誰が見てくれるだろうか。みんなスマホに夢中か。ここにいる全員乗り過ごして遅刻してしまえばいいのに。
小夜子はスマホをみるのだろうか。当然みるだろうけど。私はスマホをとりだしてツイッターで小夜子を検索してみる。ファンユーザーはいたけど本人とおぼしきアカウントはわからなかった。それでいいと思った。スマホを鞄の奥にしまった。
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