THE BEAST 1-2
「あの、ところで1つよろしいでしょうか?」
「うん?」
話も纏まり次の行動が決まろうとしたところで、エレインが手を挙げて割り込んできた。
特に阻む理由も無いため、カオナシはどうぞと促す。
「旦那様の御名前は?」
「色々飛躍してるのはさておき、名乗ってなかったか」
「そういえば私も聞きそびれてました」
「……以前はカオナシと呼ばれていたが、あまり好きな呼び名じゃない。そうだな、できれば──カインとでも呼んで欲しい」
「はい、カイン様っ!」
飛び付かんばかりの勢いで返事をするエレインを無視し、サニアがこほんと咳払いを挟んだ。
「改めて、私はサニア・ルルイラフです。よろしく」
「わたくしはエレイン・カーボネックと申します。お見知りおきを」
「カーボネックのエレイン? 父親はペラムか?」
「いえ、その名は聞いたことがありませんが……」
「……そう、なのか」
聞き覚えのある名前だったのか、カオナシ───もといカインは聞き返したものの、2人は知らないようだった。
かの伝説に登場する城と人物の名前だったそうだが、どうやらこの世界にはその伝説が存在しないらしい。言葉が通じるためにそこまで気にすることでもないだろうが……。
「話を戻すが、我々は君の祈祷を手伝おうかと思ってる」
「わたくしの……? いえ! とんでもありません! サニアさんは目的があってカイン様を召喚なさったのですし、わたくしは組合から護衛を依頼すればっ」
「そういえば、事の発端を訊いてなかったな」
「色々ありすぎて忘れてました」
「ええ……。軽く捉えすぎではございませんか」
どうせ生きる理由も無かったし。とカインが。
魔獣に襲われれば気も動転します。とサニアが。
そんな2人を見てエレインは大きな溜息を吐いた。
「異世界からの生物召喚は簡単なものではありませんっ! 何か大きな、それこそ人の力を超えた目的でもない限り!」
「私はそんな大層な野望のために呼ばれたのかい? 迷惑にも程がある。契約破棄してくれ」
「したら死にますが」
「エレイン、この世に未練はないね? 諸共に旅立とう」
「はいっ! カイン様のためでしたらこの命────ってそうではありません! もうっ、どうしてそうも楽観的なのですか! カイン様はまだわかりますが……っ」
「ノリツッコミご苦労さま。ご褒美によしよししてあげよう」
「お願いしますっ」
頭を突き出して待ち構えるエレインに近くへ寄るよう言い、カインはただ淡々と頭をなで始めた。扱いが犬のそれである。
空いた片手ではエレインの袖をまくり、先ほどのポーチから出したであろう塗り薬を塗布して包帯を巻き……と、よくも片手でできるものだとサニアが感心するほどに処置を施していた。
「薬草や再生薬ではないのですね」
「再生薬が何かは知らないが、これはワセリン……あー、ただ傷を保護するだけのものだ。乾きを抑えたり、水に濡れないようにしたり、その程度」
「他にも種類はあるんですか?」
「あるが、予備がさほど無い。エレイン、正面じゃなく隣へおいで。両腕は私の脚に」
隣に寄り添うようにして座ったエレインが両腕を預け、カインが片手で髪を梳くように撫で、もう片方で処置を続ける。それを眺めるサニアはどこからつっこんだものかと考えて、やめた。どうにもアホらしいのだろう。
「先程、肌を見せるのが禁だと言っていたが」
「あっ……はい。父の言いつけで、伴侶となる方以外にはあまり肌を見せるなと」
「それで拒んだわけか」
「ですが、わたくしの全てはカイン様に捧げるとお約束しました。もはや禁も役目を成しません」
「命を救われたから、かな」
「そうですね。失うはずのものを繋ぎ止めてくださったのです。捧げるに相応しいかと」
「昔、同じ事を言ってた奴を知ってる」
両腕の処置を終え、さて足もとカインが手を伸ばすも……さすがにこればかりは恥じらいが勝ったのか、手で塞がれて制されていた。
「そいつは命を助けられて、その相手に後生全てを文字通り託して、どんな無茶も無謀もやり遂げた」
「意思の硬い方だったのですね……」
「義に厚い、と言うべきでしょうか」
「どうだろう。彼は結局、死に場所を失って世界を彷徨い続けた。もう人間かどうかもわからないほどの時間を生きて、最後は己すらも失い、生きながらに死んでいるがね」
カインは誤魔化すようにひとしきり頭を撫でて、サニアの隣に戻るよう促した。
一礼して立ち上がると、今度はサニアへ軽く会釈をして座り直し……と、2人からすればどうにも堅苦しさを感じてしまう所作に、それなりの家で生まれたのだろうと思わせた。
「それで? 君はなんのために私を? 英雄にならないか、などと聞いた覚えがあるが」
「笑わないでほしいのですが……勇者の抹殺を」
「「勇者?」」
エレインとカインが疑問符を頭に浮かべたためか、ああそこからか、とサニアが怪訝な視線を向けていた。
しかし、溜息を吐くサニアよりも先にエレインが手を挙げた。
「勇者と言うと、女性を侍らせ強敵をなぎ倒していると噂になっている、あの?」
「間違ってはいません」
「死んだら教会でリスタートする、あの?」
「勇者は不死身か何かですか?」
「なにやら奇妙な武器を持っているとか」
「それを鍛えるために隠れ忍んでたそうです」
「”ふっかつのじゅもん”を間違えると、とんでもないことになるんだよな……」
「詠唱を間違えたらそうでしょうが、蘇生魔術なんてものは聞いたことがありませんし、様々な認識のずれがある気がします」
「フッフッ……そうだな、違うはずだ。この世界にはあるはずがない。電気もないのだから……クフ」
声を押し殺して笑っているカインを見て、思わず2人はまじまじと見つめていた。
何がおかしいのかはわからずとも、初めて明確に表情が変わっているであろう事だけは感じたのだ。これには2人も顔を見合わせ、ほんの少しだけ微笑んだ。
「貴方も笑うんですね」
「笑い怒りも泣きもする。……しかし、勇者か。それを殺して私になんの利がある。世界の半分をくれるのか?」
「そんな権限はありませんが、得られるのは……そうですね、先延ばしの平和と、場合によっては世界に轟く汚名でしょうか」
「英雄どころか見事に害悪しかないんだが」
「わかっています。それでも、止めなければいけないんです」
「あの……理由をお話頂けませんか?」
「それはっ……」
サニアは2人を順に見渡し、首を振って俯いてしまった。
どうやら話せない事情があるらしい。特にエレインを見た時は顔が険しいモノだった。
それを見ていたカインは、かつて見たことのあるものと重ねてしまったのだ。反社会的行動の告白───彼女の一連の行動は、なにか裏を知っている者のソレだ。己を悪だと認定しながら、世界への敵対行為であると知りながら、それでもと助けを求める姿を……カインを殺人鬼としての道へ誘った人物を、不意に重ねてしまった。
最早それだけで、無視することは不可能になってしまったのだ。
