第38話 木を隠すなら森の中。ではジェイドを隠すなら……?

 コクリ。どうやら通じたようだ。ジェイドは口をつぐんだまま一度だけ首を縦に振った。


 私はジェイドの手を握り、寝室へと入る。当然、ここは部屋の中でも更にもう一段入れるのに時間をかけたい場所であったが、そんなことは言ってられない。部屋にジェイドがいるのがバレたらスカーレットさんに何を言われるか分からないのだ。


(隠れる場所、隠れる場所──)


 収納場所と言えばクローゼットくらいだ。パカリと開けばコートやブラウスなどが掛かっている。


(匂いとか大丈夫かな……)


 洗濯はこまめにしているし、匂いにも注意を払っている。が、自分の匂いは分からないとよく聞く。


──と、そこまで考えている間に再度ノックの音と声が聞こえてきた。


「おーい、ミーナ。私だ、スカーレットだ。いないのかー?」


 鋭いスカーレットさんのことだ。ここで時間をかけて、何をしていたかと問われてしまったらその時点で負けな気がする。もう時間がないのだから仕方ない。


「場所は私たちが再会した料理屋さん、私たちが出て行ったら後からきて。ジェイドほんとごめんね」


 耳元で店の名前を告げ、小さく謝ってからジェイドをクローゼットに詰め込む。ジェイドは為すがままで抵抗する気がないようだ。本当に申し訳ない気持ちになる。


 それから私は寝室の扉を閉め、急いで玄関へと向かう。


「はいはーい。スカーレットさんお待たせしてごめんなさい」


「ん? あぁいや別に大丈夫だ。上げてくれるか?」


「えっと……今散らかってて、私準備できてるんで、もう行けますよ?」


「ハハハ、時間までは大分あるから、そう急ぐことはないだろ? 散らかっているかなんて気にするな、私とミーナの仲じゃないか。良い紅茶を手に入れてな。一息ついてから行こうじゃないか」


 どうやらどうしても家に上がりたいらしい。恐らくジェイドと一緒に住んでいないか、もしくは上がりこんでいる痕跡がないか調べたいのだろう。だが、それはマズイ。先ほどまでだったら大丈夫であったが、今は本当にジェイドを上げてしまっている。しかも寝室のクローゼットの中に。万が一にも寝室に入ってクローゼットを開けられたら──。


 それにいつまでもジェイドをあんなところに入れておくのは申し訳なさ過ぎるし、恥ずかしすぎる。よし、断固として上げないように──。


「というわけで邪魔するぞ」


「あっ、ちょっと、スカーレットさんっ」


 と、どうにか家に入れない方法を思案しようとしたところで、スカーレットさんが私の脇の下をするりとくぐって家に上がってしまった。


「ん? どこが散らかっているんだ?」


 そして早速痛いところを突かれる。咄嗟に出てしまった言い訳だったのだが、よりによって今日つく嘘ではなかった。


「……えと、向こうが」


 私は苦し紛れに寝室を指差す。リビングまでの侵入はよしとしよう。だが寝室には入れてはいけない。


「見ても?」


「もちろんダメです」


「フフ、冗談だ」


 笑顔できっぱり断ればあっさりと引き下がる。どうやら無理やり寝室にまで突入する気はないようなので安心した。


「コートを掛けてもいいかな?」


「えぇ、どうぞ」


 長身で美人なスカーレットさんは何を着てもカッコイイ。今日も真っ白なロングコートを見事に着こなしていた。そして私はそれをハンガーに掛けようと受け取り、マジマジと見てしまう。


「ん? どうした? そのコートが着たいならいつでも貸すぞ?」


「あ、いや、大丈夫です。それに私が着てもきっと似合わないし……」


「そんなことはないさ。ミーナならきっとよく似合うはずだ」


 スカーレットさんに自信満々に言われると少しだけそんな気になって──。


(って、ジェイドがいるんだから早くここから出なきゃ)


 と、ついついスカーレットさんのペースに巻き込まれそうになる。私は気をしっかり持ち、コートをハンガーに掛けると、台所でお湯を沸かす。紅茶を淹れなければ話しは進まなさそうだ。ならば、早く紅茶を淹れてしまうに限る。


「おーい、ミーナ? トイレ借りていいか?」


「……えぇ、どうぞ」


「ありがとう」


 そんな時スカーレットさんがトイレを貸して欲しいと言い出した。スカーレットさんは何度もウチに遊びにきており、トイレも何度か利用したことがある。なので今更なのだが──ふと不安がよぎる。


(ジェイド普通にトイレしたよね?)


