第8話


 家を出てから練兵場までは、そう遠い距離ではないが、今の僕には恐ろしく長い道のりに感じた。

 と、いうのも、村の人たちとすれ違うたびに引き留められて、質問責めにされたからだ。

 もちろん僕自身、積もる話もある。でも、今は諸事情もあり、一刻も早く練兵場に行きたかった。


 それなのに、彼らときたら……


「ゼロ坊! あの別嬪の嬢ちゃんはどうした?」


「ゼロ兄ちゃん、あの綺麗な赤い髪の女の人だれ?」


「お兄ちゃんのこいびとなの~? ずるい~、私もお兄ちゃんのこいびとになる~」


「違うぜ、ゼロのアニキは恋人じゃなくて、それより上の『およめさん』って人を連れてきたんだ。流石はゼロのアニキだぜ!」


「でもよ、デルダルクってどっかで聞いたことあるんだよなぁ」


「デルダルク商会のご令嬢を連れてくるとは、流石ゼロ様です! 朴念仁と呼ばれていても、あの村長とフィニェット様をご両親に持つ貴方様の魅力に靡かない女性などいるはずがございません!」


「何ですって?! デルダルク商会って言ったら王都でも指折りの大商会じゃない! それにあの容姿に、元とはいえゼロ様の後輩で騎士としての実力もある……」


「ああ、もう! 私達に勝ち目なんてないじゃない!?」


「いえ、私はこの際、側室でもいいわ」


「「なるほど、その手があった!」」


「「「ゼロ様~! 愛してますわ~!」」」


「ゼロ坊や、それで、あのリノアリアという子と、いつ式を挙げるんだい? できればワシが生きている間に、この目で見たいんじゃが……」


「おばあ様はまだまだ死なないわよ! 昨日だって隠れてワイン一本開けたでしょう?! それでゼロ様、リノアリア様とゼロ様のどちらからプロポーズされたのですか?」


「お父様とお母様に負けず劣らずの美男美女夫婦とは、お二人の子供が楽しみですな!」


 と、まあ、こんな具合に。聞かれたことの大半が僕とリノの関係について、それも、かなりの人数で僕を囲むように人が集まるもんだから、話を聞いて落ち着いてもらうのも一苦労だった。

 普段なら、リノは僕の後輩だと言って、彼らが想像するような関係ではないと説明するんだけど……


「い、いや、僕とリノは決して皆が想像するような関係ではなくって、だな、その……ふ、夫婦とか? そういう勘違いをされれば僕は嬉し……じゃなくて! リノも迷惑だろうから、だからその、な?」


 あの時の僕は誰がどう見てもポンコツだった。

 誰かが「夫婦」というワードを出したせいで、出かける前のやり取りがフラッシュバックして、折角冷めかけていた顔の熱が自分でもわかるくらい熱くなる。

 僕自身呆れるくらい言葉も噛んだし、ニヤニヤという擬音が似合う笑みを向けられた僕はとうとういたたまれなくなって、「とにかく! 僕とリノはそんなんじゃないから?!」とその場を強引に抜け出してきた。

