第154話 イーラ中将

「じゃあ、ミコ、ベッドに横になってくれ。で、目を閉じて、体の力を抜いて楽に……ゆっくり呼吸をするんだ」


「……はい」


 ミコは言われた通り、ベッドの上で目を閉じ、深呼吸を始める。


「エルはなにをすればいいのー?」


「ん? そうだな、キューちゃんはミコの手をそっと握ってあげてくれ」


「はーい」


 そう言うやいなや、キューちゃんはぴょこんとベッドの脇に座り込み、その小さな手でミコの右手を大事そうに包み込む。


「フフ、キューちゃんの手あったかい」


 そして自然と微笑むミコ。その額に俺はそっと手を当て、小さく魔言を呟き、魔法を掛ける。


「おやすみ、ミコ」


「はい、おやすみ、な、さ……」


 どうやら無事魔法が効いたようだ。しばらくして眠ったのを確認すると、起きないようにそっと抱えあげる。


「キューちゃん、ありがとな。さ、行こうか」


「うんっ」




「よし、みんな集まってくれ。出発だ」


 そしてミコを抱えたままラウンジへ戻り、あまり大きくない声でそう呼びかけると皆、静かに頷き、すぐに応じてくれる。俺が先導する形でバベルから出ると──。


静謐なる部屋サイ・フェルダ・ティアナイ・アンテ


 全員を囲うように気配遮断の結界を張る。こうして俺たちは一路ネアの家を目指した。


 ◇


「……珍しいですね。イーラ中将がこのようなところにお越しになるとは」


「フンッ、ヴェルド中佐だったか?」


 今日は運悪く、私が帝門の監督者だ。夜更けに突然来訪したイーラ中将の対応を部下に懇願され、起こされることとなったため、ほんの少しのイヤミを交えながらそう挨拶をする。私の名前はヴァルドであるが、まぁそれは些細な問題だ。


「ハッ。そうであります。それでこちらには何の用向きで?」


「いや、なに面白いものが見れそうなので、な」


「面白いもの……でしょうか? 残念ながら帝門の上にはそのような──」


「黙れ」


「……ハッ、失礼いたしました」


 イーラ中将。他国での戦争中に戦地で拾われた戦争孤児。帝国が引き取り、軍人として育てるとメキメキと頭角を表し、この地位まで上り詰めた戦闘の天才。他の将校たちは参謀、指揮などの才能も兼ね備えているが、この男だけは違う。純粋な個人の戦闘の才だけで上り詰めたのだ。


 だが、それに異を唱える者はいない。イーラ中将がひと度戦場に単騎特攻すればそれだけで大勢が決っしてしまう。ついた二つ名は『外なる者』。軍師同士が駆け引きをし、見るものが見れば美しさまで感じるであろう盤面であってもそれを平気で外からひっくり返してしまう。そんな男だ。


「ん? 何を見ている。貴様男色か?」


「……いえ、違います」


 年齢は三十半ば、私より一回りも下だ。鎧の上からでも想像に容易い、引き締まって美しい肉体。そして燃えるように赤く揺れる髪とその端正な顔立ちには確かに男でも見惚れてしまうであろう。


「フンっ。さて、見たいものは見れた。最近帝国に牙を剥くものなどいなくなってしまったからな。今回のはご馳走だな。それにあの白髪の大男。あれは──ククッ」


「? なんのことでしょう?」


「黙れ。俺はもう行く」


「……ハッ。お疲れ様でありましたっ!」


 遠くを見ながらブツブツと独り言を言っている中将がお帰りになると言う。これほど喜ばしいことはない。私はすぐに最敬礼をし、気が変わりませんようにと祈りながら中将を見送るのであった。


 ◇


「……ネア」


「到着、だね。よいしょっと」


 ネアの家に通じる石扉まで辿り着いた。ここまで誰も喋らず、緊張せず、上手く気配を殺しながら歩いてこれた。魔法の効果も問題なく発揮されていたし、落ち度という落ち度はない。


「どうぞ」


 ネアが扉を開け、先に入るよう指示してきた。ネアは最後に扉を閉めるということだろう。俺たちはそれに従い、一列で階段を下っていく。後ろからは石扉が閉まる音が聞こえた。そして最初に転移してきた大きい部屋で一旦立ち止まる。


「お兄さん、大丈夫?」


「……あぁ、大丈夫だ。と、言いたいところだが少し休憩したいな。魔法を使い過ぎたみたいだ」


 俺はソファーの上にミコを横たわらせ、自身の額から流れ落ちた一滴の汗を拭う。魔法の使い過ぎ──我ながら苦しい言い訳だ。


「うん、だったら、お兄さんそっちの部屋を使っていいよー。みんなも適当に座ってくつろいでねー。なんか飲み物でも出そうかな」


「あぁ、ありがとう。ヴァルちょっといいか?」


 ネアは気を利かせて、俺が休めるよう配慮してくれている。生徒たちには緊張するなと言っておきながら自分がネアに気付かれているようではお粗末この上ない。だが、今は素直にネアに感謝し、案内された部屋へと向かう。この汗の原因が俺の勘違いかそうでないかを確認するためにヴァルを引き連れて。

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