「エレイン。私が悪に為ると決めたなら、君は己の全てを捨てられるかい?」
「考えるまでもありません。この身この命、全てはカイン様のものですから」
「そして私は、この世界において立場など元より無い。サニア、協力するかはさておき話してくれ、ここに理由を聞いて寝返る者はいない」
「2人とも……。わかりました、機を見て話すつもりでしたし。ですがこれは、死後も続く秘密です」
「そうしよう」
「はいっ」
悩んでいたサニアは何度か深呼吸を挟み、重々しくもその口を開いた。
理由も話さず協力を仰ごうとしていたのは、いささか虫のいい話でもあるが。
「神託を受けました」
「……勇者が悪だと?」
「いいえ。勇者の活躍によって戦争が起き、多くの血が流れると」
「戦争によってか……。今この国に戦争の危機、ないしその徴候は?」
「そういった噂はありませんし、あまり考えられません。かつては大陸を支配していた魔王軍との戦争もありましたが、今は終戦協定を結び、互いに平穏な生活をしています。一部では交易もあるとか」
「平和すぎるだろう……」
魔王もないのに勇者か。
どこかつまらなそうに呟いたカインも、溜息1つで頭を切り替えた。
勇者と言えば魔王、そして魔族との戦争……なんてのはありきたりだが、実際には他にも国があるだろう。その勇者がどこでなにをするのかはわからずとも、なんらかの組織間で政治的、武力的関与をしない限り平穏が破られることは少ない。
特に、戦争をした国同士では。
「今では教会に魔族の信者もいらっしゃいますよ」
「思ったより馴染んでいるな? 浄化されたりはしないのか? というか何年前だ戦争」
「そろそろ60年……でしょうか?」
「思ったより現実的でどこからつっこめば……。もう魔族云々はいいとして、隣国は」
「友好的だと思います。ここアイラストリアを中心として3つの国が並んでいますが、おおよそ結託して大陸の開拓をしていますから」
「開拓って……もしかしなくとも、魔族との戦争は人間が原因では」
「そう歴史にあります」
「頭痛がしてきた」
今すぐに自殺したい衝動を抑え、ガリガリと頭を掻きながらカインは気を取り直した。
勇者を抹殺する。そう言ったサニアの目的には賛同しかねるし、なにより理由が共感できないし、そうまでする必要性も感じない。手の届く場所にいる少女を助けてやりたいという気持ちはある。だが、後世に絶対悪として語り継がれるようなことに手を貸すのは頂けない。
それは己のためではなく、当人の将来のためにだ。
「ともかく、そういったわけで私は力を貸して欲しく」
「無理だ。未開の地を奪い合う国が隣接していれば、戦争は必ず起こる。そこに犠牲が出るのは自然なこと。止めるようなものではない」
「そんなっ! 無辜の人々が傷つくんですよ!?」
「遅いか速いかの問題だ。どのみち同規模以上の犠牲が出る」
「戦争のない未来だって───」
そこまで言いかけたサニアの肩を掴み、カインは顔を間近にして睨み付けた。顔を覆う、光すらも飲み込む黒い靄の隙間から真っ赤な眼光が覗き、ぼんやりと揺れ動いている。
2人が反応できないほどに速く、そして見ることの出来ない表情から感じる鋭い威圧感によってか、肩を掴まれたサニアは呼吸すらも出来ずにいる。それを察してか、ハッとして「悪い」と呟きカインが瓦礫に座り直した。
「確かにそれが理想だ。けれど、それはできない。それが土地を広げるという意味だ」
「っ……。全ての国がそうなるとは、限りません」
「限らずとも、辿り着くのは戦争だ。誰もが和平を望もうと、必ず何処かによしとしない奴が居る」
「カイン様は……経験がおありなのですか?」
「私は昔、戦争をするための駒だった」
「あ……えっと」
「…………」
3人の間を流れる重い空気にようやく気がついたのか、カインは自分のしたことを思い返して溜息が出た。
子供2人に……いや、エレインはおそらく成人しているだろうが、カインからすれば子供と変わりない……戦争云々等と言い、自発的行動の芽を潰そうとしているのは事実。内容が抹殺だなんだと物騒ではあるが、上から押さえつけて無礙にするなどというのはあってはならないことだ。ここまでハッキリと決断しているのなら法だなんだをわかっての事。なら、それ以外の行ってはならない理由を与えなければいけない。
マリーを育てるとき、良き親であろうと己に戒めたことが、ここに来てたがが外れかけているらしい。
「……どちらにせよ同じなら、行う理由にはならずとも、行わない理由にもたりえない。か」
「…………それは、どういう」
「その行いが悪であるとわかっているのなら、決定的に”すべきではない”と確証が持てるまでは見守ろう」
「あっ……ありがとうございます、カイン!」
「ですが……よいのでしょうか。勇者は異界生物召喚をしたと聞きますし、戦力差が心許ないかと」
「召喚? 私のような、ということかい?」
「はい。確か、かなり高位の魔術師で、マリーという女性だそうで……」
「───────────」
空気が固まった。
サニアとエレインはカインをじっと見つめ、ピクリとも動かない姿を見守っている。
重くはない。決して鈍重ではないが、まるで時間が止まったようにカインは動かない。代わりなのか、カインの顔を覆っていた黒い靄はその濃さを増していき、水面から姿を現すかのように仮面が現れた。
革に見える質感に、鳥のクチバシを思わせる大きな突起、目を象るようにできた透明なレンズの奥には、顔を覆っていた黒い靄が充満している。
彼の世界でペストマスクと呼ばれるそれが、カインの顔を覆っていた。
「なんですか、この魔素の奔流は……何が起きて……」
「……エレイン」
「はいっ!?」
「そのマリーという子ハ、黒い髪を横で束ネていないかい……?」
「人相はそう聞いていますが……」
「そウ……ソウ……そっかァ……。歳ハ、サニアくらいか……」
「ぐらい……かと」
「クヒッ……ヒヒッ…………フフフ」
「カイン!?」
「カイン様!?」
髪を束ねている位置を示したカインの手は、顔と同じように黒い霧で覆われ何かが浮き出ていた。
光を反射しない鱗と、反対に景色すら反射するほどの艶を持つ鋭い爪。翼こそ無いものの、これをただの人間と呼ぶにはいささか……形が離れすぎている。
「大丈夫ですかカイン! 気をしっかり!」
「最高にcoolナ気分だ……頭ガ冴えているヨ……」
「この気配、魔素に近いものを感じますっ。先程までは何も感じなかったのに……!」
「サニア、私モ勇者の抹殺に賛成ダ。殺そうカ」
「それどころじゃありません! なんですかこの力は!」
「……チカラ? ……なるほド、なるほド。よくわかル。これハ……こうかな」
カインが何度か両手を握っては開くと、手を覆っていた鱗と爪が剥がれ落ち、元の皮膚に戻っていった。やがてマスクも自分で外し、顔が見えることはないが元通りだ。
「こっちは消えないのか」
「あの、今のはっ」
