■31.馬子にも衣装

クリスマス前のあの寒い夜、私はエステに行った帰りだった。

寛いでいたはずが急にそんなことを思い出した。

久し振りに全身をマッサージしてもらった為だろうか。

元彼に未練は全く無い。それでも今思い出すといい気持ちはしないものだな、と思った。


「ユカリ様、そろそろお召し替えを致しましょう」


メイド長のワートンさんの声に俯いていた顔を上げた。


「あら?少しお顔が優れませんね。何かご不便がございましでしょうか」

「いえ、すみません。少し前にあった嫌なことを思い出しただけなんです。マッサージとても気持ち良かったです」

「左様でございますか?もし何かありましたらおっしゃってくださいませね」

「はい、ありがとうございます」


そんなに顔に出ていたのだろうか。

マッサージをしてもらって気持ち良かったのは本当だ。思わずうとうとしてしまったくらいに。

こんなに至りつくせりしてくれている相手に心配をかけてしまったことに申し訳なくなる。


「すみません、心配してくださって、ありがとうございます」


思わずそう言う。


「いいえ、それが私たちの仕事ですから」


ワートンさんはそう言うと、とても優しく笑ってくれた。

なんて素敵な女性なんだろう。紫は素直にそう思った。


「しかしそんな事を考えていられるのも今のうちですよ、ユカリ様。今からはどうやって呼吸するのかを思い出す時間となるでしょう」


そう言うと、優しかった笑顔が一瞬にして悪魔のような笑顔へ変わった。


「え?」


そう言って固まってしまった。

そこからは正に地獄のような時間だった。

本当になんて思い出す暇も無いほどに。


「ユカリ様、思いっきりお腹をへこますのです!息を全てお吐きください!」


今、メイドさんが三人がかりで私を苛めています。

すみません、本当だけど嘘です。

私は人生初、コルセットを着けられています。

何これ、本当に息が出来ない。地球と変わらないと思われるコルセット。もしかしてこれも地球から来た誰かが広めたの?そうだとしたら何て物を広めてくれたんだ!と文句を言いたくなる。


そしてコルセットを着せられるということは…


「次はこちらをお召しいただきます」


まだ息も絶え絶えなゆかりにそう言ってワートンさんが見せてくれたのは、Aラインで丈の長いドレスだった。

ぱっと見、紫色むらさきいろだと思ったが、よく見ればコバルトブルーのような青地のドレスの上にピンクの薄いシフォン生地が重ねられている。遠くから見ると紫色に見えるが、シフォンの重なり具合で色合いが少しずつ異なり、すごく綺麗だ。

一字肩型で首と肩は出るけど二の腕のところには紫色の薄いレースがあしらわれている。

首元がスッキリ見えるタイプのドレス。

派手な装飾は無いが、繊細な刺繍が施してありとても綺麗。

ドレスのあまりの美しさに思わずほぅっとため息が出てしまった。


「綺麗なドレスでございますね」


メイドさんのうち一人がそう言った。彼女もうっとりとドレスを見ている。

ワートンさんが一瞬彼女に咎める視線を送ったが、それを紫はやんわり阻止する。


「ええ、とても素敵ですね。これを私が着ていいのですか?」


メイドは無駄口を叩いてはいけないのだろう。しかし素直な、思わず漏れてしまった感想を咎める気にはなれなかった。寧ろこのうっとりするほど綺麗なドレスを綺麗だね、と共感できることが嬉しい。


