第33話 謎多き秘書

「いや、それは良くないな。始めと終わりはキチッとしてメリハリをつけた方がいい。というわけでヒューリッツ、起立、礼、着席の号令をかけてもらえるか?」


「はい、分かりました。では──起立ッ!」


 彼は立ち上がり、とてもよく通る声でそう叫んだ。結果──全員が固まった。


「おーい、みんな、委員長が起立と言ってるんだから、起立してくれー? あと、ヒューリッツ、とてもいい号令だが、もう少しソフトな感じでも大丈夫だぞ?」


「いえ、やはりこう言った集団行動では号令が最も重要だと考えますので、しっかりやらせてもらいます」


 もうぶっちゃけちゃおう。ヒューリッツは空気が読めない子だ。遠まわしにそれはやめてくれと言ったつもりだがまったく伝わっていなかった。


 どうやらこのクラスの子たちは慣れたものみたいで、そんなヒューリッツに苦笑いしながらノロノロと立ち上がる。座ったままなのはレオとサーシャだけだ。


(この二人は仕方ない、か)


 この二人に関してはあまり無理強いしたくないため、このままでよしとする。


「おい、レオ、サーシャ。聞こえていないのか、起立と言ったんだが?」


 だが、流石ヒューリッツである。俺の内心など知ったこっちゃないと言わんばかりに二人を睨みつけ注意しはじめる。


「いや、いい。ヒューリッツ、ひとまず今日は号令の練習ということにしよう? な? いずれ本番を迎える際には二人にも立ってもらうから」


「ですが──」


「いや、いいんだ! 頼む。ヒューリッツ、礼の号令をかけてくれ」


 もうなりふりなど構っていられなかった。号令を作らなかったという前任者の気持ちが少しだけ分かってしまって苦しかった。


「……分かりました。礼ッ!」


 立っている五人が礼をする。ヒューリッツはお手本のような礼だ。ミコも深々と頭を下げている。アマネは一瞬ペコリと。キースとケヴィンは示し合わせたように顎を軽く突き出すだけであった。


(見事にバラバラだな)


 もうここまでくるといっそ面白いという感情すら沸いてきてしまった。


「──着席ッ!」


「よーし、解散。気をつけて帰るように」


 終わった。初日のホームルームがこれで終わった。放心しかける俺の元にミコがトトトと駆け寄ってくる。


「んー? ミコどうした?」


「せんせー、また明日!」


「おう、ミコまた明日な」


 ミコはとてもいい子だった。ヒューリッツも先生明日からよろしくお願いします、と一言いってから帰っていった。彼も根はとても良い子だ。


 他の子たちは残念ながらわざわざ挨拶をしにくることもなく帰っていったようだ。まぁまだ会って一日目だ。最初から信用や信頼など得られる方が難しい。これからだ、これから。


 俺は自分にそう言い聞かせ、誰もいなくなった教室で明日から頑張っていこうと決意を新たにする。


「さて、学長室に顔を出して帰りますか……」


 初日のホームルームが終わったら学長室に寄るようにと言われている。既に学院の地図は頭に入っているため俺は迷うことなく学長室へと足を向けた。


 


 つい先日訪れたばかりの学長室の扉の前で立ち止まる。ノックをすれば──。


「どうぞ」


 ベント伯の声が返ってくる。どうやら在室しているようだ。


「ジェイドです。失礼します」


 名乗った後、扉を開く。目の前には三人──。自身の机に肘を置いているベント伯、ソファーに身を沈めているフロイド先生、そして初めて見る、ベント伯のそばに立つ長身痩躯の若い男性。


(誰だろうか? 職員会議では見た覚えがないな……)


 職員全員の顔を覚えているわけではないが、それでもチラリと視界の端に収めたならば引っかかるモノがあるはずである。だが、目の前の男性にはトンと心当たりがなかった。


「立ち話しもなんだ。ジェイド先生も腰掛けてくれ」


 立ち尽くす俺を見てベント伯はそう言った後、フロイド先生の対面に移動した。流石に学長の隣に座るわけにはいかまい。俺はフロイド先生の隣に腰掛ける。そして見知らぬ男性は綺麗な姿勢で足音を立てずにベント伯の後ろへと回り、そのまま直立となる。


「さて、早速だがジェイド先生、自分の受け持つクラスの子たちはどうだったかな?」


「……え? あ、えぇとですね──」


 つい見知らぬ男性のただならぬ所作と気配に気を割いていたらベント伯への反応が一拍遅れた。


「アハハハ、すまない、すまない。いじわるはやめよう。まずは気になる彼を紹介しよう。ブリード君前へ」


「はい」


 どうやらベント伯は俺をからかっていたようだ。そしてブリードと呼ばれた男性がソファーの後ろから出てきて会釈をする。やはり美しい。


(重心や身体の操作が一般人のそれではないな……)


 人は何か動作をする際、体の各部位が三パターンに分かれる。即ち、動かす部分、固定する部分、動いてしまう部分だ。ブリードと呼ばれた彼はその三つの動きのバランスを熟知しているようであった。これは何らかの道のプロだと窺える。


「紹介しよう。ブリード君だ。私の秘書をしている。ジェイド先生より若いのだが、中々に優秀でね。私の右腕とも言えよう。あぁ、フロイド先生はもちろん懐刀ふところがたなだよ」


「ジェイド先生よろしくお願いします。どうぞブリードとお呼び下さい」


 前を見ていたため気付かなかったが、ブリード君を右腕と紹介したとき、フロイド先生は嫉妬に顔を歪ませたのだろう。本当に貴族らしい人だ。


「えぇ、よろしくお願いします」


 俺は立ち上がり、一歩近づくと手を差し出す。一瞬逡巡した後、ブリード君は手袋を脱ぎ、右手で握ってくれた。


(なるほど、彼は剣の腕が立つのか……)


 手は嘘をつかない。まして武の道を歩む人の手は分かりやすい。彼の手にも剣の要とも言える小指の付け根が固く肥厚していた。


「ハハハ、ジェイド先生。あまりそう詮索しないでくれ。彼は謎多き秘書で通っているのだから」


「……申し訳ありません」


 ベント伯に見抜かれ、たしなめられてしまった。確かに少し詮索をしすぎた。その後はきちんとベント伯に意識を向ける。

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