「気配からするに魔素のものでしたが……カイン様の顔を覆う呪いと何か関係が?」
「悪いが、何もわからない。急に頭が冴え渡って、体を巡るよくわからないものの操り方が、なんとなく感じ取れただけで」
試しにと再びマスクを顔に寄せると、靄は引き合う粘液のように橋を延ばし、溶着せんと蠢いていた。当のカインは感覚でそれらを掴んでいるらしく、特に驚いた声一つあげやしない。
そのままペストマスクを装着してみせるものの、今度は両手が変化することもなかった。
既に自在に操れるようで、マスクは靄となって消えてしまう。
「2人は知らない……か」
「魔素については謎が多いものでして……」
ふとした疑問を投げかけるも、目をそらされてしまう。
どうにも謎は謎のままのようだ。
「今わかっているのは、魔素に取り憑かれると一回り生物として強くなる、というものですね」
「魔獣がそうだと言ってたか」
「はい。魔素は単体でも生命として機能していますが、生物に寄生することでようやく活動ができるもの……とされています」
「生きてるのか……。まあ、人間なんて常在菌が数え切れないほどいるし、今更種類が増えても」
「あの、ジョーザイキンとは?」
「簡単に言えば極小生命」
「えっ……」
「そうなの……ですか?」
「あー……そうなんです」
カインにとっては当然の事だったが、比べて科学的発展が皆無に等しいであろうアイラストリアでは知られていない事だったらしい。
特に、若い女性二人からすれば気分の良い情報ではなかっただろう。
「まあ話を戻そう。私は勇者抹殺に賛成する。一刻も早く殺す。絶対殺す。ふっかつのじゅもんも書き換える」
「やる気になって貰えたのは嬉しいですが、なぜ?」
「私の娘をさらったんだ、万死に値する」
「──ではっ、マリーという方が!?」
「聞く限りは。故に殺す。何があろうと殺す。私に殺される程度なら娘はやらん」
「カイン、落ち着いてください。抹殺するにしても、事故や内乱に偽装しないと戦争に発展してしまいます」
「内側にスケープゴートが必要なのは百も承知。大きく分けて手段は2つ。法で裁ける身内が殺すか、事故が殺すか。前者は明確に宣伝をしなければ危険だが、後者も原因を明確にしなければ危険だ。可能なら治安維持組織の協力も欲しい」
「治安維持……となると、騎士団ですね」
「勇者に信仰心は?」
「教会と交流はあるようですが、それ以上はわかりかねます。お力になれず申し訳ありません」
「いいんだ、人は知らぬことの方が多い」
カインがエレインの頭を撫でると、ビクリと肩を跳ねさせたものの、その頬は緩みきっていた。
魔素に飲み込まれたように思えた姿に怯えもあるが、それ以上に違うモノがあるのだろう。命を救われたといえ、心酔ぶりはやや過剰に見えるようで、サニアは少し訝しげだ。
「冒険者に神官に異物……騎士団へのツテは無さそうだ。サニア、これを」
上着の中に隠してあったのか、どこからか腕ほどの長さのあるマチェーテを取り出すなりサニアに手渡し、カインはふいに立ち上がった。
更にベルトに手を廻してボウイナイフを抜き、向かう先には地面に転がっている先程の魔獣が。足で遺体を蹴ると、おもむろに首の位置を整え始めた。
「カイン?」
「2人で枯れ葉と薪になりそうな枝を、細めのものを中心に集めて貰えるかい。そこの崩れた民家の中にまとめておいてほしい」
「は、はいっ。行ってまいります!」
「なにをするつもりですか!?」
「夕食」
「ゆう…………自由すぎます、貴方は」
「腹が減ってはなんとやら。早く薪を集めてくれると助かるよ」
「そうします」
森の入口で待っていたであろうエレインがサニアと合流し、姿が奥へと消えたのを確認するなり、カインは魔獣の背中側へと回り、ナイフで喉をスッパリと切り開いた。
同時にバケツをひっくり返したかのように明るい色の血が流れ出ていき、背に廻ったのがこれを避けるためであることが見てとれた。
「少し固まってるか……? ともあれ、2人が帰ってくる前に形は崩さないとだ」
何度か胸を蹴って血を抜き、そのまま首筋を切り進め、時にはナイフの背を石で叩いて無理矢理に首を落とした。
売り物とするにはあまりにも雑な、しかし目的を達するためには的確な手抜きで解体は進んでいくのだった。
一方、森で資材調達を頼まれた2人だが。
つい先程までは見知らぬ仲であったにも関わらず、今はと言えば話題に華を咲かせている程だ。
「それにしても、どうしてエレインさんはカインにあそこまで?」
「命を救ってくださったのです。この身この命を差し出すのは恩義として妥当ではないかと」
「それは……まあ、そうとも言えますが」
「なにより、カイン様は私に恩を着せないために色々な言い訳をしてくださいました。謙虚で道徳もあり配慮もでき、魔獣をも倒す力。恩を差し引いても心奪われるには充分ですとも」
「ああ、本気で好きなんですか……」
「はいっ! あの細い体つき、やや年期を感じるお声、それでいて軽やかな動き。正直……好みです」
「…………好みと合致したということですか。納得です」
命を助けられ、けれど驕らず他者を丁寧に扱う。その上で好みとも合うのなら、あの心酔ぶりもかろうじて腑に落ちるのだろう。惚れやすすぎる気もするが。
「それに」
「はい?」
「わたくしたちへの指示もそうです。怪我をしているわたくしではなく、簡単には怪我をしないであろうサニアさんに刃物を。よく見ている方だと思われます」
「……そうですね。それに、余計な気まで廻してくれたようですし」
「なにかありましたか?」
「私たちが見ないよう、魔獣の首を落とさずに待っていました。確かに慣れていない人には辛いものですが」
「カイン様の優しさ、だと思いますよ」
祭服の長い裾を手に摑み、拾った枝を次々と溜め込んでいるエレインはふにゃりと微笑んだ。
およそ普段は大人に見える彼女の緩んだ笑顔には、サニアも緊張感が解けたようだ。そうかもしれません、と返して枝の1つをマチェーテで切り落とす。
「こんなあっさり……すばらしい物です」
これまでサニアが使ったどんな刃物よりも良く切れたそれに、表情が変わるほど感動していたことにはエレインも苦笑せざるを得なかった。
2人が森に入ってからしばらく。
太陽の傾きがあまり変わらない程度だったことは確かだが、その色はほんの僅かに赤みを帯び始めていた。
「肉も炉もこれでいいとして、あとは薪か」
「集めてきましたよ」
「ただいま戻りました」
「ああ、丁度だ。他の準備は整ってる」
「……この穴はなんですか?」
「炉だ。焚き火と言った方がいいかい?」
「これが……?」
四方を壁の残骸に囲われた中。地面は随分と土が積もっているのか、窓枠が半ば埋まってる場所まである。
それを好都合ととったようで、カインは真ん中に頭が入る程度の四角い穴を掘り、その隣にも小さな穴をあけ、地中で穴を繋げているらしい。
