■30.執事喫茶もメイドカフェも未体験です

レドナンド様ことレドくんから手紙が届いてから二日間は何事もなく、レストランではメニューを覚えることに奮闘しながら過ごした。

常連のお客様にはだいぶ私のことを覚えてもらえ、「ユカリちゃん」と気さくに話しかけてくれるお客様が増えたことが何気に嬉しい。


今は山小屋の自室でパソコンを起動し、お菓子のレシピの検索中。

二日後に迫った女子会に持って行くお菓子をどうしようかまだ悩んでいるのだ。

レストランのコックさんに聞こうかと思ったが、なかなかタイミングが合わずに聞けないでいた。

少し残念だけど、今回あのガレットのようなお菓子を作るのは諦めることにした。

一朝一夕で作れるものかどうかも分からないし。


お菓子は明日作る予定なのだが、レド君に呼び出しされたため何時に帰ってこれるか分からない。

あまり手のこんだお菓子は作れ無いかもしれない。

呼び出されてるのが朝だから、もしかしたら午前中で帰ってこれるかもしれないが。


そう、明日はレド君に会いに行く。

レド君に会う件についてはそれこそ何も準備をしていない。

普段着でいいと書いてあったので、そのまま文字通り異世界用普段着で行こうと思っている。

呼び出されているが、会う場所がいまいち分からないので服装を選べないのだ。

ドレッシーな服装を選んで行ってみたら、会場はピクニック広場でした、なんてこともあるかもしれない。

普通に考えればレド君の住んでいる王城なのかもしれないけど、それだと「普段着でいい」というのが分からない。

分からない事は考えず、大人しく指示に従おうと思う。


なんとなく作れそうなお菓子を幾つかピックアップし、レシピを印刷する。

冷凍のパイ生地が冷凍庫にあるから、パイもいいかもしれない。


明日はいつもより早くにタッチ&ゴーをしなくてはいけないから、今日は少し早めに寝ようと思っている。

ベルベス亭で働き始めてから、朝起きる時間が少し遅くなってしまった。

仕事があると思うと朝が辛いのは何故でしょうね…全くもって不思議でならない。


翌朝7時45分。

地下の玄関の鍵を閉め、森の入口までワープした。

ここから検問所までは歩いて10分ほど。森の中以外は雪もすっかり溶け、どこも歩きやすくなっている。タッチ&ゴーに時間はかからないので五分前集合にちょうどいい時間だろう。


予定通り五分前に到着し、検問所を抜けたところにはいつも通りの隊服を着たベルナルドさんが待っていた。


「おはようございます」


そう声を掛けると、ベルナルドさんは朝から爽やかな笑顔で返してくれた。


「ユカリ、おはようございます。準備は出来てますので、こちらへ」


手紙にはベルナルドさんの指示に従えは大丈夫、というような事が書いてあったので彼のエスコートに躊躇わず従う。

朝八時とはいえ、まだこの辺りには女性が見当たらないのが救いだ。


誘導された先には先日乗ったような馬車があった。

しかし、箇所箇所に金の飾りがあったりととても豪華。そしてサイドに描かれている紋様が異なるようだった。

先日乗った馬車にはトラとかライオンのような獰猛そうな動物の絵が描かれていたのを思い出す。

今目の前にあるこの馬車にはヨーロッパで見るような紋章が描かれている。

真ん中には盾。盾の周りを蔦がぐるっと囲んでいる。

その盾の前をクロスするように二本の剣。剣が交差しているところにはオーブの中に見えた花が一輪描かれている。


「すごく豪華な馬車ですね」

「ええ、これは王家の要人をお乗せする馬車ですからね。先日の馬車より乗り心地も格段に良いと思いますよ。どうぞ」


手を差し出されたので遠慮なく掴ませてもらい、馬車に乗り込んだ。

馬車の中は前日乗った馬車と同じくらいの広さだった。

電車だったら間違いなく三人は座るだろうな、という横幅の椅子が向かい合わせで二つ。

とりあえず奥まで進み、窓際に座る。そしてベルナルドさんが乗るのを待っていたのだが…。


「私は馬で並走します。一人で不安かもしれませんが、長い時間ではないので馬車の中を楽しんでください。この馬車に乗れることは滅多に無いですからね。土産話のひとつになりますよ」


そう笑いながら言うと、無情にもドアを閉めてしまった。

え、一人で乗るの!?

