第100話 恋人ごっこ
そしてその晩、俺は早速ミーナに魔帝国行きに関してのベント伯とのやり取りを相談していた。
「でな? 俺どうやら出国の制限が掛かってるらしく、あ、この煮物美味いな」
「うん。だろうね。ありがと」
場所は俺の部屋。そして二人が座るのは最初にミーナが持ってきてくれたローテーブルを挟んでのクッションだ。もはやこれは俺の部屋の一部となってしまったと言っても過言ではない。勝手にだが。
「で、トンネルは使えないだろうから何か人が乗れる箱にでも入って、ヴァルに連れてってもらおうかな、と。お、この魚も美味いな」
「それカルナヴァレルさんに確認したの? でもそれ、すごく揺れそうだね……。旬のサーラを照り焼きにしてみたの。口に合ったみたいでよかった」
「おう。まぁミーナの料理はなんでも美味いからな。え? で、なんだっけ? あー、ヴァルか。いや確認していないな。まぁ、渋ったらキューちゃんにお願いしてもらうさ。でも確かに揺れそうだな……。何か対策を考えねば……」
「ジェイド? ……ココ」
「ん?」
考え込む俺の目の前でミーナは自分の頬を指さす。何事かと一瞬思ったがなんてことはない。今しがた食べた魚でもついているということだろう。俺は指でそれを探す。
「……反対。……もう」
「ハハハ、すまない。いや、美味しいとほら、つい箸の進みが速くなってしまってな?」
結局、ミーナにとってもらう。俺は苦笑しながら言い訳をするがミーナはジト目だ。
「それは嬉しいけど、もう少し丁寧に食べてね? 子供じゃないんだから……」
「はい……。すみません」
俺は素直に謝る。そして舌鼓を打ちながら話を進め、最後にフロイド先生の相談となる。
「と、まぁ魔帝国行きはなんとかなりそうなのだが、問題はフロイド先生なんだ」
まずは今朝会議室で起こった一幕を説明する。昨日の帰り道に視線を感じたこと、その正体が恐らくフロイド先生であったこと。その現場を見られたことにより問い詰められ、王都のことを白状してしまったこと。そこにベント伯が来て、あいだを上手く取り持ってくれたが、今後フロイド先生が課外授業に同行するという条件が認められてしまったこと。
「え? じゃあ魔帝国もフロイド先生と?」
「ってのは避けたいから、ベント伯と良い案はないか相談をした」
「あったの?」
「ん? あぁ。学校の公式行事ではなく、休暇の過ごし方の一つにすればという無理やりな案だなー。あとはアマネからは俺とミーナが恋人のフリをすればもう諦めてついてこなくなるとか言ってたな、ハハハハ。笑っちまうよな」
俺が冗談めかしてそう言うと、ミーナはピシリと固まった。
「……それで、ジェイドはなんて答えたの?」
これはヤバイ。冗談でも恋人などと言ってしまったことに怒っているのかも知れない。ひどく無機質な声でそう問い詰められた。俺は頭をフル回転させ、なんとか冗談で済むようにわざと明るい声で答える。
「いや、もちろんアマネに怒ったよ? 何言ってるんだ、バカタレ! 俺は良くてもミーナが迷惑するに決まってるだろ! ってな。アハハハ、そしたらみんなで大笑い。いやぁアマネの冗談も中々パンチが効いてて面白いよなぁ」
チラリと顔色を覗く。ダメだ。まったくニコリともしない。これは本当に怒っているのかも知れない。
◇
一方、ミーナの内心は怒ってなどいなかった。むしろ──。
(え、悪くない案な気がする。正直フロイド先生の度が過ぎたアプローチ方法には嫌気が差してたし、それで諦めてくれるなら……ううん、むしろすごく良い……。それにジェイドともフリとは言え、恋人なんだから多少そういうことも意識するだろうし……)
私はじっと考え込む。どうすればこの案を上手く実行できるかを。ただ、あまり積極的になりすぎて、ジェイどに勘付かれても困る。だが、その点はジェイドなら大丈夫な気がした。でも理想としては何かの間違いでジェイドが──。
「なぁ、ミーナ? その怒ってるのか? いや軽々しく恋人のフリなんて言ってゴメン。失礼だったよな。でも真面目に考えてフロイド先生の監視行為を抑制するには効果的な案だとは思うんだよ」
「え? あ、怒ってないよ。ゴメン。ちょっと驚いただけ。そう、だね……」
