第9話
父さんと5年ぶりの戦かたらいが終わった頃には、日も沈みかけていた。
隣で平然と歩く父さんとは対照的に、僕はボロボロの体を引きずるようにして歩く。
「……」
「……」
会話は無い。
僕自身、父さんとの戦いで思うところはあったし、父さんは剣を合わせるだけで充分わかっただろう。だからこれは仲が悪いとかではなくて、僕と父さんの親子の関係ってやつだ。
……あと、ここまでボロボロにされた僕のちっぽけな意地でもある。
「……ふむ」
家の前に着くと、父さんは何かを思案する様子を見せ、一歩下がった。
えーと、僕が先に入れってことか?
「どうやら、君を待っているみたいだからね」
あのさ、当たり前のように心の声に返事をするのをやめてくれないかな?
父さんが微笑みながら頷いたので、恐る恐るドアノブを握る。
何か企んでいるのかと身構えたけど、家の中から仄かに香る美味しそうな匂いを嗅いだ瞬間に、そんな考えは霧散し、僕は玄関の扉を開けた。
「た、ただいま〜」
「あ、お、おかえりなさい先輩……って、キャッ! せ、先輩?!」
家の玄関を開けると、リノが僕を出迎えてくれる。こんなに幸せなことがあっていいのかと思うと同時に、訪れた安心感によって、辛うじて保っていた全身の力が抜け、前に倒れ……る前にリノによって受け止められた。
ははっ、情けない……
「どうしたんですか、こんなにボロボロになって……」
「あー、ちょっとね……父さんと語り合って来たというか、なんというか……」
正直に説明すると、僕が父さんにボコボコにされただけなんだけど、それをありのまま話すのは余りにも情けない。かといって嘘をつく訳にもいかないし……
「あっ、ごめんねリノ、重いよな」
話を逸らすことにした。
流石にもう倒れることは無いし、何よりその……リノに抱きしめられてるって事実が、僕の心臓に悪い。
だから話を逸らしつつ自然に離れるような流れを作りたかったんだけど……
「いえ、大丈夫です! それに、こんなにボロボロの先輩を放っておけません」
リノがそう言ってくれるのは嬉しいような、先輩として情けないような、複雑な心境だ。
と、それはともかく! えっ? 離れないの?!
言っちゃなんだけど、ていうか言いたくないけど、僕今めっちゃ汗臭いよ? だから今そんなに密着されると困るんだが……前も言ったけど、リノに臭いとか言われたら寝込む自信あるよ? 僕。
リノの肩に乗った顔を少し動かしてみると、リノは耳まで真っ赤にしていた。僕のために無理しているだろう。なんだかすごく申し訳ない。
あと、凄く良い甘い匂いがした。
やばい……このままだと、僕の理性が持たない。
「えっと、リノ? 僕、汗かいてるからさ……そんなに無理しなくても大丈夫だよ?」
「大丈夫です! 無理はしてません! 汗をかいてても先輩ならこうして抱きしめ……抱き………………………………は、はわわわわわわわ!……ポンッ」
「えっ、嘘だろ?! リノ~! リノアリアさ~ん!?」
今度は僕がその体制のまま、リノを支えることになった。
なにが原因か、ショートしてしまったリノだが、抱きしめてくれたままだからそう苦ではない。
しかし、場所悪い!
忘れかけてたけど、ここは玄関だぞ。父さんも入ってこれな……
「ただいま母さん、今戻ったよ」
「あ〜ん! おかえりなさい、あなた! 今日もお仕事お疲れ様!」
「愛する君のためならいくらでも頑張れるさ。今日も、おいしい料理を作って私の帰りを待ってくれてありがとう。私は、君がいないとダメみたいだ」
「アインス……」
「フィーニェ……」
あっ、関係ないみたいですね……まさに、アウトオブ眼中って感じだ。
2人の世界を構築しだした両親は、ひとまず見なかったことにしよう。五年ぶりということもあって免疫が無くなったのか、近くにいるだけで胸焼けしそうだ。
どうしようもなくなった僕は、そこで無意識の内にリノの髪を撫でてていたことに気づいた。
今までに見たどんな赤色よりも綺麗で美しい赤色の髪は、さらさらとしていて撫で心地もいい。きっと、今みたいな時でなきゃ触る機会なんて無いだろうから、今だけなら罰も当たらないだろう。
結局、父さんと母さん二人の世界が終わるまで撫で続けていたわけで、それまでリノはショートしたままだった。
しかし、「あらあら、二人もお熱いわね! 見てるこっちが胸焼けしちゃいそうなくらい甘いわ~」と、こっちのセリフだ! と言いたくなるようなことを母さんに言われたことでリノも元に戻り、僕達は少し微妙な空気のまま、食卓へと向かった。
「おお……!」
食卓に並ぶ料理を見て、僕は感動のあまり声を漏らしてしまった。
いや、でもこれはしょうがない。なんたって料理の品数もさることながら、そのほとんどすべてが僕の好物ばかりだったからだ! これで喜ばない人間はこの世に一人もいない筈……!