その炉を囲むように座れるサイズの瓦礫を3つ。穴に落ちない程度の大きな石が炉の隣に置いてあり、別の石に魔獣から切り取ったであろう肉が並べられていた。
「使えばわかる。枝を底に敷き詰めてほしい」
「はあ……わかりました」
「あの、長いものは」
「とりあえずは入る物からで」
「わかりました」
2人が言われたとおりに底へ枝を及くと、今度は焚き火をするときのように長めの枝を中で組んでくれと言い出した。
その間、カインは枝の1本をナイフで削って何かを作っていた。先端を何度も薄く削り、けれどカスが落ちないよう途中で止めている。何度も繰り返されたそれは一種の花のようにも、あるいは羽のようにも見えるほどだ。
「それはなにを?」
「フェザースティックを……通じないか。火種にするための枝を作ってる」
「そんな方法が……。貴方の世界ではこういうのが当たり前なのでしょうか」
「いや、そうでもない」
カインはフェザースティックに魔獣から切り取ったであろう獣脂を擦りつけ、懐から出したオイルライターで着火した。
薄く削られ脂を塗られたフェザースティックには瞬く間に火が移り、種火には充分すぎるほどの火が出来上がった。それを2人が枝を組んだ炉の中へ投下し───地中にもかかわらず通風口を持った炉は種火を炎へと変えていった。
「凄い……これなら風も受けません」
「あとはそこらの焚き火と変わりない。適時薪を入れればいいだけだ」
そう言ってカインは大きく平たい石を半分ほど炉に被せ、ただじっと炎を見つめて動かなくなった。
……いや、よく見れば再び両手が魔素に染まっており、指先からは触手のように炎に向かって魔素が伸びている。魔素は炎の中でも燃えることはなく、今まさに炎を形成している薪を整えているようにも見えた。
「カイン様……?」
「ん? なんだい」
「もしもの話なのですが……カイン様は魔素を操っていらっしゃいますか?」
「できる気がしてやってみたら、思いの外難しい。簡単な操作が精一杯だ」
「操れるだけでも異常です」
「これまで、魔素を取り込み操る方は聞いたことが無い偉業ですよ?」
「それは……きっと隠されていたか、誰も触れなかっただけだろうね。魔獣はコレを使って防御していたし……いや、あれは魔素の本能なのかな。よくわからないが、わりと制御の効くモノだ」
炉の中の薪を整えると、もう少しで手が届きそうな場所に集めてある薪を、魔素の触手で絡み取ってくべていた。
「どうにも、これには親しみがある。具現化していなかっただけで、私の呪いは魔素だったのかもしれない」
「呪いとはどのくらいの付き合いを?」
「一生を。誰よりも長く一緒に居たな」
「人が魔素に取り憑かれた場合、例外なく正気を失うものと聞いています。おそらく、微量の魔素故にそこまでの力がなかったのだと思われます」
「ワクチンみたいなものか。……さて、そろそろ」
熱せられた石の上に肉を乗せると、温度に反応してか脂が一気に噴き出した。
どうやら噴き出したのは脂だけではないようで、サニアとエレインの興奮もまたしかりのようだ。2人は焼き上がりを想像してか、どうにもにやけた顔をしていた。
「そんな顔をして、この世界で獣の肉は貴重なのかい?」
「お肉が貴重というわけではありませんが、あれほど大きな獣、それも魔獣ともなれば興味も尽きません」
「そうです。あの規模は魔獣でなくとも王都の祭事に出せるでしょう」
「そんなに……。君らの技術レベルだと、この肉の鎧相手は致命傷にならないのか」
今の所確認できているのは、民家の瓦礫に混じって点在している槍や剣、あるいは簡素な洋弓ばかり。お世辞にも中型以上の獣を安全に狩るには足りていない。討伐するだけなら毒を用いる手段もあるだろうが、食用にはそれもまた現実的ではない。
つまるところ、基本的にはお手上げなのだろう。
「一部の戦士や魔導師でしたら、それこそ勇者ならば容易く倒すでしょうが……私では一撃を避けられずに終わります」
「フッフッ。私も、あんな奴の突進は避けられまいよ。今回は運良く助かっただけだ」
「勝算もなく相手をしたというのは、貴方の行動から見ると考えられません」
「全く無かったわけではないが、結果は最悪から2番目くらいか。相手も確認せず早まりすぎた。あんなのが相手だってわかってたら、迷わず逃げたろう」
「わっ、わたくしを助けてはくれなかったのですか!?」
「ピストルであれの相手は無謀が過ぎる。背骨への1発が効かなかったら今頃は私がお肉だ。……ええと」
カインは枝の1本を魔素の触手から受け取り、地面に魔獣を横から見た絵を描き始めた。
略図にしても不格好ではあるが、形を伝えるには充分な、そんな絵だ。
「この前足の上、頭よりも高く盛り上がったところ。ここに背骨という、大きく損傷するとそれより下の体が動かなくなる骨が入ってるんだが、それを運良く刺激できたわけだ」
「……なるほど。これはどの生物にも有るのですか?」
「手足が合わせて4本の生き物なら基本的に同じだと思うが、ここの生物については知らないから、違う時もあるだろうがね」
「犬や猫には、確かにこの場所に骨がありますね、首から腰にかけてでしょうか。わたくしたちエルフにもありますし」
「魔族やドワーフ、他にも多くの種族にあるかと」
「待った。エルフ? 神官の君が?」
「はい。わたくしが」
あっけらかんと伝えられた事実があまりにも衝撃的だったのか、カインは眉間の辺りを抑えて空を仰ぎ見、一息入れて口を開いた。
「エルフと言えば、独自の国と閉鎖的な環境やら不老長寿やら」
「今はだいぶ馴染んでますよね」
「以前の魔族大戦からでしょうか。わたくしはまだ、齢200と少しの未熟者ですが……」
「尖った耳は?」
「ありますよ。わたくしのは髪に隠れてしまう程度ですが、お見せしますね」
「あ、ああ」
そう言ってエレインが横髪を耳に引っかけると、そこには確かに丸みより遙かに尖りが目立つ外耳が存在していた。
とはいえカインが知っているような極端なものではなく、確かに髪に隠れてしまうのも頷ける、やや控えめで外側に出ていない形をしていた。
人間でも外耳の形はそれぞれだ。そう思えば、個体によって違いもあるのだろう。
「触れても?」
「はい。ご許可などとらずとも、わたくしはカイン様の物ですから」
「最低限の礼節だ」
カインは懐から取り出したハンカチで軽く手を拭い、指先で耳の輪郭をなぞるように指を這わせた。
触れる限り、軟骨の配置や構造、耳周辺の頭蓋骨は大差なく、あくまで耳介の形が違うようにしか思えない。やや外耳道が大きいようにも見えるが、やはりこれも個体差があるもの。つまるに、中の構造はさておきただの耳なのだ。
「んっ……ぅふ」
「まるで人と同じだな。画像編集ソフトで引き伸ばして形を変えたようにしか見えない」
「ぁっ、やっ……はぅ……」
「可能ならサンプルをとりたいが、この環境で培養手術は不可能だろうし……いや、そもそも保存もできないか。しかし綺麗だ」
「はひっ!?」