考え事をしていて反応が遅れる。気付けばジェイドは食事の手を止めて、真剣な眼差しで私の顔を覗いていた。もしかして、これは……。
「そうかぁ。ハァ……良かった。あー、あとこんな機会だから聞くんだが、そのミーナは今、恋人とか好きな人いるのか? あ、いやもちろん答えたくなきゃ答えなくていいぞ」
ジェイドは視線を外して気まずそうにしながらそんなことを聞いてくる。私の心臓はドキドキと少し鼓動が速くなった。緊張して声が固くなる。
「えと、いや、今は教師の仕事で手一杯だから恋愛のこと考えている余裕とかないかな。だから……その、大丈夫……」
ドッドッドと胸が苦しくなる。ニュアンスで伝えたつもりだ。つまり私が恋人のフリをすることを了承したということを。でもジェイドだから伝わらないかも知れない。
「え? 大丈夫って? 俺と恋人のフリをすることを、か?」
珍しく伝わった。伝わってしまった。今度は私が視線を逸らす番だ。多分耳まで赤くなっている。こんな反応好きって言ってしまってるようなものだ。そして、私は勇気を出して一度だけゆっくり大きく頷く。
「……そ、そうか。まぁ、あくまでフリだし、な。じゃあ、なってみるか。その、恋人に」
「……フリだけど、ね? でも、その、よろしくお願いします」
「あ、いやこちらこそよろしくお願いします」
私とジェイドはローテーブルを挟んで頭を下げあう。いい年をして恋人ゴッコなんて恥ずかしいし、それで舞い上がってる私はもっと恥ずかしい。
「でもフリとは言えミーナと恋人か。ハハハ、まぁ周りからは散々恋人とか言われてきたから変わらないと思ったが、少しだけドキドキするな」
「え?」
赤面し俯いていた私は、ジェイドの意外な言葉に顔をバッと上げてしまう。視線がぶつかる。ジェイドの目は少しだけ動揺しているように見えた。
そして見つめ合ったままスッと手が伸びてくる。その大きな右手は私の前髪を揺らしながら頬に添えられた。
「ミーナ本当に綺麗になったよな……」
ジェイドがジェイドらしくない。なんだか本当に恋人のようだ。今まで散々鈍感ってやきもきしてたのに、まるで立場が逆転だ。
「そ、そのジェイド? フリ、だよね?」
「あぁ、いやそうだけどフリをしなきゃいけないんだ。これくらいで動揺してたらバレてしまうだろ? 練習しなきゃ」
そう言いながらジェイドは頬に添えていた手をずらし、前髪をそっと耳の後ろへと流す。そしてそのまま首の後ろに手をまわすとほんの少しだけ引き寄せるように力を篭めた。
「え……え?」
決して強い力ではない。なのに、私の身体は力が抜けてしまったかのように、ほんの僅かな力に抗えない。ローテーブルに咄嗟に肘を突く。ジェイドはそんな私の上半身を左腕で包み込むと──。
「…………練習してもいいか?」
顔が近い。でもジェイドは止まらない。心臓は限界まで脈打ち、頭はぐわんぐわんしている。私はジェイドのその質問に目を伏せ、今度は小さく、ほんの小さく頷くことしかできなかった。
「──っ」
◇
俺は目の前で固まったまま動かないミーナを見て、何事かと声を掛ける。
「おーい、ミーナ? そんな怒ってるのか? ……ふむ、無視か」
ミーナは目を瞑り、ピタリと動きを止めて黙りこくっている。俺が何を言っても反応はなかった。なので食事の手を再開し、暫く放っておいた。
「っな!?」
俺は静かに食事をしていた。これも美味いし、あれも美味い。だがそんな時、突如ミーナの顔が赤く染まり、ニヤニヤと頬を緩め、口角が釣りあがるではないか。ただ事ではない事態に俺はその肩を揺する。
「おいっ、ミーナ! どうした!? なんか変なもの食ったか!? あ、いやミーナが自分で作ったのか。俺平気だしな……。いや、それより大丈夫か!?」
「はっ、えっ、はっ!? キャアア!!」
「はぶしっ!!」
ようやく焦点があった瞳には俺が映りこんでいた。確かに両肩を持って、至近距離まで近づけば驚くだろう。だが、何も悲鳴を上げて頬を叩くことはあるまい。
「あっ、ジェイドっ! ごめんなさいっ!」
そしてようやく正気に返ったのだろうか、ミーナが慌てて謝ってくる。
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