第7話
「そっか、色々大変だったんだね……でも、女の子を守れるなんて偉いよ、ゼロ君。うん、偉い偉い」
母さんにこれまでのこと、主に騎士団をクビになったことや義足になった理由を話した僕は、どういうわけかリノの前で母さんに抱きしめられて、頭をよしよしと撫でられていた。
「ちょっ、母さん!リノも見てるし、結構恥ずかしいんだけど」
「五年振りなんだもの、これくらいは普通よね? リノちゃん。あっ、自己紹介が遅れてしまってごめんなさい、私はゼロの母でフィニェット・ディヴァインよ」
「え、は、はい。よろしくお願いします。私は騎士団でゼロさんにお世話になったリノアリア・デルダルクです。あと、先輩と先輩のお母様は家族なので、普通だと思います」
「ん~! リノちゃんは良い子なのね! あなたも、よしよしさせてくれるかしら?」
僕が解放されたと思ったら、母の目標ターゲットがリノに変わっただけみたいだった。
「お、お母様?!」
「あら? あらあら? 私をお義母様と呼んでくれるの?」
「えっ、あ、あのフィニェットさん?」
「お義母さんと呼んでもいいのよ? いえ、むしろ呼んで頂戴。朴念仁のゼロ君が女の子を連れてくるなんて初めてなんだもの。ゼロ君とはそう言う関係で、今日は結婚の報告に来たんでしょう? 安心して、私もあの人も反対しないわ。ふふふ、あの人に似てとってもカッコいいのに、好意に鈍感な所まであの人譲りだから恋人ができるか心配だったのよ~。でも、リノちゃんみたいなとっても可愛くていい子を射止めちゃうなんて、ゼロ君も隅に置けないわね! 告白はどちらからしたのかしら? 馴れ初めは? リノちゃんはゼロ君のどんな所が好き? もうリノちゃんのご両親への、ご挨拶は済ませたのかしら? 式場と式の日取りも決めないといけないわね。あっ、孫は2人のペースでいいけど、できれば早くみたいなぁ」
……長っ!? しかもやたらと早口だし、結構勘違いしてるし……
ああ、もう! いったいどこからツッコミを入れればいいんだ……!
「ふ、ふぇ? けっ、結婚? 先輩と私が結婚? ま、孫、せ、先輩と私の、子供……?」
リノは母さんの言葉が余程衝撃的だったのか、状況を理解できていないらしい。
「リノ、落ち着いてくれ。たぶん、母さんもからかってるだけだからさ……」
「ひゃぁっ! しぇ、しぇんぱい。先輩が、先輩で、私と……え、あ、あうぅ」
え、えぇ? リノを落ち着かせるために肩に手を置いただけなんだが、リノは落ち着くどころか真っ赤にした顔を両手で覆い下を向いてしまった。
それを見た母さんは、「あらあらまあまあ」と口を隠しながら微笑んでるし……収集がつかないないんだけど?!
……とりあえず、母さんの誤解から解いていこうか。
「母さん、僕とリノはただの騎士団の先輩と後輩だよ。元だけど、今もリノが僕の後輩ってことに変わりは無い」
「あら? リノちゃん、そうなの?」
なぜそこでリノの同意を得る必要があるんだ?
そうなの? って、俺とリノは騎士団の元先輩と後輩の関係しかないわけで、母さんが勘違いしているような、僕にとって都合がよすぎる関係ではない。
……筈なんだが。
「……はい。私とゼロさんは、騎士団内での『ただの』先輩と後輩の関係でした。それ以下でも、ましてやそれ以上でも……ありません」
あ、あれ? 間違ったことは何一つ言ってない筈なのに、なんでこんなにテンションが下がってるっていうか、落ち込んでるんだ?