「さぁさ、冷める前に食べましょう? 今日はゼロ君のために好物いっぱい作ったんだから!」
「ありがとう母さん」
感謝を伝えると、なぜか含みのこもった笑顔で返された……気がする。
いや、気のせいだろう。とにかく今は、このおいしそうな料理をいち早く味わいたい。
「それじゃあ」
「「「いただきます!」」」
うわ~、どれから食べようか凄い悩む……でも、やっぱりこれかな。
「ミートポテト……」
これも食べるのは五年ぶりだ……
でも、なぜだろう? 僕がミートポテトにスプーンを付けた瞬間に視線を向けられた気がしたんだが……
「リノ? どうかした?」
「い、いえ、どうかお気になさらず……」
「そう?」
といっても、見られながらだとすごく食べ辛いんだが……言えばやめてくれるんだろうけど、ただでさえ初めて来た家の食卓に混ざってそんなことを言われては委縮してしまうかもしれないからな。今はこのままでいいんだろう。それに、誰かから見られたくらいでミートポテトの味は変わらない。
そう思い、僕はミートポテトを口にする。
「あっ…………」
美味い……
ああ、これだよ。僕が五年間求めてきたものはここにあった……
「美味い、美味い……」
美味いという声も抑えきれず、何度もスプーンでミートポテトを口に運ぶ。
じわっと体に染み込むような優しい味……五年前と変わらない母さんの味だ。
改めてお礼の言葉でも述べようと顔を上げると、そこで母さんがニヤニヤとしていることに気づく。まさか、何か謀られたか!?
「ねぇゼロ君、そのミートポテト美味しい?」
「う、うん、普通に……いや、かなり美味しいケド……」
「そう♪ それは良かったわね~リノちゃん♪」
「はい……あぅ」
えっ! これ、リノが作ったのか?! 完全に母さんが作ったんだと思ってた。料理が上手いのは知ってたけど、まさかこれほどとは……
「あの、先輩。今日のお料理なんですけど……全部、その、私がお母様からレシピを聞いて作ってみたんです……だから! その……これからはもっとおいしい料理を作れると思います」
「そ、そうか……ありがとう」
「はい……」
「でも、僕はリノの作るシチューも大好きだよ?」
「あ、ありがとうございます……」
待って、なにこれ。
嬉しいやら気恥ずかしいやらで感情がどうにかなりそうなんですが?! 母さんのレシピからレシピを聞いたのだって、もしかしなくても僕のため、何だろうか。
やばいやばいやばい、嬉しすぎて、僕まで何か勘違いしてしまいそうになる。落ち着け、落ち着くんだ僕。
と、食事のペースが落ちた僕を尻目に、父さんもミートポテトを食べていた。
「肉じゃがか……うん、おいしい」
「肉じゃが? ってこのミートポテトのことよね?」
「ああ、文献で得た知識だが……これは元々東の地域の料理でね、その地域の男はうまい肉じゃがを作れる女性に惚れるなんていわれるほど親しまれているらしい……と、君には何年か前に話したね」
「ええ、憶えているわ。その時にあなたから作り方を教わったんだもの」
「だが、これほど美味い肉じゃがのレシピを作れたのは、世界広しと言えども君だけだろう。流石だ」
「もう、あなたったら」
あ、はい。だいぶ落ち着いてきました。それはリノも同じようで……まあ、これだけアウトオブ蚊帳にされて目の前でイチャつかれればそりゃ落ち着くわ。
身内の恥ずかしいところを後輩に見られるとか、これなんて言う罰ゲームだ?
そして、改めて食べたミートポテトは、やっぱり世界一美味しかった。
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