第88話 魔法教育論~子供編~
帰りの馬車の中は王都からエルム行きの荷物と俺たちしかいなかった。
ぼんやりと窓の外を眺める。聞こえてくるのは、ゴトゴトと車輪が地面を跳ねる音と、それに合わせて、カタカタとわずかに揺れる荷物の音。それとスースーという寝息だけであった。
(ん? スースー?)
王都から出発して僅か五分の出来事であった。俺と御者以外は全て沈黙した。ミコとアマネはお互いがよりかかるようにして寝ており、ミコのお腹にはリュックが回され、キューちゃんも抱きかかえられるようにして、首を垂れていた。
レオにいたっては、ひどいもので他に客がいないからいいものの、長椅子に寝そべってしまっている。落ちそうなものだが、器用に揺れ防止用のつり革を握りながら寝ているようだ。
(で、ミーナは……と)
俺の隣に座るミーナは長椅子の角ということもあり、壁に上手くもたれかかりながら寝ていた。
仕方ないので俺はエメリアから就職祝いに貰った『魔法教育論~子供編~』を読むこととする。今、多くの学校で使ってるであろう教科書『基礎魔法体系学』は何を隠そうダーヴィッツ先生をはじめとするウィンダム魔法師学校の教師陣が執筆したもので、その監修に実は俺たち三傑も携わっている。特にエメリアは体系学が得意で何冊も本を執筆しているのだが、その内の一つに子供教育向けの魔法教育論を書いたものがある。それがこれだ。
(ふむ、なになに。本書は子供の教育に携わる者の一助になればと思い執筆したものである。第一章──貴様は子供について何を知ってる? ……なんちゅー言葉遣いだ)
前書きはわりとまともだが、一章からは喧嘩を売っていた。だが丁寧でまわりくどい文章より頭には入りやすい。なんとも合理的で無駄が嫌いなエメリアらしい言い回しだ。そして、最初の問題提起、すなわち子供とは何かについて考える。
(子供……。子供……。子供っていう定義はなんだ? 大人になっていない。年齢という問題ではない気もするし……。自立しているかどうか、か?)
あまり自信もないが、なんとなく納得できそうな答えを出し、正解を見ようと次のページをめくる。
(えぇ、と──ほらな? 知らないだろう? まずは子供について考えろ。子供についての定義なんてものはない。まして個性豊かで不可思議な存在の集合体である子供という大きな主語に共通して言えることなどない……だと)
俺はもう一度、表紙を見た。『魔法教育論~子供編~』だ。そして前書きを読む。子供の教育に携わる者の一助に、だ。ある意味ですごいインパクトだ。表紙と前書きを一章のはじめで全否定している。
そのあともじっくりと読み進めるが、とにかくエメリアが訴えたかったことは子供について知った気になるな、という点と、だからこそ常に子供というものについて向き合い続けろというもの。そして、ところどころに極々簡単な言い回しにした魔法原理や、魔法陣の解説などが書かれていた。
(ふむ。中々面白い、が──酔った)
読み進めていくと中々に面白く、あっと言う間に小一時間経っていたのだが、その間ゴトゴト揺れる馬車は俺の三半規管を容赦なく揺らし、結果、俺は酔ってしまった。だが、そんな時こそ魔法だ。しかし──
(…………酔い止めの魔法なんて知らねぇ。ハッ!?)
俺は酔い止めの魔法など知らなかった。が、そこでハッと気付き『魔法教育論~子供編~』の最後の索引を調べてみる。もしかしたら酔い止めの魔法があるかも知れ──。
(あった!! エメリアありがとう!)
俺は心の中でエメリアに感謝しながらパラパラパラと二百十頁を開く。そこにはこう書いてあった。
『睡眠誘導魔法「スリプ」を唱え、酔い止めに聞くと言い聞かす。子供はそれをすぐに信じて安心して寝る。あとは急いで到着地へたどり着け』
(…………)
「…………スリプ」
俺は寝た。
「ジェイド先生、そろそろエルムに着きますから起きて下さい。その……生徒たちが起きる前に」
「……ん?」
耳元で囁くように何か聞こえる。俺はその言葉を認識できながかったが、僅かに覚醒した脳でゆっくりと目を開く。辺りは真っ暗だ。そして何か暖かいものに包まれている気がする。気持ちがいい。
「……ジェイドせんせー? 起きたならどいて下さい」
先ほどより少し大きなミーナの声、だがまだ周りを気にするように押し殺されていた。そこでようやく霞がかった脳が覚醒する。
「はっ」
自分の状況をすぐに確認する。どうやら眠りこけてミーナにもたれかかってしまっていたようだ。こんな姿を見られたら教師としての威厳がなくなる。俺はキリリと顔を引き締め、すぐに身体を引き起こし、生徒たちの様子を見る。
「ふぅー……」
どうやら生徒たちはまだ寝ているようだ。レオにいたっては結局椅子から落ちてしまったようで、床に大の字になって寝ている。
「……ミーナ、すまなかった」
「いえ、いいです。その、私も寝てしまってたんで……」
暗くて表情は分からないが、怒ってはいないようだ。ホッとしながら、今どのあたりか調べるために小さく灯りを魔法でつけ、懐中時計を確認する。夜の七時だ。そろそろ着く頃だろう。そう思って窓の外を見れば、エルムが小さく見えてきている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます