第2章 セシリアの描くシナリオ
第12話 切符入りの封筒
休み丸一日を、ふわふわとした不思議な感覚に浸りながら一人で過ごし、そして翌日には満員御礼の食堂で、また慌ただしい看板娘に戻っていた。
「いらっしゃいませ!」
店のドアベルが音高く鳴るたびに、ほぼ条件反射で、笑顔と挨拶が全身から飛び出るようになっていた。
「お席へご案内します」
セシリアは、衣装も化粧もそのままに一人でやってきた道化師の男に駆け寄って、空いた席へ案内しようとした。
ところが、道化の男は首を横に振った。ふくよかな肩から斜めに下げた鞄のヒモが、カラフルなボールのように太ったお腹に食い込んでいる。
「お客様……?」
戸惑うセシリアに、道化師は鞄から一通の白い封筒を取り出すと、やたら甲高い声で、
「団長からお知らせだよ! 今日中に必ず確認してね! それじゃあね!」
と、ピンク色のリップでほっぺたまで口角を描いた顔でニッコリ笑って封筒を手渡して、とんがりシューズでものすごい躍動感あるスキップをしながら店を出ていった。
短くしゃべって踊って去ってゆく、プロの道化師による短いパフォーマンスが詰め込まれた一分足らずで、店内中の注目がセシリアに集まっていた。
セシリアは受け取った手紙を片手に、ぼう然としていた。
(びっくりした……。ここに来る役者さんたちは、みんな素の自分に戻って食事をされるから、まだ仕事中のピエロさんが来るとは思わなかったわ)
差出人は誰かと、封筒をひっくり返してみたが、裏にも表にも、何も書かれていなかった。明るい緑色の封蝋だけが、異様に際立っている。
(本当に団長からの手紙なのかな。でも、見知らぬピエロさんから嫌がらせの手紙をもらう心当たりもないし……)
混乱するセシリアを置いて、ゆるやかに店内が賑わいを取り戻す。
厨房からセシリアを呼ぶ声がして、セシリアは「はい、今行きます!」と声を張って返事した。賑やかな店内では、声を張らないと何も聞こえない。
(今は忙しいから、休憩時間に封筒を開けて、中身を確認しましょ。明らかにイタズラだってわかる文章だったら、破ってゴミ箱に捨てちゃいましょう)
奇妙な出来事に心がモヤモヤするのを押し殺して、セシリアは休憩時間まで、アリのように働いた。
仕事中も、胸ポケットに入れておいた手紙が気になって、ちょっと困った。やはり、道化師が言っていた「団長から」という言葉が、どうしても胸に引っかかってしまう。
休憩時間に入るなり、店の裏の、生ごみなどを集めて捨てるゴミ箱がある場所は避けて、もう少しだけ歩いた先で、手紙の封印に親指の爪を引っ掛けて剥がした。
封蝋が崩れて、ぼろぼろと足元に崩れて慌てた。
「あれ? セシリーじゃん」
向かいの売店で売り子をしている女性が歩いてきた。休憩時間にたまに会う、年上のお姉さんだった。いつも緑色のキャンディ模様の作業服に、白いエプロンを付けていて、ごわごわした長い髪を虹色のリボンで一つに結んでいる。
「あ、こんにちは。姉さんも休憩ですか?」
「うん。あー、やっと解放されたよー。あの店、現金払いじゃん? レジ機も旧式だし。カードは使えないのかって、お客さんに食ってかかられてたんだよ」
「カード? 旧式……?」
「ああ、こっちの話さ。あんたは、一人でどうしたんだい? そんなに足元、散らかして」
セシリアは足元の封蝋を一瞥した。そして、いつも気さくに話しかけてくれる彼女になら、相談しても大丈夫かと思い、手紙の件を説明した。
「へえ、そんなことがあったんだ。あ、でもさ、もしも本当に団長からの手紙だったら、あんたの原稿が、団長の目に留まったってことじゃないかい?」
「ええ!?」
そうかもしれないと思ったとたんに、俄然やる気が出たセシリア。読むのが楽しみであり怖くもあり、でも早く読みたくて、でもでも現実を直視する勇気がまだ出なくて、なかなか手紙が取り出せない。
「早く読んでみなって~」
「あわわわわ、でも、もし、そうだったら……」
自分が書き上げたシナリオが、舞台の演目として、選ばれる……大道具さん、小道具さん、衣装さん、その他多くの人の手から肉付きを得て、舞台俳優が熱のこもった役を演じ、スポットライトを浴び輝く……そんな景色が目に浮かんだ。
思わず手紙を胸に抱きしめ、セシリアはうっとりと、ため息をつく。
「……よし、落ち着きました。開けてみます!」
この手紙を確認するのは、夢の第一歩。そう自分に言い聞かせ、白い封筒の中身を取り出し、広げてみた。丁寧に四つ折りされた白い紙には、一目で高い知性を感じさせるほどの美しい筆記体が、明るい緑色のインクで踊っていた。金色の粉が混じった、きれいなインクだった。
「えーっと、なになに~……? 北側の、廃墟の中で待つ? 団長より? 遅刻厳禁〜???」
日付は明日で、時間はお昼。