突然声をあげたエレインに驚き、さすがのカインもビクリと肩が動いた。
後ろで2人を眺めるサニアは怪しんだ視線で見つめていたものの、違うものに興味をとられたのか目をそらしてしまう。
「ん? 悪い。なにか?」
「いいいいえっ! なんでも……ござぃまひあっ!んっ、ふぅ……っ」
「肉、焼けてますよ。裏返しておきます」
脂で肉の焼ける良い音が響き、辺りには食欲を誘う香りが漂ってきた。
「ああ、ありがとう」
「ありやっ、ふぁう……んんんっ」
「血管も人とあまり変わりないのか……不思議だな、どういう進化を経てこうなったのやら」
「あっあにょっ、そろ……そ」
「っと……いつまでも悪いね。くすぐったかったか」
「そうでは……いえ、確かにこそばゆくはありましたが」
カインが耳から手を放し、髪を整えるように撫で始めた。
顔は相変わらず白いままだが、耳は充血を隠せていないエレインもどこか恥ずかしそうで、カインを見れていないように思える。
エレインはふいに髪を耳にかけ直し、今までのように隠しはしなかった。
「興奮していただけでしょう」
「興奮? なにに?」
「なななんでもありませんカイン様! サニアさんもなにを!?」
「耳元で囁かれて声を漏らしていては、言い訳も……」
ふっ。と短い溜息を吐き、サニアは肉を眺めていた。
2人のことは目を向ける気にもならないのか、もはや火加減と肉しか見ていない。
「あれは息が掛かってですね!?」
「そうなのか……悪い、配慮が足りなかった。あまりに興味があって」
「カイン様がわたくしの体に興味っ! それならば仕方ありません、ありませんとも!」
「仕方あるだろう。恩を返そうと無茶をしなくともいいんだからな?」
「無茶だなんて、そのようなことはっ」
「よしよし。ほら、夕食にしよう」
「あしらわれました!?」
ショックを受けて目を白黒とさせているエレインを気にかけることもなく、カインは焼き上がったであろう肉を石ごと火から離し、ナイフで綺麗に3等分した。頷いた様子から焼き上がりには納得したようだが、どうにも気にかかるらしく、うち1つを更に3等分して残り2つをそれぞれに分け与えた。
さも当然のように分け与えた残りをカインが己に取り、それぞれへ差し出したのだ。
「肉だけで悪いが、2人とも食べなさい」
「いえ、あの……カインの分が」
「遠慮なさらず、きちんとお食べになってください」
「あれだけ肉があるのに、遠慮する理由も無いだろう。歳のせいか、あまり肉を食べると胃腸が滅入ってしまうだけだ」
胸元の革を剥がされ、肉をみせる魔獣をナイフの先で指し示すと、2人もそれもそうかと納得した反面、カインの歳が気になるのであった。
顔は見えないが、動きに老いた者のそれは無い。思考も乱れてはいないように思えるし、なにが歳だというのだろうか。子ども扱いする人当たりはやや気になるが。
「塩と香草くらいしか添えられないのが残念だ」
「野宿でこれだけの肉が食べられるだけで上等、いえ、それどころではありません」
「王都の宿でもこれほどのものは……」
「そうなのか……。ああ、一応魔素は抜き取っておいたから」
「抜けるものなんですか」
「こいつでこう……ばくりと」
「ひゃっ!?」
焚き火の中でうねっていた魔素の触手が蛇のように口を開くと、カインの分の肉を丸呑みにしてしまった。
が、どうにもその様子は違和感があり、よく見れば肉が置いてある石も貫通している……というか、透過している。咀嚼をするわけでもなく、何事もなかったように触手は炉の中に飛び込み薪を弄り始めた。
一方、肉はと言えばこちらも一切変わりなく、本当に触手が飲み込んだのかすら疑問に思うほど。
「どうやら、魔素は実体に干渉ができないらしい」
「実体に? ……しかし、それでは魔獣やこの触手は」
「原理は知らないが、私が触れようと念じれば触れられるのだから、そうとしかわからない」
触手が薪の1本を炉から取り出すと、巻き付いたままであるにも関わらず、その体をすり抜けて薪は炉に落ちた。
曰く、念じれば触れるが、力を抜くと透過するらしい。
2人はなるほどと頷くばかりだが、魔素についてはわかっていることが少ないため仕方の無いことだ。仮に解明されても、認知されるのは難しいだろうとカインは思っているが。
「まあ、この手のモノは聖水と聖典で殴れると相場が決まってるいるがね。そろそろ食べようか?」
「そうですね。魔素の事はまた今度」
「それでは、大地と天上の神に感謝を捧げましょう」
「あー……。わかった、従おう」
エレインが流れるように両手で聖印を結んだのを見て、カインとサニアは顔を見合わせ従うことにした。
サニアは神を信仰してはいないが、カインはと言うと別の宗教で位のある人間だ。本来ならありえてはならない行為であるが、そも彼に信仰心というものは無い。なんら抵抗もなかったのだろう。
2人はエレインに続いて祈りを復唱し、見様見真似で聖印を切るのだった。
「────っ! 焼いた後なのに、こんな柔らかさを」
「式典のお肉より素晴らしいです……!」
「それは良かった」
2人は一口目から目を輝かせ、口々に感想を漏らしていた。
カインは調味料の少なさに少し物足りなさを感じたが、香草と塩だけも悪くはない、と再認識するのだった。
「……そういえば、この国の宗教は肉を食ってもいいのか?」
思い出したように口にした疑問は、あまりに遅すぎるものだ。
本人が食べている以上、問題は無いはずなのだが。
「禁とされているものもあります。神の御心に背くことなかれ。略取に走ることなかれ。嘘を吐くことなかれ。生を殺むことなかれ。人を食むことなかれ。以上5つを禁忌とし、他の罪を許すことが神の御心とされています」
「人の肉か。しかし、人にエルフや他種族は入るのかい?」
「今では交流のある種族、あるいは言葉の通じる種が範囲だろうとされているらしいですね」
「はい。人の世では亜人と呼ばれていますが、そこまでを括りにする解釈が一般的です」
「ふむ……。従え、盗るな、偽るな、殺すな、一線を越えるな、か。珍しさはとくにない」
カインの記憶する様々な宗教知識からしても、それほど珍しい戒律ではなかった。あくまで禁忌がこれらであるというだけで戒律は他にもあるのだろうが、少なくともここまでならそこらの宗教となにも変わらない。
亜人の1つであろうエルフが神官をやっている点からしても、他種族に寛容であることが伺える。
「亜人差別はあまり無いのか」
「そういった思想の方もおりますが、最近では種族の違いを気にしない方が多いように感じます」
「異種族間の夫婦も増えましたしね」
「他種族で子が産まれるのかい?」
「ええ。私は人とのハーフエルフです」
「なるほど、ハーフ……えっ」
「えっ?」
「えっ」
「「エルフだったのか?」ですか?」
「気づいてなかったんですか!?」
呆れたのか、サニアは大きく溜息を吐き再び肉を食べ始めた。