 分からない。幼馴染と言えどトイレの作法までは知らない。仮にだ、便座を上げて用を足していたとして、そのままにしていたらどうだろうか。そんなことは私一人でいたらありえない。そしてスカーレットさんがその違和感に気付かないわけがない。


 ドッドッドと心音が早くなる。トイレを流す音が聞こえた。ガチャリ。扉が開く──。


「ん? なんだ? 手ならちゃんと洗ったぞ? ほら」


 扉を見つめていた私に向けて、ハンカチで手を拭いているのをアピールするスカーレットさん。これなら──。


「あっ、そう言えばミーナ? トイレがいつもと──」


 やはり何かいつもと違ったのか? 男性特有の──もしくはジェイド特有のトイレ作法がバレてしまったのか?


 私は生唾をゴクリと飲み、スカーレットさんの言葉の続きを待つ。


「香りが違うように感じたのだが、芳香剤を変えたか?」


「…………ハァ。ううん、変えてないけど」


「そうか、じゃあ私の勘違いか。変なことを言ってすまない」


「ううん、大丈夫」


 本当に心臓に悪い。だがジェイドのいた痕跡がバレるとしたらトイレくらいだ。あとはもう紅茶を飲んで出かけるだけ。よし──。


「スカーレットさん、茶葉貰うね?」


「あぁ、いやミーナ。この紅茶は少し淹れ方が特殊でな。私が淹れよう。ミーナは座っててくれ」


「…………うん」


 急いで淹れてしまおうと思ったのだが、こう言われて譲らないのもおかしい。仕方なく私はリビングの椅子に座り、代わりにスカーレットさんが台所に立った。


「この茶葉は蒸らす時間が普通の茶葉より少し長いんだ。そうすることで香りがグッと強くなるんだが、それが不思議と──」


 スカーレットさんが紅茶について説明をし始める。こんなことを言うのはなんだが、蒸らす時間は短くして欲しいし、もう香りとか楽しんでいる余裕なんてない。


「よし、いいだろう。注ぐぞ? これも時間をかけて──」


「早く飲みたいです」


「? あ、あぁ。そうか? じゃあすぐに注ごう」


 言ってしまった。つい焦る余り真顔で急かしてしまった。だが、これくらいでスカーレットさんは怒らないだろう。今はとにかく早く家を出たいのだ。


「じゃあそちらに持ってい──おっと、あ……」


「え?」


 それは、ようやくスカーレットさんがティーカップを二つ持って歩き出した時だ。不意に何かにつまづいてよろめいた。そしてそのティーカップが向かった先は──。


「スカーレットさんコートが!」


「……はぁ、これは失敗したな。折角の紅茶が──」


「いや、紅茶はどっちでもいいです! コートにこれだけ紅茶が染みちゃったら色が残っちゃいますよ! 早く洗わなきゃ」


「ん? あぁ、そうだな。すまない、ここを借りてもいいか?」


「もちろんです。私は紅茶片付けてますから、スカーレットさんはコートの方を早く」


「あぁ、ありがとう。助かる」


(ジェイド、ごめんなさい……)


 ジェイドには申し訳ないが、折角スカーレットさんにすごく似合っているコートがダメになってしまうのは忍びなさ過ぎる。ティーカップは上手く落下したようで割れたり傷ついたりはしていなかった。床に零れたものを拭き取る。


 片づけを暫くしていたら、コートを洗っていたスカーレットさんが出てきた。


「手洗いでできるのはここまでだな。行きすがらプロに預けて洗濯をしてもらうことにするよ」


「えぇ、それがいいですね。じゃあ早く行きましょう」


 コートは早く出した方がいいし、ジェイドも早く出してあげたい。これなら双方の利に適うだろう。私はそそくさと自分の上着を羽織り、スカーレットさんを急かす。


「あぁ、だが見ての通り薄着でな。すまないのだが上着を貸してくれないか?」


「……もちろん、いいですよ。じゃあこれを──」


 スカーレットさんは薄手のシャツ姿であった。確かにそれで冬の街を歩くのは酷であろう。スカーレットさんに上着を着られるのも抵抗ない。あるとすればスカーレットさんと共にクローゼットに取りに行かなければいけないという一点だけだ。


 なので私は自分が今羽織ったばかりの上着を渡そうとする。そして自分の上着は一人で取りに行こうとした。

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