リノは母さんの勝手な勘違いに戸惑っていて、その勘違いが訂正されたから、どちらかと言うと嬉しい筈じゃ……
「ゼロ君……めっ!」
「いや、なんで僕今怒られたの?」
五年ぶりの母との会話についていけません。
母さんは僕にデコピンをすると、「ゼロ君は先に、お父さんの所に行ってて」と言った。それに少し戸惑っていると、普段は、ふわふわぽわぽわした雰囲気を纏う母さんからは想像できないような底冷えする声で「返事は?」と言われてしまったので、思わず敬礼までして席を立った。
母さんは怒ってる時も笑顔を崩さないから怖いんだよな……
父さんは練兵場にいるだろうから、鎧はともかくとして剣だけはしっかりと腰に帯びた。
「いってきます」
「いってらっしゃい、ちゃんとすれ違う人達にも挨拶するのよ?」
「あ、いってらっしゃい先輩、お気をつけて……」
「う、うん。わかってる。その、ありがとう……」
我ながらなんという動揺っぷりか……
母さんの「いってらっしゃい」は、懐かしい感じがした。少し子ども扱いされ過ぎな気もしたけど、別に悪い気はしなかった。
そしてリノは……………………僕の、お嫁さん、みたいだった。
本人の前ではとても言えない、厚意で僕の旅について来てくれた後輩にそんな妄想をするなんて、リノからしたら裏切りにも等しいだろう。
僕はリノから尊敬される先輩でありたい。
この想いを告げて、今の関係が崩れてしまうくらいなら、僕は一生この想いに蓋をしてしまおう。
でも、今だけ、今だけは、ニヤケてしまう表情筋を抑えることはできない。
父さんと母さん、そして僕とリノがいて、そして僕とリノの……
ははっ、自分のことながら、僕は気持ち悪い奴だな、これじゃあリノにも軽蔑されてしまう。
少し走ろう、義足など知ったことか、転んでも走ろう。今は顔の熱を覚ましたい。
だから、今だけだ。次に誰かと会う時はいつもの僕に戻る。
でも、できれば……「おかえり」も、言って欲しいな……
僕はそんなことを考えながら、父さんがいる練兵場を目指して走った。
途中あった人達に、カミカミで挨拶をしながら、ね。
「リノちゃん、今の、本当の夫婦みたいだったわね」
「あぅ」
フィニェットが、ゼロを見送ったリノアリアの雰囲気を言い当てると、リノアリアは顔を悪くして俯いた。
「こんなに顔を赤くしちゃって、本当に可愛いんだから……よしよし」
「あ、お母様……」
「なあに?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「そう? ……ねぇ? 一つ聞いてもいいかな? さっき、ゼロ君とリノちゃんは『ただの』先輩後輩の関係だって言ってたけど、リノちゃんにとって、それは本当?」
「そ、それは……いえ、私にとって先輩は、本当に尊敬できる先輩、です。でも、私はそれ以上に……!」
そこで言葉に詰まる。
リノアリアはそのあとに紡ごうとした言葉を、今まで実際に口に出したことが無かった。
その理由は、ゼロが抱いていたものと同じだった。
彼女もまた、今の関係が壊れてしまうことを恐れていた。
『ただの』先輩と後輩の関係で終わりたくはない、叶うならば、それ以上の関係になりたい。
変わりたい、でも、変わってしまうことが怖い。
自分が胸に秘めている想いが口からこぼれた瞬間に、心のダムが決壊して、戻れなくなってしまいそうで……
「ゼロ君のことが男の子として好き?」
「っ!」
フィニェットが口にした言葉は核心だった。
自分がその問いに対して持つ答えは一つしかない。でも、答えてしまったら、もう戻ることはできない。
リノアリアが、このままの関係を望むなら沈黙を、変化を望むなら……
「(こくん)」
リノアリアは僅かにだが、首を縦に振った。
本当に、本当に僅かな意思表示。
だがそれは、彼女が初めて見せた、彼女が望むゼロとの関係を表す明確な意思表示であることに変わりは無かった。
そして、抑えてきた期間、想いが強い程、一度決壊した心のダムは勢いよく想いを放出する。
「わ、私は、ぜろ先輩が好き……です。強いところも、頼りになるところも、少し抜けてるところも、私を大切にしてくれるところも、ちょっと困るけど、鈍いところも、そして、誰よりも優しいゼロ先輩が……大好きなんです。誰よりも、誰よりも好き、なんです」
詰まりながらも、最後までゼロへの好意を言葉にしたリノアリアの頬には、いつしか一筋の涙が流れていた。フィニェットは、ポケットから取り出したハンカチでリノアリアの涙を拭くと、彼女の頭を優しくなでた。
「やっぱりそうなのね、ゼロ君は相変わらずの鈍感朴念仁だけど、リノちゃんはなんかこう、もっと無理してるみたいに見えたから……ゼロ君に想いを告げて、今の関係が崩れちゃうのが怖い?」
「それも、あります。でも、私は先輩に助けてもらってばかりで、今回のことだって、先輩は気にするなって言ってるけど、私がいなきゃ先輩は足を失わずに済んだもしれなくて……私なんかが先輩の恋人になるなんて、とても釣り合わなくて……」
「リノちゃん……怒るよ?」
「!」
フィニェットの顔からは表情が消えていた。
