第16話 慎重で頭の良い紳士の登場
現在、時刻は朝の六時。田舎は夜も朝も早い。結局、家族と喋る以外にすることもないので早めに寝て三時には起きた。これでもよく寝た方だ。
「あんた、エルムまで結構遠いけど本当に大丈夫なのかい?」
「大丈夫だよ。来たときも一時間かからなかったから。本気出せば十分くらいで行けちゃうんじゃないかなぁ」
「初日だって言うのにそんな余裕のないことしてたらダメだよ。ほら、早く朝食食べ終えて行きな」
「分かったよ……」
どうやらいくつになっても俺は子供扱いのようだ。ずっと心配そうにしている母に申し訳ないため、朝食を手早く片付け、肩掛けのカバンを一つだけ持ち家を出る。
「それじゃ、母さん、父さん、兄さん、近いうちにまた顔を出すよ」
「うむ。達者でな」
「おう。次来るときは俺の家族も紹介するよ」
「悪い女にひっかかるんじゃないよ? あんたの女神様はいつだってすぐそばにいるんだからね」
皆が見送ってくれる。若干一名は訳の分からないことを言っているが。
そして、手を振ったあと背を向けてゆっくりと歩きはじめる。村の中を走るのは迷惑であろうから、出口までは徒歩だ。そして獣道に出てしまえば、あとはダッシュ。
(やっぱり早すぎた……)
母に余裕を持ってつくようにと言われたため、行きより気持ち速めに走ってエルム学院まで来てしまったが、まだ七時にもなっていない。
(まだ開いてないよなぁ?)
一応正門を開いてみようとするが、やはりダメだ。鍵が閉まっている。
(仕方ない。誰かが来るまでここで待ちますか)
エルムに家をまだ借りていないため、俺は落ち着ける場所もなく、仕方なしに正門で待つことにした。頭の中で新しい魔法陣の構成を考えながら待つこと三十分。二人の人影が現れた。一人はここ数日世話になりっぱなしのミーナ。そしてもう一人は、きらびやかで意匠の凝った服を着ている中年太りの中年。
(貴族……だな)
王都で散々な目に合わされてきた直感が告げる。この人は貴族だと。だが別に俺は貴族を無条件に嫌うわけではない。貴族の中にも良い人は沢山いる。だが経験上、その割合が少ないため少し身構えるだけだ。
「おはよう、ミーナ」
「あ、おはようジェイド。早かったんだね。えぇとフロイド先生、こちら明日から魔法科の教員になるジェイドです。ジェイドこちらは魔法科の主任のフロイド先生」
「おはようございます。ジェイドと申します。教職に就くのは初めてでして、至らぬ点も多いとは思いますが、なにとぞご指導賜りますようお願いいたします」
「ふん。フロイド・カービンだ」
挨拶はそれきりであった。元から無愛想な人なのか、俺が嫌われるような何かをしたのか。チラリとミーナを見る。どうやらフロイドの態度に驚いているようだ。つまり──。
(俺はとことん貴族に嫌われる体質なんだなぁ)
そういうことであった。
私の名前はフロイド・カービン。カービン子爵家の三男坊だ。高い魔法の技術・知識を買われエルム学院の魔法科で主任をしている。
さて、今日は待ちに待った始業式前の職員会議である。しかし、それは会議が楽しみなのではなく、久しぶりにあの方に会えるのが楽しみなのだ。それは誰かって? もちろん麗しのミーナ先生だ。彼女は美しく、聡明で、優しい、正に女神と言える存在であろう。ミーナ先生がこの学校に入職した時は自分が独身貴族であることに至上の喜びを感じたものだ。
だが焦ってはいけない。慎重にジリジリと距離を詰めねばなるまい。ミーナ先生はまだ去年の春に入職したばかりで男性に目を向ける余裕もないだろう。あれば、こんな近くに魔法が使える独身貴族がいて放っておくわけがないのだから。
私はこの日も偶然を装い、ミーナ先生と一緒に通勤するという重大なミッションが控えていた。ミーナ先生は基本的に約束の時間より前に集合場所に来るタイプだ。今日の会議は八時から。恐らく七時半には学院に着いているだろう。
そう考え、私はミーナ先生の家と学院を結ぶ通勤路に身を潜める。
「ママぁ、あの人──」
「シッ、見ちゃいけません!」
(ふん、失礼な親子だ)
人を見るなり指をさすとはどういう教育をしているのか。親の顔が見たいものである。ほう、中々の美人ではないか。だが、女神の前には全ての女性が霞むのだ。
そして七時から張り込みはじめ、待つこと十五分。遂に女神が姿を現した。
(むむっ!! 今日は普段よりなんだか色気があるではないか! それに冬休み前より髪を若干切っているな!)
いつも美しい女神は更に美しくなっていた。これは俄然テンションが上がるというものである。そして私はさりげなく先回りし、道の真ん中で目立つように魔導書を読みながら歩く。当然読みながら歩くのは危ない。自然と歩く速度はゆっくりになる。そして計算通り、早足で歩くミーナ先生が追いついてきて──。
「あっ、フロイド先生。おはようございます。歩きながらでは危ないですよ?」
「んっ? おや、ミーナ先生! おはようございます。これは奇遇ですな。むっ、お恥ずかしいところを。つい魔法のこととなると夢中になってしまって」
「フフ、ホント魔法のことになるとなんで男の人ってみんな夢中になってしまうんですかね」
(おぉー!! わ、笑ったぞ!! ミーナ先生が微笑んだ!! うおっしゃぁぁぁあ!!)
「ハハ、男は皆子供のままなんでしょう。あ、それとミーナ先生、勘違いでしたら恥ずかしいのですが、髪をお切りに?」
「あ、そうなんです。昨日切ってきたんですけど、少し整えるくらいだったのに、よくお気付きになりますね」
(フフフ、それは気付くとも! 君のことを考えない日はないからね。だが、ここではそんなことは言わない。私は慎重で頭の良い紳士なのだから)
「あ、いやどこを切ったかと言うと分からないのですが、なんとなく雰囲気が大人っぽくなったなぁと。おっと、これはミーナ先生に失礼でしたね。すみません」
「あ、いえいえ。そんな気になさらないで下さい。でも大人っぽいですか……。嬉しいですね」
(あれ、どうしたどうした。冬休み前のミーナ先生と比べると反応がものすごい良いぞ? これはもしや──私を見る余裕ができたのか!?)
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