カインとエレインも続くが、カインにはどうにも疑問が晴れずにいた。エレインがこの見た目で200余なのはまだいい。だが、その場合サニアはいくつなのか、そもそもハーフエルフはどういった存在なのか……と、興味が尽きないのだ。
「歳を訊いても?」
「……私は人の血が濃く出ているので、見た目通りです」
「なるほど……。ちなみにエルフの寿命は」
「わたくしの種は1000を超えると言いますが、里を離れた者は戦などで命を落とす方が多いように思います……」
「ハーフエルフはどちらの色が濃いかによりますね」
「耳は」
「少し角張っている程度かと」
「なる……ほど」
相変わらず顔の見えないカインだが、その視線がサニアの耳を捉えていることだけは確かだった。その視線に二人も気がついたのか、エレインはまたも耳を紅くし、サニアは髪で隠れている耳を手で隠した。
「あっ」
「見ないでください」
「見るならわたくしのをっ」
「どうどう。落ち着きなさい。……とりあえず、明日からのことで相談をいいかい?」
流すようにして言及を逃れたのを良くは思っていないらしく、サニアはやや不満げな顔だ。
対してカインは咳払いをし、全員の手が止まるのを待っていた。
「我々の最終目標は勇者の暗殺。ただし条件として、戦争を引き起こさずに事後処理も……というのがある」
「その通りです」
「ある程度の犠牲は仕方ありませんが……」
「最低限は目を瞑ろう。そして、直近の目標はエレインの祈祷を完遂すること。これが優先される」
「異存ありません」
「申し訳ありません。お手を煩わせてしまい」
「構わない。暗殺なんてのは数日で終わるものじゃない。それともう1つ、目下の問題がある」
「まだなにか?」
サニアとエレインが首をかしげていると、カインは壁の外を指さした。
朱く染まる夕暮れの中でも一際目立つその姿は遠目でも気づけそうなもので、あまりの巨大は横たわる今でさえ威圧感を放ってくる。
ようは、魔獣の死体をどうするか……ということだ。
「あの規模を運ぶのは……なあ」
「…………街から荷馬車を数台呼びましょう。騎士団に事を話せば取り計らって貰えるはずです」
「祭事になるような規模を信じて貰えるのかい?」
「……一端の冒険者では、信用に足りないでしょうね」
サニアが首を横に振ると、おずおずとエレインが手を挙げていた。
カインはどうぞと手で促してみせる。
「では、わたくしが教会の方から試みます」
「神官なら、か。ならそれで。祈祷に期日は?」
「次に月が丸くなるまでにはと」
「月が……なるほど。それまでに諸々用意はしたいな……」
カインは肉を囓り、意識を頭に切り替えた。
今、成すべき目的は多くない。
だが、カインはこの世界のことを知らない上に、いざ野獣の居る自然の中を闊歩できるような装備もない。本来なら野営用の装備一式と、また魔獣に襲われたときのためにライフルとショットガンを携行したいぐらいの気持ちではあるのだが、いかんせんこの世界で補給は望めない。存在するのは地下倉庫にある限りなのだ。かといって惜しむあまりに危険を増やすのも頂けない。効率的に、そして的確に弾薬を選び使わねばならなかった。
故に、まずもって勝手の利く武器が必要だ。この世界で入手でき、かつ補給の可能なもの。そして武器を得るには金銭が要る。そのためにはサニアに預けた硬貨を金属として売らねばならない。
野営をするにも夜間の気温によっては野晒しも望めるが、場合によっては死ぬ危険すらある。極力宿を取るなり焚き火を切らさないなど、気をつけなければならない点は多い。
諸々を鑑みたところ、カインの頭の中は不安で一杯だった。感情が顔に出ても、誰にも見えないのが救いか傷かもわからないが。
「明日、日の出と共に準備をして街へ向かおう。たしか北だったね?」
「ええ。日が半分も昇る前に着くと思います」
「なら、街に着いたらエレインは荷馬車の手配を。私とサニアは雑用を済ませて待機。合流後はここへ戻り肉の処理をし、終わり次第祈祷の準備にかかろう」
「わかりました」
「御心のままに」
「…………よし。まだ食べるかい?」
2人が食べ終わったのを見終えて、カインも最後の肉を飲み込んだ。
「わたくしはこれで」
「あの、明日の朝もいいでしょうか……?」
「朝から肉とは……これも若さか。大いに結構、用意しておこう」
「あっ、ではわたくしも、半分ほどの量で……」
「足りなければ焼くから、我慢はしなさんな」
若いのは力だな、なんて思いながら、カインは乾いた笑いを漏らしていた。正直なところ、カインはあまり肉が好きではない。嫌いでもないのだが、脂を切らずに食べると胃もたれを起こす程度には歳なのだ。故に、可能なら煮てから焼きたい。
若い頃に無茶を無茶で塗り固めるような生活をしていたせいもあり、その体は隠居を勧められる程にはぼろぼろだ。それでも尚、無茶で上塗りをして隠してしまうのだが。
「そろそろ移動しよう。月明かりの散歩も良いが、人を襲う獣がいては風情も食われそうだ」
「移動、ですか? この近くにまともな建物はないと聞いておりますが……」
「丘の上に教会がある。私の家みたいなもの……と思っていい」
「教会が与えられる程の地位なのですかっ?」
「元々、あの教会はどこぞの莫迦がカオナシの話を人格神に見立てて……いや、この手の話は面倒だから、また今度。ともかく、君が着れそうな服もあった気がするから、今夜はそこで」
カインは焚き火に土を被せ、上から石を撒いて踏み固めた。
途端に辺りは暗くなり、人の顔すら見えないほどの闇に包まれた。かろうじて自分の胸元が見えるか……といった明るさだ。いつのまにか朱かった日は完全に沈み、月や星も雲に隠れてしまったらしい。
「お待ちください。今灯りを……」
「なに、すぐに月が見える。お手を失礼」
カインは暗闇の中で2人の手を取り、間に入るようにして手を引いて立たせた。そのまま辺りを囲っていた壁の残骸の隙間を通っていき、すぐに丘のふもとまで案内してしまう。瓦礫があれば手を引いて避けさせ、踏んで転びそうな欠片は蹴り飛ばし、なにも見えない筈の暗闇を庭のように歩いていた。
「この暗さで見えているんですかっ?」
「十分な明かりだ。2人の瞳がこれでもかと開いているのも見える」
「驚いた……まるで獣のソレです」
「間違ってはいないな。そうであれ、とされた」
「カイン様の過去、でしょうか」
「……そうだな。さ、もう見える頃だろう」
雲も切れ月が空から覗くとともに、カインは2人の手を離して数歩先へ行き振り返る。
青白い月明かりに照らされた姿はやけに不気味で、その服が神聖な意匠を持つものであるとわかっていても、どうしてか安心できる気がしない。
顔が見えないから?それだけだろうか。
永き時を自然と共にしてきたエルフですら見えない闇を見通し、この世界に存在しない奇妙な武器を使い、更には誰にも制御できないとされてきた魔素を、用途こそくだらないが扱ってみせた存在が。