何も返事が出来ないままドアが閉められたので、暫くの間ポカンとしてしまった。

一人ならばそれはそれでゆっくりできるか、と思い、座席の真ん中にゆったりと座り直した。

ベルナルドさんの言う通り、こんな豪奢な馬車に乗れることはもう二度とないかもしれない。これは馬車を堪能するしか無いでしょ。


馬車の椅子はクッション性があってとても座り心地がいい。

馬車がゆっくりと動き出したが、スプリングが利いているのだろうか、揺れを殆ど感じなかった。小さな窓から見える景色が動き始めたのを見て、今動いてるのかと気付いたくらいだ。


座面や背面は濃紺のビロードの生地でさわり心地が良い。

また、椅子や窓の縁は金色に輝いている。

馬車の中を照らす照明は吊るタイプのカンテラ。こちらも縁は金でできおり、四面を覆うガラスには繊細な彫り細工がしてある。

このカンテラはおそらく魔導具なのだろう。火ではなく白く優しい光の球体がその中で浮いており、朝とはいえ影って暗くなりそうな馬車の中を隅々まで明るく照らしていた。


そういえば先日も馬車に乗ったのに、話に夢中になって馬車の中を堪能して無かったわ、と今更ながらに気付き後悔した。

今乗っている馬車との比較があまり出来ない。

確か前乗った時も、夜なのに白熱灯の下にいるように明るかったので似たような照明が使われているのだろう、と推測する。あの時は蛍光灯というより白熱灯。ちょっとオレンジがかってる感じだったな。


装飾の要所要所は金細工や金縁なのだけど、そこまでくどく無く洗練されていて目にも痛くない。

床はさすがに木の板のようだ。

あまり装飾過多にしても馬が引くのに辛いだろう。

今日も二頭立ての馬車だった。どちらも白い毛並みが綺麗な馬だったな、と前を頑張って歩いてくれている馬を思い出す。


馬車の中は揺れも感じないが、外からの音も聞こえなかった。

防音措置が魔法か魔導具かでされているのだろう。馬の足音も、街中の音も一切入ってこない。

逆にこちらの音も窓を開けなければ聞こえないように出来ているのだろう。

馬車の中で密談とかもあるのかしら、と想像してちょっとワクワクしてしまった。

こういうとき、物語の世界に入ってしまった気分になって楽しい。

これぞ魔法のある異世界ならではかもしれない。


ゆったり馬車の中を観察し終えたとき、丁度良く馬車が停車しドアが開いた。

ベルナルドさんが手を差し伸べながら半身を覗かせた。


「ユカリ、お疲れ様でした。どうぞ手を」


そう言われ、ベルナルドさんの差し出した手を借り馬車を降りる。

因みに馬車にはステップがついている。

折りたたみ式のようで、ドアを開ける時に一緒に階段が出てくる仕様のようだ。

折りたたまれてしまえばどこについていたのか分からない。

もしかしたらこれも魔法か何かで組まれているのかもしれない。


降り立った場所はお城ではなかった。

やはり、平素の服でいいということでお城以外の場所を選んだのだろうか。

それでも充分立派な邸宅で、王城も見える位置だというのに門構えからしてでかい。

入口の庭園だけで東京の紫の実家はすっぽりと入ってしまうのではないだろうか。

ほぇーとまぬけ面で見上げていると、クスっと笑う声が聞こえた。

しまった、口が半開きになっていた、と慌てて顔を引き締める。


「まずはここで支度しますので、着いて来てください。ここは私の家ですので、気を張らなくて大丈夫ですよ」


うぇえっ!?ベルナルドさんのおうち!?

ということは侯爵様の邸宅ってことじゃないですか!!

気を張るなって無理な話ですよ!!

という叫びを頭の中だけで済ませた自分を自分で褒めてあげたいと思った。


「まぁ、家といいましても王都内の家ということで、家族は領地にいるので今は私だけです。そんなに強張った顔をしないでください」


心の中での叫びは残念ながら顔に出てしまっていたらしい。

折角叫ばなかったのに。

ベルナルドさんが苦笑している。


「お、お邪魔いたします」


おそるおそるそう言うと、ドアを開けた先にはずらりと人が並んでいた。おそらく20人はいるだろう。

ヒィィィイイイ!!

