第106話 ジェイドの過去

「……エメリアさんから聞いたところによるとジェイドは学生時代に一度だけ女性と交際したことがあるようなんです。入学してすぐのことだったそうです。同じ学校の子ですごく魔法の勉強に熱心な子だったと。それでジェイドは優秀な学生で、アゼルさんやエメリアさんに比べると話しかけやすかったみたいでいつもジェイドのところにきてたって」


 予想していたけれどもあまり良い結末にはなりそうにない。ミーナちゃんの言葉は重苦しく、まるで言葉を発するごとに痛みを伴っているようだ。


「それで一緒に魔法を勉強していたある日、彼女は気付いてしまうんです。ジェイドと魔法の話をしているときに幸せを感じる、と。もっと一緒にいたい、と。これが恋なんだ、と。それに気付いた彼女は距離を置くのではなく、勇気を出してもっと近づいたんです」


 ミーナちゃんの言葉からは敬意が感じられた。それは恐らく積極的に好意を向ける難しさや、いかに勇気がいることかを知っているからだろう。


「そしてひと夏を過ごしたあと、彼女は遂に告白したそうです。ジェイドはあんなんですから案の定困惑したそうです。でも彼女はそんなジェイドをなんとか説得して、交際が始まったそうです」


 私はその一言一句を聞き逃さないよう、静かにミーナちゃんの声に耳を傾ける。


「でも、長くは続きませんでした。始まりはジェイドへのイジメでした。それはSクラスという三席しかない最上位クラスにいることへの嫉妬でした。アゼルさんとエメリアさんは高位の貴族で、見た目も華やか。標的は自ずと平民で目立つのが嫌いなジェイドです。それでもアゼルさんとエメリアさんはジェイドの味方をし続け、一旦はイジメや嫌がらせは減ったんです。ですが、アゼルさんとエメリアさんと仲良くしているということにも嫉妬しはじめた人たちが出てきて──」


「……醜い、ですね」


 私はつい酷い言葉を吐き出してしまった。なぜ、努力の果てに為し得た地位や立場を認められないのか。なぜそんな卑怯なことをしている暇があって、努力をしないのか。私の価値観では到底理解できないものであった。だけど、何千年も生きていれば、そう言った人間を多く見てきたのも事実だ。世の中には無数の悪意が存在している。それは変えられぬ事実なのだ。


「……はい。だけどジェイドに手を出せばアゼルさんとエメリアさんに目をつけられる。ならばどうするか。ジェイドは友達も少なかった。……代わりに標的にされてしまったのは彼女でした。でも、彼女は聡く、強かった。ジェイドの代わりにイジメられているのが分かっていたし、これで少しでもジェイドが救われるならと誰にも言わずに耐えた。でも、ある日彼女は行き過ぎたイジメで──」


 ここでミーナちゃんは悔しそうに唇を噛み、涙を滲ませる。次に続いた言葉は凄惨極まりない言葉だ。


「右腕を失うことになってしまったんです」


 右腕──。確かこの世界の人間の構造は体内にある魔力器官を通じて外魔力を内魔力に変換し魔力回路を通して発動させるというものだ。そしてその回路が最も集まる場所は利き手──。


「彼女の利き手は……」


「……右でした」


 それは致命的。簡単な魔法なら使えるようになるかも知れない。だが魔法師としての未来は絶たれたも同然だ。


「もちろん、ジェイドは何があったか尋ねました。ですが彼女はそれでも頑なに言いませんでした。そして、いつかこのことがジェイドにバレてしまえば、彼の一生を縛る重荷になってしまうと考え、ジェイドに別れを告げて、退学していきました。ジェイドは鈍感ですがバカではありません。自分が原因だと気付いていたのでしょう。それからは実力を隠し、目立たず、人と深く関わるのはやめ、特に女性に対しては一定の距離を取るようになったそうです」


「………………」


 すっかり冷め切った紅茶を一口啜る。なんと悲しい話だろう。恐らくジェイくんはこの記憶と一緒に女性への関心というものに蓋をしてしまっている。だが、これに蓋をして閉じこめていることが彼女への贖罪になるだろうか。それを望んでいるだろうか。


「おかしいわ。こんな悲しい結末はおかしい。ジェイくんが死ぬまで女性を遠ざけてることが正しいなんてまったく思えない! 彼女はジェイくんのことが好きだったから、幸せになってほしかったから身を引いたのにこんなのまるで彼女が報われない。ミーナちゃん。いいの、アナタは彼を好きでいていいし、彼もアナタを好きになっていいの」


 私はつい感情的に言葉をぶつけてしまう。だけどその言葉に訂正するところは一つもない。私はジッとミーナちゃんを見つめる。


「……なんだか、私だけジェイドと幸せになっちゃうのはダメかなって。ズルイかなって……」


「バカッ! そんなことあるわけないじゃない!」


 私はガタリと椅子を立ち、気弱にそんなことを言うミーナちゃんの肩を抱く。


「いいの。アナタもジェイくんも恋していいのよ。ね? お姉さんも手伝ってあげるからジェイくんの心の蓋を少しずつ開けてあげましょ? うん、こんな素敵な子を放っておくなんて許せないから絶対にそうしましょ」


 私はお節介だとは思っていても曲げる気はないと伝える。


「……フローネさん。……ありがとうございます」


 私の腕の中で小さくミーナちゃんは鼻をすすり、お礼を言ってきた。

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