第87話 帰路
「ん? どうした?」
素直に謝られた。そして、直後何かを思い出したかのように立ち止まる。何事かと尋ねれば──。
「昨日のシャンプーどこで売ってるか聞くの忘れちゃった……」
「……はぁ。知らん」
まったく平和な悩みで聞いただけ損をした気分だ。俺はそれ以上口を開かず歩きはじめる。
「うぅ、良い匂いだったのに」
自分の髪を嗅ぎながらそんなことを言うミーナ。確かに決闘中近づくと、風に乗ってやけに良い匂いが鼻を掠めた記憶がある。
「せんせー、はやくー!!」
そんな他愛もない会話をしながら歩いていると随分先にいるミコから催促が飛んでくる。キューちゃんもミコのリュックから顔だけ出してキューキュー鳴いていた。
「はいよー。ほれ、ミーナいくぞ」
俺は片手を上げてそれに応えると、もう片方の手でミーナの手を引き、走り出す。
「あっ、もう。みんなの前で恥ずかしいから……」
「ハハハ、手を引くくらいで恥ずかしがるとかミーナは子供だな」
「むぅ。それに今は学院の延長線なんですから、ちゃんと先生をつけて下さい」
膨れるミーナ。そして思い出したかのように口調を固くする。だが手を振りほどこうとはしない。
「センセイイチャつきすぎ。まるでラブコメの主人公さながら」
そして、まず追いついたアマネにイヤミを言われる。別にイチャついているつもりなどない。
「別に先生はイチャついてなんかいないぞ? ほれ、アマネも手を繋いで走るか?」
俺はミーナの手を離し、次はアマネの手を掴もうとする。
「はい、そこまでです」
しかし、その手が届く前にパシッとミーナに叩かれた。
「やーい、おっさん怒られてやんのー」
「レオ君もいい加減ジェイド先生をおっさん呼ばわりするのはやめなさい」
「うぐ……」
そして怒られた俺をからかおうとしたレオが逆に怒られた。いいぞ、ミーナもっと言ってやれ。
「まったくお前らは本当に騒がしいな。ほら、ミコが待ってるぞ?」
「みんな、まだー? もう馬車出ちゃう時間だよー!」
「キュー!」
エメリアが遠くを指さす。既にミコは馬車乗り場まで辿り着いて馬車を待たせているようだ。ひとまずお説教は後回しにしてもらい、急いでミコの元へと向かう。
そして馬車に辿り着いたところでアゼルたちとは別れることとなる。
「アゼル、エメリア、今回は助かった。ありがとう」
旧友に礼を言う。二人は別に大したことではないとばかりに肩をすくめた。
「フフ、ジェイドが楽しそうで何よりだよ。まぁ機会があったら僕もエルムに遊びにいこう」
「え! ほんとですか!?」
それに反応したのはレオだ。目を輝かせている。恐らく社交辞令なのだが、レオくらいの歳の子にそれを察しろというのは難しいだろう。アゼルは少しだけ顔をひきつらせて、本当だよ、と返す。これは社交辞令ではなくなってしまったかも知れない。
「ふむ、ジェイド。お前の血の研究は諦めてないからな? ミコとキューエル君のその後も知りたい。私もエルムに行く機会が増えるだろう」
「はーい、待ってます!」
「キュー!」
ミコとキューちゃんはそれを歓迎したようだ。俺? 当然苦虫を噛み潰したような顔だ。
「ま、俺もほとぼりがさめたらまた王都に遊びに来るさ。ダーヴィッツさんによろしく言っておいてくれ。じゃあ、またな」
最後にそう言って俺は馬車に乗り込もうとする。だがアゼルとエメリアからは笑顔で──。
「「だが、断る」」
断られた。
「は? なんでだよ」
当然、俺はそう聞き返した。これに対し、二人はずずいと詰め寄ってきてまくし立てる。
「お前が王都を去った日に僕とエメリアは──」
「大変な目に遭ったんだからな? あの夜のダーヴィッツ先生ときたら──」
なにやら俺が追放された夜、二人はダーヴィッツさんに呼び出されたらしい。なんとなく想像はできた。ウィンダム王国最強の魔法師の唯一の弱点は酒だ。
「ププ、そりゃすまなかった。じゃあ俺の代わりに今後もダーヴィッツさんの酒に付き合ってやってくれ」
「まったく、こっちの身にもなれ。王国騎士団団長が宮廷魔法師筆頭と飲んでいるなど知られたら……」
アゼルは頭を抱える。王国騎士団と宮廷警護科は敵視というかライバルというか仲が悪い。そのトップ同士なのだから立てなければいけないメンツもあるだろう。しかし、ここで愚痴を聞いてたら長くなりそうだ。
「あっ、御者さんお待たせしてすみませーん。出してくれて大丈夫です」
そっと馬車に乗り込み、御者にそう伝える。
「え? いいので?」
「いいです、いいです」
御者は困惑しながらもそれに頷き、馬車を走らせはじめた。俺は最後に窓から顔を出し、指を一つ振る。アゼルとエメリアは同じように一度だけ指を振った。
こうしてエルムへの帰り路を馬車でひた走り、王都を後にしたのであった。
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