はたして、顔が見えないというのは、彼の印象のどの程度を占めているのだろうか。
「月、似合ってますね」
「吸血鬼なんて云われたこともあったな」
サニアが冗談めかして誉めてみせるも、その言葉はわずかに震えていた。
エレインも耐えきれなかったのか、息を吐く代わりに話題を合わせてみせる。
「さながら、夜の帝王でしょうか?」
「夜の、と付けると、なんでもアダルトな香りがするのは気のせいか」
彼の言動は優しいものであった。
サニアは出会ったときこそ敵意を向けられたが、今はまるでそんな雰囲気を感じさせない。近所に住む誰かのような、昔からの顔見知りであるような。危険かどうかを判断する前に、何故か2人はカインを”危険ではない”と思わされていたのだ。
2人は今こうしてカインの姿を見て、背筋に走る悪寒をはっきりと感じていた。
この人は何かがおかしい───恐怖ともとれるどろりとした感情が、丘を登る足にまとわりついて離れない。
「ああ、でも夜の居酒屋は明るそうなイメージ。夜の屋台だと親身なおやっさんが居そうだ」
「カインの居た世界では、夜の、という隠喩があったのですか?」
「あったな。他にも若い子たちがすぐいろんな言葉を作るから、中々ついていけなかった」
小さく鼻で笑いながら、カインは何かを呟いてはやれ懐かしいだの、やれついていけんだのとぼやいていた。
彼がどんな日々を送っていたのかを2人は知らない。
戦争のために自分はあった。そう言っていたことから戦いに慣れているのだろうとは察しがつくが、はたしてそんな人間がここまで当たりの良い人物になるだろうか。歴戦の騎士が持つ優しさは施しのそれだが、カインから感じるのはやや違う。まるで、償いのようにも感じ取れてしまうような、どこか薄っぺらいというか、脆さを感じてしまうのだ。
「…………私は、やはり怖いか?」
「えっ!? い、いやっ、そんなことは……」
「エレインはどうだい?」
「……はい。とても。形容しがたい寒気がします」
「エレインさん! これはっ、そのっ」
サニアは慌てていた。
これから一緒に行動しようという中で、誰かを怖い、恐ろしいなどと打ち明けるのは危険な事だ。早々に不和を招くし、簡単に決別を起こしてしまう。冒険者として不特定多数の人々と旅をしてきた事からの経験が、この流れに対して早鐘を鳴らし続けている。
目的のためにも、今ここでカインの協力を失うわけにはいかない。サニアは戦争の回避を願っているが、カインはあくまで娘を囲っている勇者の抹殺が目的。ここで仲違いをすれば結果は変わってしまいかねないのだ。
「どうしてそんなことを……!」
「わたくしは嘘偽りを申しません。神とカイン様に誓ってです」
「言わなくてもいいものもあるでしょう!」
「言ってくれた方が助かるな、私は」
「カイン!?」
サニアがエレインに詰め寄っていた隙に、カインはエレインの目の前で片膝を付き、片手をとって撫でていた。
音もなく近寄られていた事にサニアはぞっとしたが、それよりも耳に入った言葉の方が頭を駆け巡ってしまう。自分を怖いと言ってくれなどと、とてもじゃないが正気の沙汰ではない、変な趣向でももっているのではと考えてしまう。
「誰彼構わず好かれたいわけではないが、敵でないのなら怖がられたくもない。怖い時は怖いと言ってくれると嬉しいね、気をつけよう」
「はい。では、そのように」
エレインはカインの手を握り返し、小さくぽそりと祈りを句を呟いた。
「っ……正気ですか、カイン」
「もちろんだ。……とはいっても、私はどこか壊れているらしいから、ある意味では正気ではないがね」
「はぁ……。わかりました。貴方が構わないなら、これ以上はやめておきます。行きましょう」
「ああ。エレイン、行くよ」
「はい、カイン様」
祈りを終えたエレインの手を引き、先に歩みを進めていたサニアを追い抜くと思いきや、その手を取るやいなやカインが急に笑い始めたのだ。
夜の森を統べる者の如く、笑い声に呼応してか鳥たちが飛び立ってゆく。一部の群は安眠を邪魔したカインの方へと飛んできたが、月がその姿を照らすと共に逃げ去ってしまった。
「ちょっ。急になんですか!?」
「カイン様っ!?」
「気分が良い。そういうときは笑うべきだと学習しているが、違ったかい?」
「今は違います!」
「そうか、それは失礼。ならやめておこう」
2人の手を引いていた力がすっと抜け、ピンと立っていたカインの背筋もどことなくうなだれてしまっている。
「そんなしゅんとしないでください! 子供ですか!」
「カイン様、可愛い……!」
「そっちも拗らせてないで、はやく行きますよ!」
そうしてやいのやいのと騒いでいると、いつのまにか丘を登りきっていたらしい。
教会に着くなりカインはライターで照らしながら、どこからか予備の白い祭服を見繕い、エレインは丈が合うのを確認だけして朝に着替えることにしたようだ。そのままカインに案内された部屋に入り、2人は物珍しげに内装を見回している。
「この部屋を自由に使いなさい。私は聖堂に居るから」
「こんな立派なお部屋をですかっ?」
「いいから。何かあれば呼んでくれ」
部屋にあったいくつかのロウソクに火を移し終えると、ようやく部屋の全体が見えた。客間に思える、質素ながらも泊まるのに必要なものの揃った部屋だ。主にセミダブルサイズのベッド2つが床面積の大半を占めている。
エレインはこれでもかと事細かに家具を眺めているが、部屋を去ろうとしたカインをサニアが呼び止めた。
「待ってください。なぜ別行動を?」
「なぜって……君たちが寝るのだから、私は別室に」
「野宿で同じ事が言えるとでも。今後は同衾することもありえるのですから、早めに慣れておきたいのです」
「いや、野宿なら私は夜警でもしていれば」
「肉を食べて気分を悪くする歳の人に、そんなことを任せられません。寝てしまうかもしれませんし」
「私を早寝早起きの爺さん扱いするのはやめてもらおうか? そこまで歳いってないからな?」
そう言いながらカインが部屋にあったコーヒーメーカーにカップを置きボタンを押すも、異世界であるを思い出して諦めた。些細なところに頭が回ってない辺りは歳だろう。
「あの、カイン様?」
「なんだ」
「魔獣に襲われ傷心しているわたくしが安眠を得るためにも、ご一緒願えませんか?」
「そんなことを言える時点で……───」
2つあるベッドの片方に腰掛けるエレインは、サニアに見えないのをいいことにウインクをしてきた。
なるほど、自分のせいにして慈悲をと理由をつけ、さっさと此の場を納めよう……と。そう受け取ったカインは溜息を吐き、降参を示すように両手を挙げて見せた。
「私の負けだ。お嬢様にそうまで請われては断れんね。……ベッド動かすの手伝え」
人1人分の隙間があったベッドを並べ、3人でも使える程度の幅にする。
大の男が混ざっていたら難しいが、幸いカインは女性とあまり変わらないほど細身だ。これだけあれば3人でも事足りるだろう。