「もちろんでございます。さぁユカリ様、もうひと踏ん張りですよ」


そう言うと、ドレスの着付けが始まった。

コルセットのおかげでいつもよりボリュームアップした胸元が、自分で見てもセクシーで思わず赤面してしまうが厭らしくは無い。

谷間はレースで上手く隠されている。

ドレスのサイズがまたもやピッタリだったのは気にしない。気にしたら負けな気がする。


ドレスを着た後は一人がメイク、一人が髪、一人がネイル、とまたもや三人がかりで紫を囲み一斉に作業を開始する。

それぞれがぶつかること無くベストポジションで作業をする様は見事としか言いようが無い。


ネイルが最初に終わり、ネイルを担当していたメイドさんがアクセサリーを持ってきた。

ネックレスとピアスだ。


「ユカリ様はピアスの穴が空いているということで、ピアスをご用意させていただきましたが問題ございませんか?」


ワートンさんに聞かれ「はい」と答えた。

メイクしてもらっている最中でちょうど目を閉じているため、どんなアクセサリーなのかちゃんと見えない。

どんなのだろう、とわくわくして目を開けた。


ピアスとネックレスはお揃いだった。

ピアスは垂れるタイプのもので上部に真珠、そこから少しチェーンで垂れた先には星型のようなお花。そう、馬車にも描かれていたあの花に似ている。

ネックレスは三連パールで中央には大き目のパール。そこから垂れるようにして星型の花がついている。

花はシルバーのワイヤーのようなもので模られており、花の中央にはまた小さめではあるが真珠がついている。


全てを装着し終わると、用意してくれたドレスとお揃いのヒールを履き、鑑の前に立った。

そこには自分ではない物語の中のお姫様が立っているように見えた。

一見紫色に見えるドレスは少し動くたびにその色合いを変え、目が離せない。

プロによって化粧された顔は普段より大人っぽく見せ、目鼻立ちがはっきりしている。

髪は綺麗に編みこまれ、ネックレスやピアスに合わせて真珠が所々に飾られている。

指の先まで油断なく綺麗に整えられ、爪は薄いピンク色の艶を放っている。


「ユカリ様、とてもお綺麗でございます」

「ユカリ様、よくお似合いでございます」

「ユカリ様、誠に美しゅうございます」


今までドレスから髪から何もかも支度をしてくれたメイドさん三人がそれぞれお褒めの言葉を言ってくれた。

彼女たちが頑張って仕上げてくれた私という作品。

「馬子にも衣装」という言葉が脳裏をよぎったが、謙遜するのは逆に彼女たちに失礼だ。


「ありがとうございます。皆様のおかげです」


三人に向ってにっこり微笑みお礼を心から言った。

するとメイドの三人も更に笑みを深めてくれた。


「元々可愛らしいお嬢さんでしたが、本当に美しくなりましたね。お坊ちゃまも目を奪われるに違いありません」


ワートンさんまでベルナルドさんのことを「お坊ちゃま」と呼んでいるのか、と少しほほえましく思った。


「あらつい、お坊ちゃまとお呼びしたことは内緒にしてくださいませね。怒られてしまいますわ。どうしても昔の癖が抜けないものでして」

「ええ、分かりました」


二人でクスクス笑いあった。


「それでは軽く食事に致しましょう。靴は一旦お脱ぎいただいて結構です。楽にしてくださいませ。コルセットをしているのであまり食べられないとは思いますが、食べやすいサンドイッチを用意しましたので、無理しない程度にお召し上がりください」


ワートンさんがそう言うのと同時にメイドさんが軽食を運んできてくれた。

サンドイッチなのは食べやすく、お化粧も崩れにくいからだろう。

サイズも食べやすいサイズにカットされている。

食事をテーブルに並べている間、メイドさんのうち一人がドレスを汚さないように白いエプロンをつけてくれた。

コルセットのせいでお腹がぎゅうぎゅうに締め付けられており空腹感は全く無いが、時間は十二時を過ぎている。

この後何があるのかまだ良くは分からないが、空腹でお腹が鳴ったら恥ずかしいので少し食べることにした。


侯爵家の食事はやはりとても美味しかった。サンドイッチとは言え侮れない。

ベルベス亭の食事も負けてないけどね!