もしこの場に彼女を知る者がいたなら驚くだろう。怒る時ですら常に笑みを絶やさない彼女の無表情というのはそれだけ貴重で、同時に、とても恐ろしかった。
「ゼロ君は本当に優しい子よ。私もゼロ君の母親として、リノちゃんがそう思ってくれてるのは嬉しい。でも、私なんかっていうのと、釣り合わないっていうのは否定してほしいな」
「で、でも」
「でもじゃなくて、じゃあ何? リノちゃんにそれほど気負わせてしまったゼロ君の優しさは無駄だったのかな? リノちゃんが好きだって言ってくれたゼロ君のリノちゃんに向けた優しさは全部無駄なの?」
「そ、そんな訳ありません!」
「あとね、リノちゃんは自分は釣り合わないって言ってたけど、ゼロ君も手紙で似たようなことを言ってたわよ」
「先輩が?」
「うん、毎月一通送られてくるんだけどね、近況報告に加えて必ずリノちゃんのことが書いてあって、決まって最後にこう書くの『自分には勿体無い後輩だ』って」
もし、この場にゼロがいたら全力で母の口を塞いでいたか、リノアリアの耳を塞いでいただろう。だが、ゼロにとっては不幸なことに、今、彼はこの場にいない。
親に向けて書いた手紙の中に不自然の無いように書いた想い人の話を、他でもない想い人本人に知られるなど、年頃の男にとってこれ以上恥ずかしいことは無いだろう。
だが何度も言うが、幸か不幸か、彼はこの場にいない。
「で、でも、それは、ただの後輩としてで、それで……あ、あぅ」
「似たもの同士って事かしら、まぁ、これ以上は確信を持っているわけでも無いし、当人同士の問題だから私がこれ以上口を挟むことではないわね。でも、脈が無いわけでは無いんじゃない?」
「あの子が手紙に書くなんてそうとしか思えないけどね、バレないとでも思っているのかしら」と、微笑みながら、ゼロが聞いたら震えあがるような呟きは、今のリノアリアの耳に届くことは無かった。
「それで、リノちゃんはゼロ君とどうなりたいの?」
最初の「一つだけ」というのはどこに行ってしまったのか。
フィニェットは何度目かの質問をリノアリアに問いかけた。
すると、リノアリアは顔を上げる。
すべてを割り切ったわけでは無いだろう、少なくとも、彼女は今でもゼロの両脚に対する負い目を感じている。
しかし、以前までのように必要以上に自分を卑下することは無いだろう。
なぜなら、それはゼロの優しさを否定しまうことになるからだ。
フィニェットに諭されたとはいえ、自分でそう思い至ったリノアリアの目に、もう迷いの色は無かった。
「私は、ゼロ先輩と、恋人になりたいです」
少し前までの彼女なら、想いに蓋をして、自分の本当の望みを言葉にすることはできなかっただろう。
だが、彼女は少しだけ変わったのだ。
「先輩を支えて、隣に立つのは、私でありたい……」
釣り合わないというなら、釣り合うような自分になろう。
一度変わった者は、それ以降の変化を恐れない。
ただ願うだけでは何も叶わない、願いは叶うべくして叶うのだ。今の自分で願いが、望みが叶わないなら、変わるしか方法は無い。
自分の望みを吐露し、方法を知ったリノアリアの心は嘘のように晴れやかだった。
「うん、私もリノちゃんを応援するわ。でも、母親の私が言うのもなんだけど、ゼロ君は相当手強いわよ?」
「はい、知ってます。お母様ほど長い時間ではありませんが、私は四年間で痛いほど身に沁みました。それでも諦めたくないって思うのは、惚れた弱みというものでしょうか?」
「ふふっ、そうかもしれないわね。あっ、そうそう、リノちゃんこの後夕飯の支度を手伝ってもらえないかしら? ゼロからの手紙で知ったんだけど、偶に、あの子のお弁当を作ってくれてたんでしょう?」
「は、はい、その私は毎日でも良かったんですけど、あまり頻度が高いと先輩が遠慮してしまうので、それでも心配だったというか……」
「あの子、料理は「からきし」だものね、ちょっとほっとくと見てるこっちが心配になる食生活をするんだもの。リノちゃんには本当に感謝してるわ。手紙にもおいしいおいしいって書いてあったし、胃袋は掴みかけね」
「は、はあ」
「よし! それなら今日は折角だし、ゼロ君の好物をいっぱい作ろっか! リノちゃんに教えてあげたいゼロ君好みの味付けもあるしね」
「それはぜひ教えてください!」
「よしよし、その意気よ。まずは胃袋を完全につかんで、目指せ大逆転!」
「はいっ!」
「違うよ、こういう時リノちゃんは、おーってやるの」
「お、おー!」
「うんうん、それじゃあゼロ君とお父さんが帰ってくるまではもう少し時間がかかると思うから、最高の料理を作ってあげよっか。それでね、ゼロ君が帰ってきた時には笑顔で『おかえりなさい』って言ってあげると喜ぶと思うから忘れないでね?」
「わかりました!」
「それじゃあ台所キッチンに行きましょう、この四年間のゼロ君の話も聞かせてね?」
そして二人は台所へと消えていった。
台所からは楽しげな声が聞こえ、先刻までの重い空気は無い。
ただそこには幸せな空間が広がっていた。
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