第118話 ジュルダン

「Sクラスだけが俺の居場所だった。だがシャーリーは違った。Aクラスだったんだ。Aクラストップの平民。Sクラスに入り浸ってアゼルやエメリアと仲が良い平民。そしてアゼルとエメリア、ダーヴィッツ先生に守られている平民の彼女である平民だ」


 吐き気がした。醜い嫉妬に、選民意識に、それを当時十代の子供たちに徹底的に植え付けていた貴族社会に。


「イヤガラセの対象はシャーリーにも及んだ。いや、俺に迂闊に手を出せない分、俺よりひどかっただろう。そして彼女はこのことを誰にも言わなかった。俺にもアゼルにもエメリアにもダーヴィッツさんにもだ。彼女は孤独の中で戦っていた。俺たちに迷惑をかけまいと」


 気付けなかった。気付いてあげられなかった。恋人という立場にあり、支えてもらっていながらそれに甘えているだけだった。最低だ。


 テーブルの上で震えていた拳がそっと包まれる。ハッとして顔を上げた。ミーナの表情は今にも泣きそうな、そんな表情だった。


「……それに気付いたのは取り返しがつかなくなった後だ。シャーリーが学校を休んだ。そんなことは今までなかった。俺は心配になり学生寮を訪ねたが留守とのことだ。Aクラスの担任に聞いても教えてくれない。ダーヴィッツさんも理由は教えてもらえなかったと言っていた。そして数日後、自主退学したということをダーヴィッツさんから聞いた。わけがわからなかったよ」


 今にして思えば俺だけが分かっていなかったのだろう。この頃にはダーヴィッツさんも聞き及んでいただろうし、アゼルとエメリアは察しがいいし、貴族としてのパイプもある。


「俺はなぜかとダーヴィッツさんに尋ねた。ダーヴィッツさんはとても心苦しそうに本人の強い希望だと言った。急に? 昨日まで宮廷魔法師になろうと一緒に訓練していたシャーリーが? 俺は当然納得がいかなかった。アゼルやエメリアにも何か聞いていないかと尋ねても、分からない、知らないと言うばかりだ。他の教師に聞いても、Aクラスの喋ったこともないやつらに聞いても、誰に聞いても、分からない、知らない、だ。俺は真実を知りたかった。そしたらさ、ダーヴィッツさんが一通の手紙を持ってきたんだ」


 俺の数少ない荷物の一つ。古びた手紙。一語一句違わず記憶している。いつもの綺麗な字とは似ても似つかない、かろうじて読める文字が羅列していた。


『べつのゆめができました。さよならをいうと、きもちがゆれうごいてしまうので、だまってさることをゆるしてください。わたしはわたしのゆめを。あなたはきゅうていまほうしのゆめを。たのしかった。ありがとう。さようなら』


「そこにはそう書かれていたよ。学院内で俺の宮廷魔法師の夢を知ってるのはアゼル、エメリア、ダーヴィッツさん、シャーリーだけだったからシャーリーのものだと納得できた。そして当時十三歳の俺はそれを言葉通り受け取って、シャーリーに対して怒りを覚えたよ。同じ夢を追い続けていたのに、何も相談せず勝手にいなくなるなんてひどいってな」


 バカだった。あのとき、この歪んで滲んだ文字の意味に気付けていれば──。


「それでこの話はおしまいになってしまった。いつか宮廷魔法師になってシャーリーにこの手紙をつき返して、文句を言ってやろうくらいな感じでな。それからはまたアゼルとエメリアとの三人の時間を過ごすことになる。最初は寂しかったが、一年、二年、卒業も間近に迫る頃には大分薄れていた。イヤガラセはやっぱり続いていたけどな。で、そんな時にイヤガラセの主犯格が俺を呼び出した」


 あの男のことは忘れもしない。


「名前はジュルダン。侯爵家のボンボンで、成績はシャーリーに次ぐ五席だった。シャーリーがいなくなってからは四席。Aクラスのトップになった男だ。直接手を下すタイプではなかったジュルダンが俺を校舎裏に呼び出したものだから俺は血気に逸った」


 その場に俺は一人で行った。いたのはジュルダンとその取り巻き数人。魔法でも体術でも負ける気はしなかったし、多対一で負ければそれを吹聴することもできないだろう。むしろ三年間積もり積もった怒りで喧嘩をふっかけてこいとまで思ったくらいだ。


「だがそこで掛けられた言葉に俺はまるで冷水をかけられたかのように、サーッと血の気が引くのが分かったよ。……ヤツはこう言ったんだ。『お気楽だな。片腕を斬られた恋人を忘れて過ごす三年間は楽しかったか?』って」


 頭が割れそうになるというのはあのことを言うのだと思った。目の前が暗くなりかけて意識を失う寸前だ。恋人と呼べたのはシャーリーだけなのだからこの言葉はシャーリーを指すのだろう。片腕? 斬られた?


「搾り出すようになんとか言葉を発した。何を言ってる? どういうことだ、と。ヤツは心底愉快そうに大声で笑ったよ。『平民の分際で俺の上に立つなんておこがましい女だったから、犯してやろうと思っただけさ。そしたら必死に抵抗して、あまりにもしつこいから右腕を斬り落としてやった。安心しろ、血まみれの平民など抱く気にもならなかったよ』ってな」


 その言葉は真に迫るものがあった。俺はシャーリーの手紙を思い出し、なぜ歪んでいたのか、なぜ滲んでいたのか、バカな俺はようやくそこで気がついた。ジュルダンはそんな俺をほくそ笑みながら眺めていて、わざとここまで時間を置いてから話したんだろう。


「ジュルダンに対して殺意が沸いた。あまりの感情に頭が焼ききれそうだった。だがこの時俺は目の前のゴミをどうにかするより、まずはシャーリーに会わなきゃって思ったんだろうな」


 駆け出していた。どこへ行けば会えるかなど検討もつかなかった。辿り着いたのは、ダーヴィッツさんの元だった。ダーヴィッツさんに聞けば分かるかも知れないと無意識に考えたんだと思う。

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