 くっ、この程度で取り乱すなんて……自分の精神力の低さが恨めしい……


「精神面も含めて鍛えなおしてもらうとしようか」


 そう思って練兵場まで来たんだけど、なぜだろう。兵士の掛け声はおろか、建物の中からは一切の物音がしない。

 この村の練兵場は村の中で一番大きな建物で、地面は砂だけど、天候を問わずにいつでも訓練が出来るように屋根と壁がある。

 それでも、少なくとも五年前の記憶では、建物から漏れ出るくらいの掛け声が絶えず聞こえていたはずだ。それなのに、今は二百を超えるはずの兵士達の気配がまるでない。

 だけど……


「絶対いるんだよなぁ……」


 確かに、二百人を超える兵士たちの気配は無い。

 でも、その代わりに感じる肌を刺すような剣気オーラと重さを伴った圧力プレッシャーは並みじゃない。

 それは、王都では感じることのなかった正真正銘の強者の気配だ。


「(待ち構えてるってことか……)」


 ふと、自分でも気づかないうちに、右手が剣の柄を握っていたことに気づいた。

 頬に一粒の汗が伝い、右手は手汗で滑らないように固く握られているが、軽く震えている。

 言い訳では無いが、別に恐れているわけでは無い、むしろ僕の心は歓喜で打ち震えている。


「(やばいな、ニヤケる……)」


 僕は戦闘狂では無いが、剣を握り戦う者として、格上との相対は胸が躍る。

 きっと、この扉のすぐ向こうには、あの人がいるんだろう。

 『黒の剣王』『古龍の監視者』『王都の守護神』『大戦の英雄』……あの人を指す二つ名は数えればキリがない。

 だが、間違いなく、世界最強の一角に名を連ねる存在。

 いつもは温厚なのに、戦えば誰よりも強い人。僕が尊敬している人。少年の頃に憧れ、今でも背中を追う人。

 五年ぶりに会う僕は、あの人の目にどう映るだろうか? 脚が無くなって弱くなったと言われるだろうか、それとも……

 いや、考えたって仕方ない。答えは、すぐそこにある。

 数回の深呼吸の後、僕は覚悟を決め、五年ぶりの再会を果たすために扉を押し……開く。















 そこに、僕の最強がいた。


「おかえり……ゼロ」


「っ! ただいま、父さん」


 練兵場の中心に佇む今の父さんからは、先ほど感じたような鋭い剣気や重く圧し掛かるような圧力を感じない。

 だけど、わかる。刃引きしていない抜き身の刃が何よりも雄弁に、父さんの言わんとすることを物語っている。


「今は何も話さなくていい、積もる話は後程聞こう。私も、ゼロと話したいことはたくさんある」


 五年前と変わらない優しい声、この優しさが父さんの素だ。まあ、優しさだけじゃないけど……

 僕は父さんに促される前に……剣を抜いた。


「わかっているじゃないか」


「一度、体に染みついたことだからね、そう簡単には忘れないよ」


 そう言うと、父さんはニコリと微笑み……スイッチが入った。


「ならば剣を構えなさい。まずは、剣に聞くとしよう。五年ぶりの語らいといこうじゃないか……息子よ」


「勿論です。師匠」


 僕は、この時の父さんを師匠と呼ぶ。これは、僕が生まれて初めて剣を握った日から変わっていない。それほど、剣を構えた父さんと、普段の優しい父さんは印象が違い過ぎるんだ。


 さて、まだ僕と父さんの間には距離がある。脚は飛び込めるほど慣れていないし、元となる筋肉も無いから、ここは間合いを図りつつ……


「どうした? こないなら、こちらからいかせて貰うぞ!」


 まあ、父さんがそんなことを許してくれるはずが無いわけで……僕は練兵場の地面に足跡が残るほど強く踏み込み、飛び込んできた父さんの剣を受ける。


「ぐっ! がはっ!」


 だが、ほとんど踏み込めなかった僕は、父さんの勢いを殺しきれずに壁まで飛ばされてしまった。


「私相手に、受け身の姿勢だけでは一片の勝機も見出すことはできないと忘れたのか?」


 敢えてだろうか、父さんは壁にぶつかりひるんだ僕に追い打ちをかけてこない。

 膝をつくような真似はしなかったが、ぶつかった衝撃は体に響き、剣を構えるのにも支障が出る。

 だが、舐められることは許されない。僕は気合で剣を構えた。


「まだだ……たった一合じゃないか。強さの証明は、これからだ」


「それもそうだ、ゼロの強さを私に見せてくれ。君がどう変わり、強くなったのか、弱くなったのか、どんな思いで剣を振るのか……なんせ、五年分だ。そう簡単に終わられては困る」


 証明と言ったが、僕がこの戦かたらいでもって強さを証明するのには理由がある。言い方は悪いが、父さんはそのために利用させてもらっている。

 僕は、強くなければいけない。生まれてきて一番、僕は強さを求めている。


 弱くなっていてはいけない。弱くては話にならない。


 破れた夢もある。だけど今、僕は……リノのために剣を振る。


 父さんに与えられた時間で決意を新たにして、今度は僕の方から、文字通り全力で踏み込み、再び剣を合わせた。

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