「で? 並びはどうする」
「わたくしはカイン様の隣でっ」
「……私は、慣れたいだけですから。隣はちょっと」
「なら、エレインが真ん中だな」
各々が上着を脱いでいき、サニアとエレインが肌着だけになりベッドに横たわった。こうして見るとどうにも犯罪臭がすることに気がついたのか、カインは誰かにこの状況を愚痴りたい気分ではあるものの、その相手がいないので仕方なく飲み込むしかない。
着ていたキャソックを脱いでコート掛けに吊し、左腕に括られていたナイフと着脱式のベルトを外して棚に置くと、吊られた品々がゴトゴトと重苦しい音を響かせた。
「あの……それにはいったい、なにが?」
「ベルトか? 拳銃……武器2つに予備弾倉3本、応急止血用具と非常時用野営道具、ナイフが大小2本、小型の雑嚢と回収品用の雑嚢と手榴弾だな。手榴弾は使ってしまったが」
「見ても聞いても騎士団や冒険者の装備を上回っていることしかわかりません……」
「これがないと、私はただの人間だ。きっと君より弱い」
部屋のロウソクを一通り消したカインがベッドの端に腰掛け、ブーツの足首につけられた3つ目の拳銃を抜いて脱ぎ捨てる。……と思えば、そそくさと揃える辺りが妙にマメだ。
「カイン様、それは?」
「これも武器。いわゆる最終手段、だな」
ベルトについていた2つとは違い、足首につけられていた拳銃は回転式弾倉を持つリボルバータイプ──2.5インチバレルのキングコブラだった。よく見れば、ブーツに予備の弾が数発とナイフまで括られている。
下半身だけで拳銃3つとナイフも3つ。なんとも偏った装備だが、彼がこれまで行ってきた”断罪”は室内であることが多く、また服に隠せない規模の物は持ち込むのが難しかった。最終的に裁かれたのは1000人を超えたが、それだけの経験からたどり着いたスタイルでもある。
「どれだけ持ち歩いているんですか……」
「キャソック……上着を除けば7つ」
「まさか、あの服にもなにか」
「まあ、いろいろな」
「…………そうですか」
吊されているキャソックを横目に、サニアが再び溜息をついた。今日だけでもう何度目かもわからないが、それだけ想定外の事ばかりが起きているということなのだろうと自分を納得させ、ベッドに横たわるのだった。
神託の下で異世界から選定された生命体を召還する、本来ならば時代の変革にすらなりかねない発端を自身で行ったばかりか、それが勇者の方でも行われていたのだ。間違いなくこの世界の歴史は動くし、今後は日常に戻れることはありえないとすら思える。なら、溜息ばかりになっても仕方ないのかもしれない……そんな思いが頭を巡るが、それはベッドの柔らかさに包まれ眠気へと変わってしまう。
こんな柔らかい寝床もついてくるのなら、まあいいかな……なんて。
「武器と言えば、エルフは弓を使うのかい?」
そういえば、と気がついたことがあったのか、カインは手櫛で髪を梳いているエレインに質問を投げかけた。
手元では先ほど出したリボルバータイプの拳銃をいじり、弾や動作の確認をしているようだ。本来6発入るはずのシリンダーには5発が装填され、1カ所は空洞のままだ。これはカインが個人的に備えている保険の1つで、普通に操作しただけでは1発目が空撃ちになるようにというのと、他にも理由があるらしい。
これも経験だろう。
「ええ。狩りの基本です」
「他には」
「他……ですか? 剣や罠も使いますが」
「それだけかい?」
カインはなにを聞き出そうとしているのか、エルフの使う武器について執拗に訪ね始めた。
ただの興味なのか、あるいはなにか意図があるのか、エレインもそれはわからず頭をひねって考えている。
「そうですね……稀に斧を使う方も居ますが……」
「クロスボウは」
「クロス……? いえ、そういった名前の物は。お力になれず申し訳ありません」
「名称違いか? 小さな弓を棒の先端につけたような武器は」
「……残念ですが」
エレインも頭の中で形を想像してみたものの、それらしい武器は見たことがない。
首を振って答えてみせると、カインは顎に手を当てて考え込んでしまった。
「紀元前の武器が無い……。そうか……わかった。ありがとう。明日は早いから、もう寝ておきなさい」
「はい、カイン様。それではご一緒に」
「はっ?」
未だ腰掛けていただけのカインの首もとにしだれ掛かり、エレインはいとも簡単にカインを倒してしまった。虚を突かれたのもあるだろうが、カインにはどうにも力が強く感じる。なんというか、単純に腕力が強いような、見た目以上に鍛えられている感覚だ。
「随分と力強いな……」
「神官になる前は、里で弓の教導をしておりましたから」
「教導ね……。そんなにうまかったのかい?」
カインは出したままだったキングコブラを枕の下に押し込み、おとなしく天井を眺め始めた。
エレインも寝ることを意識し始めたのか、あるいは思い出にでも耽っているのか、カインに組み付いていた腕も解いている。
「里では3番目でしょうか。上の2人は他者が真似できるような技量ではなかったり、人前が苦手だったりで」
「それで、エレインに役目が回ってきたと」
「ええ。……あの、カイン様?」
「なんだい」
「その、不躾で申し訳ないのですが……もしよろしければ、腕枕をしていただくのは……」
もぞもぞと布団を引っ張り顔を隠しながらの提案は、エレインにとって相当に恥ずかしかったらしく、今までとは違って頬すらも赤くなっているのが見えた。
それこそ勇気を振り絞っての事だったのだろうとカインも察したが、一言だけ”できない”と返すだけだった。
「ぁ……やはり、そこは奥様の?」
「違う。元より私に妻はいない」
「では、マリーさんの?」
「そうでもない」
怯えたような、微かに震えた声に耐えきれなかったのか、カインはエレインの手を握って言葉を続けた。
「恐怖や不安を違うもので塗り固めようとするのはやめなさい。そうしたら、私はいつでも構わないから」
そう言って手を離し、カインは黙り込んでしまった。月明かりしか入ってこない暗闇の中で、顔を覆う靄は更に闇を濃くしている。そこにはなにもない。そう言いたげな闇の中でも、瞳があるであろう場所だけは微かに紅く光っていた。眼光と呼ぶには極端で、けれど思い違いともいえない淡い光。
「…………なにも知らないのに、どうして……」
言葉と共に自覚してしまった、胸の中に蠢く真っ黒な感情。きっとそれは、カインの言った通り恐怖なのかもしれない。それでも、そうではないと信じたい。思い出したくないものだってある。考えたくないことだってある。
「どうして……貴方は……」
全てを飲み込んでしまうような、顔とも呼べないカインの横顔を見てか、エレインはただ、その人の肩に涙を零していた。
……その隣で、居辛くて逃げ出したいハーフエルフが居たのは、また別の話ということで。
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