第69話 語り継ぐべき世界

 私は下を向く。涙がとめどなく溢れてくる。何が教師だ。情けない。自分の無力さがはがゆい。エメリア様の言う通り喚くことしかできていない。私と違ってエメリア様は最後の最後までなんとかしようとしているのに。


「キュー……」


「分からない……って」


 エメリア様の問い、契約すればどうなるかに対して、キューちゃんは申し訳なさそうな声で分からないと鳴き、下を向いてしまう。エメリア様は難しい顔をする。そして──。


「……時間がない。キューエル君、勝手を言う。ミコと契約してくれないか? そうすればミコだけは生き残る可能性が生まれる。全世界が滅亡か、それとも一人残るか。無か有かは大きな違いだ。それに我々はミコの心の中で生き残ることができる。私たちのこの世界がミコの中で生き続けるんだ」


「そんなエメリア様っ!! ミコは一人でなんて生きていけませんっ!! 無理ですよ……」


 エメリア様はミコちゃんだけは契約者として見逃してもらうことを提案した。一人だけでも生きて欲しいと。僅か十三歳の少女にこの世界を背負わせるというのはとても酷な話だ。だが──。


「……ミコちゃん。あなただけでも生きて」


 戦況を見るに、奇跡なんて起こりそうにない。ジェイド、アゼル様、ブリードさんは機を狙いながら攻撃を仕掛けているが、明らかに劣勢だ。現実から目を背け祈ってる場合ではない。せめて、せめてミコちゃんだけでも……。それは吐き気のするような命の選別だ。私はレオくんとアマネちゃんの顔を見ることができなかった。


「すまないミコ。この状況で生き残る可能性があるのはキミだけなんだ。あの圧倒的な戦力差を見ただろ? 恐らくジェイドの杖には七音節級の攻撃魔法が仕込まれている。体内で発動させることが可能ならばあるいは、倒せるかも知れん。だがあいつはそれをしないだろう。あいつは自身の命や世界を天秤にかけてもキューエル君から父親を奪うという選択はしない。そういうやつだ」


 エメリア様は一人の少女に対し、真摯に説得にかかる。エメリア様の言う通りジェイドはキューちゃんからパパを奪うということは絶対にしたくないはずだ。


「……でも私だけなんて、みんなが」


 当然ミコちゃんの戸惑いは消えない。だが、そんな時──。


「あー、ミコ。俺のことも覚えておいてくれよな」


「アマネは滅びんよ。何度でも蘇るさ。また転生してミコに会いにくるから」


 レオ君とアマネちゃんはミコちゃんの両肩にぽんっと手を置いて笑った。そんな三人を私はギュッと抱きしめる。


「情けない先生でごめんなさい。あなたたちを守れない先生でごめんなさいっ」


 そして、私は最後まで泣いて謝ることしかできなかった。それから数秒して、ミコちゃんの腕にグッと力がこもる。ミコちゃんは私から離れるとジェイドたちと同じ覚悟を決めた顔になる。


「……キューちゃん。お願いします。私と契約して下さい」


「……キュー」


 キューちゃんはそれを承諾した。ミコちゃんの口から魔言が紡がれる。


「ありがとう。──フェイト」


 その魔言は小さな魔法陣となり、キューちゃんのお腹に刻まれた。そして、ミコちゃんの右手の甲にも。


「あぁ、これでキミとキューエル君の契約が相成った。キミを喪失するということはキューエル君にとっても無事で済まないほどの負荷になる。これでカルナヴァレルもキミのことは簡単に殺せないだろう。ハハ、未来に語り継いでくれ。ひどく卑怯でバカな研究者がいたと」


 エメリア様はギリリと拳を握る。その手のひらからは鮮血が流れていた。戦況を見つめる目はとても悔しそうに、そして口元には自責の嘲笑を浮かべて。


「……待って下さい」


 そんなとき、急にミコちゃんが怪訝な顔になり動きを止める。周りの私たちは何事かと注視した。


「ん? ミコどうした?」


「声が……」


 声……? なんだろうか……。ミコちゃんはボソボソと虚空に向かって喋り続ける。そして──。


「!? エメリア様ッ、結界を解いて下さい!!」


 切迫した表情と声でエメリア様に結界を解除しろと言う。当然答えは否となるはずだが、あまりの真剣さにエメリア様も何かあると悟ったのだろう。


「……分かった」


 何も聞かずにミコちゃんの言う通り『拒絶する七壁』を解除した。直後、ミコちゃんは叫んだ。


「ママさぁぁぁーーん、ここでぇぇぇす!!」


 それは全魔力を全生命力を込めたような渾身の一声。こんなに小さな少女が出したとは思えぬ慟哭は、この山にいる全ての者の動きを止めた。そして──。


『ありがとう、ミコちゃん。ようやく突き止めたわ。さて、アナタ?』


 空間がヒビ割れ、一匹のドラゴンが現れた。カルナヴァレルと同種、同サイズのドラゴン。


『フローネ……。なぜ、ここが……』


『ミコちゃんと契約してエルの魔力が増えたおかげで探知できたわ。それで? この場所を探知しにくくなるよう次元魔力妨害ジャミングしてまで何をしてたのかしら?』


『ぐぬぬ──いでっ、いでっ、おい、ジェイド! 状況を見ろ、いでっ、しばし休戦だ!! えぇい、やめい!!』


 ジェイドは爪を尾をかいくぐりながら空を駆け、カルナヴァレルの顔を黒杖で殴り続けていた。どうやらカルナヴァレルの声が聞こえていないようだ。ようやくアゼル様とブリードさんに抱えられて、動きを止める。ここで戦いは止まった。どう転ぶかはまだ分からないが、少なくとも今、この瞬間は全員が生きている。


 そしてすごすごとカルナヴァレルがフローネさんの方へ向き直り、話し合いが始まった。


『いや、フローネ、だからであるな──』


『大体アナタは過保護すぎるんです──』


『だが、一人娘だぞ? 悪い虫がつく前に一掃──』


『どこの世界に娘が可愛いからって丸ごと世界を壊すバカがいるんですか──』


『いや、しかし誘拐もされたし──』


『違います! エルがミコちゃんの声に惹かれて自ら行ったんです──』


『ぐぬぬ、だが、もし悪い男に召喚されでもしたら──』


『そしたらそれまでです! 悪い男に引っかかって勉強するのも長い竜生必要な経験ですっ──』


『そんなぁ……』


『それにミコちゃんはこんな可愛らしい女の子じゃない──』


『……ジェイドがおるし』


『ハァ……。では、どなたがジェイドさん?』



 ◇



「あ、俺……です」

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