北の端にある廃墟といったら、そういう見た目の心霊スポット系お化け屋敷であった。外装が廃墟っぽいだけで、中の施設はボロボロではない、という噂しかセシリアは知らなかった。
ここからかなりの距離があり、セシリアも道がわからない。売店かどこかで地図を買わなければ、この広いサーカス国で迷子になってしまう。
困ったセシリアは、彼女にも手紙を見せ、売店で地図を扱っていないか尋ねた。
「ああ、お子さん用にわかりやすく描かれた、大きな地図もそろってるよ」
「助かります! ちょうど休憩時間だし、姉さんの店で買ってきますね」
「おいおい! このぽろぽろ、ちゃんと拾ってからにしな」
ぽろぽろとは。
セシリアは、足元を見た。エメラルド色の靴の先に、先ほど手紙を開封したときにボロボロと落としてしまった、封蝋の破片が散らかっている。よく見ると、これもエメラルドカラーだ。
「あ、忘れてました」
セシリアはしゃがんで、バラバラになった破片たちを、つまんで手のひらに集めた。
(ん……? 表面に、動物の絵みたいなのがある)
パズルのように、欠片のデコボコを組み合わせてみた。
すると、たてがみの細かな、ライオンの横顔が現れた。緑の蝋燭に、細かい金粉がキラキラと輝いて、高級感と特別感を醸しだしていた。
「ライオンの横顔……? 初めて見る型です」
「このデザインは、うちの店では扱ってないね。この髪の細かさは、特注品かも」
わざわざイタズラのために特注品を使うなんて、セシリアには考えられなかった。
手紙が本物である希望が高まる。
「ああ、どうしてじっくり観察もせずに、粉々にして開けちゃったんだろ。次からは気をつけなくちゃ」
「ん? 開けるとき、粉々にならないかい?」
「封蝋の型は、覚えておいたほうが役に立つんですよ。何かの証拠品になったりね」
教会に多額の寄付を申し出てくれた貴族からの手紙を、シスター・マゼンタが慎重に
セシリアは、とりあえずスカートのポケットに入れた。手紙に記された日時を思い出して、ため息をつく。
「それにしても、明日のお昼までなんて急過ぎます。早朝からアパートを出ないと」
「そうさねぇ、この国は広いから、国の端っこまで移動するには、乗り物を使うといいよ。レインボートレインとか」
「あ、それ聞いたことがあります。一般人用に列車が走ってるなんて、すごい国ですよね。でもあの機関車って、お客さんしか乗っちゃダメなんでしょうか」
「従業員用の車両もあるよ。後ろっかわの地味な車両がそうさ」
持つべきものは、頼れる先輩だと、セシリアは深く感謝した。危うく徒歩で行くところであった。
(あ、でも、切符ってお値段どのくらいするんだろう。これも姉さんに聞いたらわかるかな。さっきから質問ばっかりしちゃって、申し訳ないわ……)
そもそも、遠くに人を呼び付けておいて、切符代を本人に負担させるとは……冗談がキツイのではないかと、セシリアは封筒を確認してみた。
虹を渡るカラフルな列車の絵が印刷された、小さな紙片が一枚、手の平に落ちる。
「あら? 切符が入ってる!!」
ダメ元で確認してみて良かったと、セシリアは歓喜に身を震わせた。仕事とアパートの往復、たまの休みも執筆作業で潰れる日々に、突如降ってわいたこの刺激は、たまらないものがあった。
もしもこれが、セシリアへの嫌がらせだったとしたら、いったいどんな暇人が思いつくのだろうか。この国で暇を持て余している従業員など、おそらく一人もいないとセシリアは思っている。
「どうやら、本物の団長からの手紙みたいだね。よかったじゃないか、セシリー」
「はい! 店長と相談して、明日行ってみます! ああ、どんな話をされるんでしょ~」
手紙に要件を全て書いたり、使者を送ってセシリアとやり取りをすることもできたはず。切符を同封してまで、妙な場所を指定して、直接セシリアと話さなければならない内容とは、いったい……。
よくよく考えたら、けっこう不気味な招待状であることに、セシリアはようやく気がついた。急に一人で行きたくなくなってくる。
しかし切符は一人分。予定は明日のお昼という、強行突破ものだ。誰かに予定を合わせて同行してもらうことは、できそうにない。
……悩むセシリアは、ふと、浪費した時間がとても気になって顔を上げた。
向かいの売店のレジ近くには、ツリーハウスみたいな鳩時計が置いてある。
「あわわ、休憩時間が終わっちゃう。水分を取って、お手洗いに行って、それから売店でチョコとビスケット買って、小腹を満たさなきゃ」
「まいどあり~。ついでに地図も買ってくかい?」
「あ、はい!」
今日も就業時間いっぱいまで、忙しいセシリアなのだった。
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