第70話 けじめ

『初めまして、私はフローネ。キューエルのお母さんでこのおバカさんの妻でもあるわ。でもジェイドさん? このおバカさんに名前を覚えられる人間は珍しいわ。よほど気に入られたのね』


 俺はボロボロになって、立ち上がれないため、地面に座り込みながら名乗る。そして気に入られたという言葉を受け、先ほど喰われそうになったことを思い出す。あれは本気で喰い殺すつもりであったろう。なので──。


「いえ、先ほど喰われそうになったので、気に入られてはない、かと」


 正直にそう答える。


『フフ、竜はよく喧嘩で噛み合いをするのよ。それで歯形を残しあった同士が友達ってわけ』


(歯形を残す? この体に?)


 俺は自身の体とカルナヴァレルの牙を見比べる。歯形どころではない即ミンチであろう。そして俺の歯であの鱗は貫けない。


「ハハ……。どうですかね。お互い歯形はつきそうにないですが」


『当たり前だ。脆弱な人如きが我に歯形をつけ──』


『アナタは黙っていて』


『ぐぬ……』


 どうやら次元竜の家では、ママさんが最も強いらしい。こちらの世界とそんな変わらない夫婦のやり取りに少しだけ口角が緩む。


『さて、エルいらっしゃい』


「キュー……」


『フフ、怒ってないわよ。冒険がしたかったのよね? え? 美味しいものをもらったの? ママにもくれるの? ありがとう。後で食べるわね。さてっ、エル。あなたはミコちゃんともっと遊びたい?』


「キュー!」


『そう。なら、遊んでくればいいわ。たまにこっちにも顔を出してね? ママもたまに遊びにくるから』


「キュー……」


『フフ、パパなんて放っておいていいのよ。あのおバカさんは娘離れしないといけないんですから』


『ぐぬぬ、絶対に早い。絶対に娘離れには早い!』


 カルナヴァレルはそっぽを向きながら独り言のように、されど皆に聞こえるように大きめな声で不満を漏らす。確かに五歳の娘と離れるのはつらいだろう。


「キュー……」


 キューちゃんも心苦しそうだ。五歳にして父親を気遣える。とても良い娘であった。


『……アナタ、拗ねないの。私たちはもう何千年も生きて、色々な世界を彷徨って、つらい思いも悲しい思いもたくさんしたけど、同じだけ楽しい思い出もあるわ、そう、人間とのね。ねぇ、エルに初めて友達ができたのよ? 危ないからって家に閉じ込めてたら一生大人になれないわ。この歳の子は外に出て友達と遊んで成長するの』


 フローネさんはとても優しい顔でそう諭した。チラリとその顔を覗き、黙ってしまうカルナヴァレル。


「あのっ……。私、キューちゃんと仲良くなりたいですっ! 一緒に遊んで! 一緒にご飯を食べて! 一緒にお風呂に入って! 一緒に寝て! キューちゃんと……キューちゃんと一緒にいたいです……」


 ミコは泣いていた。それは笑ってしまうようなヒドイわがまま。だが、ミコの切実なその声をどうしても俺は怒る気になれなかった。


「キュー!!」


 そして、キューちゃんも今までにない強い調子でカルナヴァレルへと訴える。これは恐らくそういうことだろう。


『……勝手にしろっ!! もう、我は知らん!!』


「キュー……」


『アナタ、何スネてるのよ。カッコ悪い。図体だけ大きくて肝っ玉は本当にちっちゃいわね』


『ぐぬぬぬぬ!! 我ばっかり我ばっかりっ!! それもこれもジェイド!! 全部貴様が悪い!! 休戦と言ったが、勝負はまだついていないっ!! 一対一で勝負しろっ!!』


 そしてなぜか八つ当たりを受ける俺。一対一、勝負? 先ほどまで三対一でまるっきり勝ち目がなかったと言うのに無茶を言うドラゴンだ。だが──。


「……ハハ。俺は結婚もしてないし、子供もいないが、なんとなくあんたの気持ちは分かる気がする。落としどころは必要だよな。その勝負受ける」


「ジェイドッ!! 何を言って──」


 ミーナが血相を変えて、止めようとしてくる。だが、それを手で制す。元々そういう話だ。カルナヴァレルとの決着をうやむやにして許してもらおうなどというのはムシが良すぎる。教師として、一人の大人として、これは受け入れなければならない。


『アナタッ!!』


『女はすっこんでおれ! フンッ、だが、このままじゃただの虐殺だな。であれば──』


 止めに掛かったフローネさんにそう言うと、俺の答えにつまらなそうに鼻を鳴らし、カルナヴァレルは何事か呟く。すると、その体が一瞬にして消え、代わりに現れたのは二メートルを越す白髪の偉丈夫。


「気合を見せてみろジェイド。我がこの世界に娘を置いていくことを任せてもいいと思えるほどのな!!」


 それは人の姿になったカルナヴァレル。人間で言えば四十を過ぎたあたりだろうか。細かなシワはあれど、その視線は鋭く、頑強な体に衰えなど全く見られない。無手で構えるその姿はドラゴンの時となんら変わらないプレッシャーだ。


「あぁ、気を遣ってもらってすまないな。ミーナ下がってろ。俺は大丈夫だ」


 そして俺は限界まで酷使していた体をもう一度奮わせる。


「復元魔法、行使──『人あらざる者』ヴァージェス


 先ほどまでと比べればそのオーラは弱々しい。まるで消え行く命の灯火のようだ。だが、泣き言は言ってられない。ここで気合を入れなければ、俺はこの先、胸を張って教師だと名乗れない。


「行くぞっジェイド!!」


「応っ!!」

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