正にセバスチャンと本物のメイドさんーーー!!萌え萌えしたいけど今はそんな余裕ありません。

手と足が一緒に出てしまった。


「お坊ちゃま、お帰りなさいませ」


ロマンスグレーの素敵なセバスチャンっぽい人がベルナルドさんに声を掛けた。


「お坊ちゃまはやめてくれと何度言ったら…ユカリ、彼はこの家の執事のパーチェス。私がいるので彼の出番は無いと思いますが、一応覚えておいてください」


お坊ちゃま酷いです、という声がパーチェスさんからぼそりと聞こえた。

そしてまたしてもセバスチャンではなかった。なんとなく残念。

パーチェスさんの隣には50代くらいの女性が立っている。髪を綺麗にひっつめ、いかにも『メイドの鑑』といった雰囲気だ。

その彼女が一歩前に出てお辞儀をした。


「それと、こちらがメイド長のワートン。今日私がいない場所で何か困ったことがあったら彼女に相談してください」


そう言うとベルナルドさんはずらりと並んでる皆さんの方を向いた。


「彼女が昨日さくじつ話したユカリ・ムラサキ嬢だ。レドナンド様の大切な客人なので粗相の無いように。何かあったらすぐ私に報告を。以上、皆宜しく頼む」


そういうと、ずらりと並んでいる執事さんとフットマンぽい人とメイドさんたちは綺麗にお辞儀をした。

わぁ、映画とかドラマの世界だ。なんというかもう傍観するしかない。

いちいち驚いてたら心臓がもちそうにない。紫は顔に笑顔を貼り付かせた。


「ユカリ、先ほども言いましたが、まずここで支度を整えてもらいます。レドナンド様とお会いするのは午後ですので焦らないで大丈夫ですが、そこまで時間も無いので早速支度に入ってもらいます。お昼はこちらで用意しますが、朝食は取ってますか?」

「えっ、あ、はい。朝食はいつも通り食べてきました」

「分かりました、それなら昼食は少し軽めにしましょう。おそらくあまり食べられないと思いますので食べやすいものを用意しますね」

「?えっと、よろしくお願いします?」


そう言うとまたクスクスと笑われた。


「ここからはワートンの言う通りにしてくださいね。ではワートン、後は頼みましたよ」

「畏まりました。それではユカリ様、こちらへお願い致します」

「は、はい、よろしくお願い致します」


よく分からないが取り敢えず彼女が色々手伝ってくれると解釈し、お辞儀をした。

支度、ということはやはりこの格好ではダメって事は何となく分かった。

ワートンさんの後ろをついていき、案内された部屋は綺麗な湯殿だった。

これは、もしや…恐る恐るワートンさんを見れば、なんということでしょう。とても素敵な笑顔をしてらっしゃいます。


「それではまずお召し物を全て脱いでくださいませ」


はい、きましたー。この有無を言わさぬ笑顔。

私が抵抗したところでどうせすぐすっぽんぽんになる事は分かっているんです。

それでも抵抗せずにはいられない。

温泉とかで人前で裸になるのは大丈夫だよ?でもね、服をちゃんと着たメイドさんがワートンさんのほかに三人いてですね、私だけ裸になるって何これ拷問でえすか?あぎゃー!!



ということではい、人権?何それ美味しいの?

頭から身体から指の先まで全て綺麗に洗われました。ピッカピッカのツールツル。

そして今は寝台に横になって全身オイルでマッサージ中です。

なんかもう裸なのも気にならなくなりました。どうせ女性しかいないし…クスン。


マッサージが終わった後は用意された下着を身に着け、ガウンを羽織った。

下着のサイズがジャストフィットなのは何故なんですかね、もう考えるのやめよう、うん。


汗が引くまで少し休憩です。

冷たい飲み物をいただきました。グレープフルーツのような果物のジュースでサッパリしていて美味しいです。

この後、第2ラウンドが待っているのは何となく察しています。

それでも今このリラックスタイムを満喫したい。

人はそれを、現実逃避というのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る