第116話 けじめ
「なっ……!?」
「フゥー、フゥー、フゥー、奇遇ですなぁ、ミーナ先生ぇ……、こんなところで一体何を?」
そこに立っていたのは、冬だというのに額やコメカミに大量の汗を浮かべ、息を切らし、顔を真っ赤にしたフロイド先生だ。まさかの事態に俺は言葉を失い、固まってしまう。当然、隣に立つミーナも同じように固まってしまっているだろうと思った。だが、それは違った──。
「…………見ての通り、デートです」
「なっ!? な、なにをご冗談を……嘘です、よね?」
固まってる俺の左手をキュッと握り、ミーナはそう宣言したのだ。表情は変わらずにいられたと思う。しかし、まさかここで宣言すると思っていなかったため内心とても焦る。だが、それ以上に衝撃を受けたのはフロイド先生のようだ。じりじりと後ずさり、しりもちをついたあと、搾り出すようにそう尋ねた。だが──。
「……嘘じゃありません。私はジェイド先生を好いており、こうして仕事とは関係のない場所で二人で会っています」
ミーナは追い打ちをかけるようにそう言った。その表情は真剣そのものであり、妙な迫力がある。ここにきてようやく俺も覚悟を決める。ここで恋人のフリができなければ、全て茶番になってしまう。気を引き締め、フロイド先生へ視線を強くぶつける。
「……そうゆうことです。私もミーナを一人の女性として好ましく思っています」
「な、な、なっ──」
俺の宣言にフロイド先生は言葉を失い、パクパクと口を開け閉めするばかりだ。そして──。
「何をいけしゃあしゃあと!! こ、こここ、この青二才がぁぁぁああ!!」
突然の絶叫。近くの檻にいる魔獣たちは落ち着きをなくし、興奮しはじめる。周りのお客さんたちや従業員たちも何事かと視線を向けてくる。
「……フロイド先生、落ち──」
このままでは色々な人に迷惑がかかってしまう。とりあえず、一旦落ち着いてもらうよう言葉を掛けようとしたが、ミーナに手で制止された。
「……フロイド先生? アナタは紳士で、いつも私のことを優しく気遣ってくれて、教師としても生徒と熱心に向き合っていてとても尊敬できる先輩です。でも、ごめんなさい。私はずっと昔から彼が好きなんです」
ミーナはそう言って、頭を深々と下げた。とても演技とは思えないその真摯な言葉に俺まで胸が痛くなる。
「では、失礼します。ジェイド、いこ」
「……あぁ」
そして、ミーナはフロイド先生に背を向けると振り返ることなく俺の手を引いて歩き始める。俺は最後にチラリと振り返る。フロイド先生はその場にへたりこんだまま動けず、魂が抜けたようであった。
そしてそのまま暫く無言で歩いた。その間、様々な魔獣たちの前を通ったのだが、何も頭に入ってこない。あっという間に最初にみた大きな看板の前、正面出入口まで辿り着いてしまう。
「……ジェイド、今日はもう帰ろっか」
「あぁ、そうだな」
少なくともここにいる間は恋人のフリをしなければいけないだろうが、とても今からデートの続きを楽しめるとは思えなかった。ミーナの提案に頷き、魔獣パークを後にする。パークを出た後も手を繋いでいた方がいいのか、離した方がいいべきか分からず、結局繋いだまま自然と家の方へと足を向ける。
「なんだか変な空気にしちゃってゴメンね」
そして無表情で歩いていたミーナがニコリと笑った。しかし目は笑っていない。ミーナだって当然ツライだろう。だが、そんなときでもミーナは俺のことを気遣い、無理をして気丈に振る舞ってくれているのが分かった。
「いや、謝るのは俺の方だ。ミーナにだけつらい思いをさせてしまって……頼りなくてすまない」
俺は立ち止まり、ミーナの目を見て謝った。本当に不甲斐ない。人付き合いから、女性から逃げていた俺は結局何の役にも立たなかった。それが悔しく、もどかしく、ひどく自己嫌悪感に陥る。
「フフ、ジェイドは悪くないよ。私がなんとかしなきゃいけないことだったんだから。それにジェイドが来る前は、勘違いかも知れないって思うくらいだったし。……なーんて、誤魔化しながら結局一年以上かかっちゃった。色々困ったときもあったけど、嫌いじゃなかったんだ」
ミーナは困り果てた笑顔でそう零す。俺が来てから……。それは多分距離が近しい男が現れたから。そしてそんなフロイド先生のことを嫌いじゃないと言うミーナ。俺から見てもフロイド先生のミーナへの好意は本物であったと思う。褒められた行為ではないが、そこまで突き動かされるほどの恋愛感情に少しだけ憧れもした。
だが、フロイド先生の気持ちが本物だからと言ってミーナが応えるかどうかは別問題だ。男女間の機微とは難しい。……俺がもっとも苦手とするものだ。
「恋愛って難しいな……」
「プッ。なにジェイド? まるで学生みたいなこと言って」
俺は心の底から思っている恋愛への苦手感情を口にする。ミーナはわざとらしく吹き出し、俺をからかってくる。
「いや、間違ってないな。俺は学生時代に恋愛から逃げたから」
俺は目を合わせられず、まっすぐ前を向いたままそう告白する。学生時代に恋愛から逃げた。比喩でもなんでもない。俺は逃げたんだ。
「…………ねぇ、ジェイド? その話って聞かせてもらえない?」
「え?」
俺は立ち止まってしまう。ミーナはその間に半歩だけ進み、そして振り返る。思い返してみれば俺はこのことを当時友人と呼べた二人、アゼルとエメリアにしか話したことがなかったことに気付く。それをこの年になって今更……。いや、今更だからこそいいのかも知れない。あのときはアゼルもエメリアも俺を非難することはなかった。俺はもしかしたら誰かに非難してほしかったのかも知れない。この卑怯者と──。
「……そうだな。俺の話も聞いてもらっていいか?」
「うん」
そして俺は部屋に着くまで目を背けていた過去をゆっくりと思い返すのであった。
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