第63話 銀の魔女とチョコチップクッキー

 では、キューエルという名前はどこから出てきたのか。あまり馴染みのない響きはそう簡単に思いつくものでもないだろう。ということは、本当に聞こえている? どうやって?


「なぁ、ミコ? 先生はそのキューちゃんがキューって言ってるようにしか聞こえないんだが、ミコにはちゃんと言葉として聞こえているのか?」


「え、はい。せんせーは聞こえないんですか? もちろんキューっていう声も聞こえますけど、それと同時に頭の中に直接言葉が入ってくるというか、不思議な感覚だな、とは思ったんですけど。ドラゴンさんはそうやって喋るんじゃないかって……え? ミコは嘘ついていませんよ……」


 俺は周りを見渡す。どうやら俺以外も鳴き声としてしか聞こえていないようだ。そこでミコは自分以外が聞こえていないということを悟ったのだろう。その表情が翳る。自分が嘘をついたと疑われていると思ったのかも知れない。


 俺はミコを嘘つき扱いしたくないという精一杯の気持ちを込めて、優しく言葉を掛けた。


「いや、ミコが嘘をついてるとは思っていないんだ。でも、どうやら先生たちにはキューちゃんの心の声が聞こえないみたいだ」


「……そう、なんですね。なんでミコにだけ聞こえるんだろう」


 不思議そうにキューちゃんを撫でながらミコがそんなことを言う。キューちゃんはつぶらな瞳でミコを見上げて、不思議なことでもなんでもないよ、と言っているかのようだ。


「ミコ。会話がしたい。通訳をしてくれるか」


 そして、そんな一人と一匹に近づいたのはエメリア。


「え、あ、はい。大丈夫ですよ」


「ありがとう。まず私の言葉が理解できるか?」


「キュー!」


「分かるよー。だそうです」


「ふむ。助かる。ではキューエル君、よろしく頼む。私の名前はエメリア=オルガ。一研究者だ。君と友好的な関係を結びたい。どうだろうか性別、年齢、種族名を教えてくれないだろうか?」


 エメリアはキューちゃんに名を名乗り、頭を下げた後、真剣な目でそうお願いをした。エメリアはミコの通訳を完全に信じているようだ。


「キュー!」


 それに対しキューちゃんの答えは──。


「えー、もうクッキーないよ……。誰かお菓子持ってますか?」


「……何と言ったんだ?」


「えと、美味しいものくれたらいいよ、って」


 まんま子供であった。しかし、キューちゃんの機嫌を損ねれば会話はそこまで。エメリアの機嫌も悪くなるだろう。それは非常にめんどくさい。だが、俺はお菓子など持っていなかった。隣のレオも首を振る。


「ミーナ先生は?」


「……ピクニックじゃないんですからお菓子なんて持ってきませんよ」


 ミーナもダメ、と。アマネも手を挙げないということは持っていないということであろう。一度飛空艇で王都に戻るしかないか──と、そう思ったときである。


「……あるが」


 まさかの人物から声が上がった。アゼルである。あのクールな顔でお菓子を懐に忍ばせながら警戒していたと思ってしまったら俺はニヤニヤが止まらなくなる。


「ジェイド先生……なにか? ちなみにこれは貰い物だ」


「いえ、なんでもありません」


 少し頬が緩んだ俺の顔をアゼルは三秒ほど冷たい目で睨んだ後、くるりと振り返る。どうやらこれ以上はこの話を広げないで欲しいようだ。


「いでっ」


「もう、ジェイド先生? 子供みたいなことしないの」


 そしてそんなやり取りを見ていたミーナが小さい声でそう呟き、後ろからギュっと裏モモをつねってくる。まぁ、しかし確かにこれは自業自得である。


「はい、ミコちゃん。これでいいかな?」


「ありがとうございます!」


 その間にアゼルはミコの手には丁寧にラッピングされたお菓子を積んでいく。


「フッ、相変わらず騎士団長はモテるな。だが、助かったぞ」


「お役に立てて何よりだ」


 エメリアは皮肉を混ぜながら礼を言うと、アゼルも皮肉で返す。おかしい、俺のときもあんな感じになると思ったのに。結果はジンジンと痛む裏モモなのだから悲しいものである。


 そして包みを開け、お菓子を取り出すとキューちゃんは匂いを嗅ぐ。


「キュ~、キュー!」


 そして目を輝かせて、とあるクッキーに夢中になっていた。


「あ、エメリア様。キューちゃんはチョコチップクッキーが好きだそうです」


「……そうか。王都に戻ったら街中のチョコチップクッキーを買ってこよう」


 あの銀の魔女が街中でチョコチップクッキーを買い漁る絵を想像して、またニヤニヤしてしまったのは言うまでもないだろう。


 そしてひとしきりチョコチップクッキーを食べたキューちゃんはエメリアの方へ顔を向ける。


「キュー!」


「えぇと、お菓子ありがとう。ボクは女だよ。年齢は五歳。種族はジゲンリュウ? だそうです」


「ボクっ子萌える。それに次元竜強そう。私もバディに欲しい」


 ミコの通訳にいち早く反応したのはアマネ。やはり、異界特有の言葉を使っているから転生人なんだろう。そして、ジゲンリュウという言葉も理解しているようだ。


「アマネ。ジゲンリュウとは何だ」


「……竜はドラゴンと同じ意味。異界では色々な言語があったから。ジゲンはこちらでの次元って意味」


「なるほどな。ジゲンリュウは次元竜ということか。まさしく次元の狭間に住むというミコの仮定が当たっていたということの証左に他ならないな。それで何か特技や魔法みたいなものはないのか? そもそもこの世界の環境は過ごしづらくないのか?」


「キュー……」


「一辺にたくさん喋らないでよー、とのことです。それからボクたちはどんな場所でも適応できると言ってますね」


「そうか、すまない。……待て、どんな場所でも適応、だと? その機序は一体どうなって──」


「待て待て、エメリアがっつき過ぎだ。ひとまず落ち着けって」


 ヒートアップしかけているエメリアを諌める。キューちゃんも引き気味だ。


「……そうだな。キューエル君すまない」


 エメリアが素直に謝り引き下がる。キューちゃんもホッとしたようだ。


 そこで俺は待ってましたとばかりに手を挙げた。正直、何故みんなこれをまず提案しないのだろうかと不思議に思っていたのだ。俺は別に特別動物が好きというわけではないが、こんな可愛らしい生き物を見ていたら、こうも言いたくなる。


「なぁ、ミコ? 俺もキューちゃん触っていいか?」

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