第68話 決死

『──ほぅ。まだ羽虫が隠れていたか』


 先ほどまで俺の体があった位置からは甲高い、まるで金属を打ちつけたような咀嚼音と次いでギリという歯軋りが聞こえる。どうやら俺は何者かに助けられたようだ。正直に言いば、先の瞬間俺は死んだと思った。それほどまでにあのアギトは危険だ。常人の何十倍もの膂力を出せる『人あらざる者』を持ってしても、受け止めれるとは到底思えない。


「……すまない。助かった」


「いえ、ジェイド先生に死なれると困るので。ですが、申し訳ありません。私にはあの者を倒す術は思い当たりませんで……」


 抱えられた相手を見やる。それは一度学長室であったことのある謎の男、ブリードであった。なぜ彼がここにいるのかは不明であったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「ジェイド大丈夫か?」


「あぁなんとかな」


 腐食の雨が降り注ぐ中、アゼルも一旦引き、男三人で顔を見合わせると嘆息をつく。


「ハハ、『腐食の流滴』が効かない。『人あらざる者』を持ってしても動きを捉えられない。こんなことは初めてだな。となると、こいつしかないか」


 黒杖に残された最後の記憶魔法。七音節攻撃魔法──収黒魔点マギ・プレッションだ。それは七音節という莫大な魔力を極限まで圧縮させ、爆発させるという単純な破壊魔法である。だが、単純ゆえに対処は難しく、破壊力も抜群だ。しかし欠点もある。


「……その杖に何が残されている?」


 そしてアゼルは黒杖を見て考え込む俺に尋ねた。


「……あぁ、とんでもなく強い爆弾ってとこだな」


「……『拒絶する七壁』は?」


 アゼルはその欠点に気付いたようだ。爆弾──指向性を持たない破壊。先の二つの記憶魔法からおおよその破壊力を想定したのだろう。下手をしなくともこの山くらいは吹き飛ぶ。当然、そんな威力の魔法攻撃は『拒絶する七壁』でも──。


「……貫いちまうな」


「……そうか。ならば俺は盾になろう」


 アゼルは自身の全魔力を使い、『拒絶する七壁』への衝撃を減衰させるつもりだ。そして俺を死なせたら困ると言っていたブリードは少し逡巡し、諦めたように言葉を漏らす。


「……どうやらそれしかないようですね。仕方ありません。学長には来世で謝罪するとしましょう。では、私があのドラゴンの動きを止めます」


「できるのか?」


「数秒であれば」


「充分だ」


「では、しばらく引きつけておいて下さい」


「上等だ。せめて一発横っ面をはたきたかったところだからな」


 どうやらブリードも理解しているようだ。どう上手く転んでも相討ちまでが精一杯だということに。そしてここで命を賭さねば世界が終わるということに。俺はブリードの、カルナヴァレルの動きを数秒であれば止められるという言葉は無条件に信じる。方法など問わない。今はそれに縋るしかない状況だ。


『それで? 話はまとまったのか?』


「あぁ、わざわざ待ってもらってすまないな」


 カルナヴァレルが本気であれば、こんなことを悠長に喋っている間に三人とも死んでいただろう。だが命はまだ繋がっている。俺はニカリと笑顔でカルナヴァレルに応え、そして黒杖を握り締める。


『いや、なに我も準備運動をしたいからな。貴様ら三人との準備運動が終われば、次は何万匹、何十万匹、あるいは何億匹かになる害虫退治であるからな、カカカ。にしても、この雨は少々うざったいな。カッ』


 カルナヴァレルは全く気負うことなく全世界を相手にすると言った。そして、そのアギトを空へ向けると直線状に魔力の奔流を放つ。それだけで先ほどまで一帯を厚く覆っていた暗雲は吹き飛ばされた。


「ッハン、見事なもんだ。んじゃ最後の悪あがきといきますかね」


 一周まわって可笑しくなり自然と笑い声が出てしまう。そして俺は顔を引き締めると、生命力を全て燃やし尽くす気で『人あらざる者』のオーラを全開にし、カルナヴァレルへと駆けた。



 ◇



「……ダメ。ジェイドやめて、何をする気」


 私は雨で視界が悪くなった中、チラリと見えたジェイドの顔を見て、途端に怖くなる。あれはそう──。


「ジェイドは死ぬ気だな。アゼルもどうやら覚悟を決めているようだ。それにもう一人現れた見知らぬ男も、だな。あいつら三人の命で世界が救われるかどうかが決まるわけだ」


 何かを覚悟した顔だ。エメリア様もどうやら悟ったらしい。だがどうしてそうだと分かって淡々としていられるのか。私の中に行き場をなくした激情が渦巻いてくる。


「なんでっ!? なんで、そんな冷静でいられるんですかっ!? 死んじゃうんですよ!? ジェイドがみんなが!!」


 私は結界を張り続けてくれているエメリア様の胸元を掴み、声を荒げてしまう。


「取り乱したところで状況は好転しない。そして、私を含めこの結界内にいる者がカルナヴァレルに対し、有効な攻撃を与えられるとも思わない。可能性があるとすれば──」


「……ミコと?」


「キュー?」


 エメリア様はそれはミコとキューちゃんだと言う。でも、この二人に何ができると言うのだろう。


「エメリア様、教えて下さい。ミコちゃんとキューちゃんであればこの状況を覆せるのですか?」


 自分では全く解決法が思い浮かばないのに、浅ましくエメリア様の希望に縋る。しかし、答えは──。


「……分からん」


「分からないって!! そんな無責任なっ!!」


「うるさいっ!! 喚くなっ!! 私だってこの状況を何とかするための一手を考えているんだっ!!」


 睨み合う。だが、この時も冷静になってくれたのはエメリア様の方だった。


「……キューエル君、教えてくれ。契約すればミコは何ができる? 例えば次元移動などはどうだ」

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