でも、この食事を是非コルセットをしていない状態で堪能したかった。


この世界にもストローはある。もちろんプラスチック製では無いが、とても似たような物でレストランでもたまにお出しする。

今もドリンクはジュースをいただいているのでストローで飲んでいる。

化粧した後だとストローの方が化粧崩れがしにくくて助かる。


食後、歯を磨かせてもらい、少し化粧を直した。

全ての支度が整った午後1時過ぎ、コンコンと扉がノックされた。


「ユカリ、扉を開けてもよろしいですか?」


ベルナルドさんの声だ。


「はい、大丈夫です」


そう答えると、ゆっくりと扉が開き、ベルナルドさんが部屋に入って来て紫をじっと見つめた。

頭から足の先までじっくりと見ると、うん、と頷いた。


「ユカリ、今までの貴女あなたも可愛らしかったですが、今の貴女はまるでの女神のようですね」


おっと、知らない単語きた。「せいか」って何だろう。

でもその「せいか」が幼子でも知ってるようなものだったらと思うと聞けなかった。

「聖歌」という漢字しか思い浮かばない。賛美歌的な?

うん、分からないことはあの奥義を発動しよう。笑って誤魔化せ。今度絶対図書館に行こう。調べたいことが多くなってきた。

しかし「女神」とはまたこそばゆい台詞を。


「ありがとうございます」


思わず照れてしまうような賛辞に頬が赤くなっていることは間違いないだろう。


「その身を飾っている物が、私からの贈り物でないことがこんなに悔しいとは思いませんでしたよ」


そう言うとベルナルドさんは手を頭の方に持ってきてハッとして戻した。

今絶対なでなでしようとしたでしょ。

今日は髪を綺麗に結っているため、髪型を崩さないように手を止めたようだった。

そして気になる単語。「贈り物」と言った?


「え、贈り物ですか?これ、借り物だと思ったのですが」

「すみません、今のは失言でした。聞かなかったことにして一旦忘れてください」


ベルナルドさんはそう言うとにっこりと笑った。

あ、これ笑って誤魔化された。

こちとら特技に書かれちゃうくらいの本家大元(?)の笑って誤魔化せが出きるので笑っても誤魔化されませんが、ここは大人しく誤魔化されたふりをしてあげよう。


「うーん、よく分かりませんが分かりました。一旦忘れることにします」

「ありがとうございます。ではそろそろ行きましょうか」


やはりここから移動するのか。そうだよね、今更だよね、分かってましたとも。


「やはり、お城に行くんですか?」


分かっててもつい聞いてみる。


「ええ、そうです。また先ほどの馬車に乗ります。先日歩いた城の前の道も馬車で行きますから、歩く距離はそこまでないので安心してください」


ああ、そういえばお城は目の前に見えるのになかなか終わらない一本道がお城のまん前にあったな、と思い出す。

確かに馬車が通れるくらいの横幅もあった。

そしてお城に行く覚悟も決める。


「わかりました」


そういうと、ベルナルドさんにエスコートされ玄関まで歩いた。

玄関で振り向くと、また執事さんとメイドさん、フットマンさん一同がずらりと並んでいた。

執事のパーチェスさんからもお褒めのお言葉を頂戴した。


「それでは行ってくる」


ベルナルドさんがそう言うと皆さんが一斉にお辞儀をし、パーチェスさんとワートンさんが「行ってらっしゃいませ」と言った。


「ワートンさん、ありがとうございました。行ってきます」


紫もあわてて挨拶をした。

するとワートンさんが嬉しそうに「行ってらっしゃいませ」と返してくれた。


また馬車では一人の時間を過ごした。ドレスが嵩張るので一人で助かった。

窓から外を見れば、ちょうど王城前のタッチ&ゴーの場所を過ぎたところだった。

前来た時はお城の一角、魔術師の棟と暁隊の隊舎。

今日は紛う事なくお城の中心に行くのだろう。今更ながら緊張してきた。


ドキドキする胸を両手で押さえてようとしたら手にドレスが触れた。

そして手を見る。ドレスを見る。髪に軽く触れてみる。

メイドさんたちが一生懸命今の私を仕立て上げてくれた。大丈夫。怖い場所に行くわけじゃない。

馬車の中で深呼吸をして、手の平に「人」という字を三回書いて飲み込んだ。

よし、大丈夫!

さぁこれからお城の観光だ!そう思う事にした。

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