第13話   舞踏会に行くドレスを選ぶように

 店長に事情を話すと、妙なことを言われた。北の廃墟周辺にある施設が、以前からセシリアのような人材を欲しがっており、研修期間を設けるからセシリアに来てもらえないかと、店長に頼んでいたらしい。


「わたしのような人材を、必要としてる場所? どんな場所ですか?」


「さあなー。団長なら知ってるんじゃないか?」


 なんとも適当な返事に、セシリアは顔には出さなかったが、不満を抱いた。なんだかんだで、この食堂で働くことに、やりがいを感じ始めていたから。


 一人、暗い帰り道につく。片手には、荷物鞄を。もう片方の手には、例の手紙を握っていた。


「地図は買ったし、あとは、現地で適当にサンドイッチでも買うか……」


 疲れて、ぼんやりする頭の中で、ふと、夢で出てきたロビンとメルのやり取りが、走馬灯のようにぽわりと浮かんだ。気遣いの達人のメル、そんな彼に、強い違和感を抱くあまり暴走気味となるロビンの二人が、このサーカス国で冒険していく物語。


 やがて訪れる、悪の王様オズとの対決。


 北の廃墟で、二人が掲げる『虚言の剣』


「おかえり」


 アパートの玄関へふらふらと戻ってきたセシリアに、いつも不愛想な大家が声をかけてきた。びっくりするセシリアに、ふんと鼻を鳴らして新聞に目を移す。


「盗まれた『虚言の剣』、まだ返ってきてないんだってな。連日、新聞に掲載されてら。なーんだか記事が、一連の短編小説みたいになってて、本気で捜してるのかねってな話だ」


「そ、そうなんですか……」


 セシリアも、片手にした新しい情報を、彼に提供することにした。


「わたしは団長から、北の廃墟まで来るように指示を受けました」


「ほー……」


「……はい」


「……」


「……」


「で?」


「あの、明日、団長に会うんです」


「ほー……」


「……。それじゃ、失礼します」


 繰り返される沈黙に耐えられず、セシリアは疲れた足に鞭打って、階段を駆け上っていった。



 部屋のクローゼットには、お小遣いを貯めて買ったベージュのジャケット(古着)と、春風に揺れる軽やかな白いワンピースに、このまま作業場に入ってもバレないかもしれない地味めな深緑色のシャツと、黒のロングスカートと、黒のズボンが、木製のハンガーに掛かって静かに並んでいる。


 セシリアは彼らを前にして、うーんと長考していた。


「どんな服を着ていけばいいんだろ……。仕事の用事なら、地味めに。でも、この国で一番偉い人に会うんだから、もっとおしゃれな服にしたほうが、いいのかなぁ? う~ん……」


 わからないことは、誰かに聞いてみるに限る。セシリアは今までそうしてきた。そして、わかってきたことがある。このアパートの人たちは、夜は早く寝ているか、深夜まで働いているか、お酒を飲んで朝帰りしていると。


「うぅ、今の時間帯で質問できそうな人が、大家さんしかいない……」


 またあの沈黙カーニバルが待っているかもしれない。それでもセシリアは、白いワンピースと、地味な深緑色のシャツを両腕に引っかけて、大家へ尋ねるべくアパートの階段を下りていった。


 何やら、一階で物音が鳴っている。大家が物を動かしているようだ。


「すみませーん……」


 セシリアが控えめに声をかけると、扉の開きっぱなしな事務室の本棚から、大家がどんどんファイルを引っ張り出しているところだった。受付のテーブルの上に、積み重ねている。


「北の廃墟か……懐かしいな」


 大家はセシリアの存在に気がついていた。ちょうど彼女の部屋に、一階の資料を見に来ないかと声をかけるところだったらしい。


 プラスチックのファイルの表紙は、色とりどりで、鮮やかで、重ねているだけでテーブルに虹ができていた。


「俺が働いていた頃の、古いパンフレットが入ってる。プレミアムチケットのサンプルも。当時売ってたクレープの包み紙も、チョコソースの染みそのままだ」


「読んでみてもいいですか?」


 セシリアは許可を取ってから、大家ご自慢のコレクションを眺めてみた。どうやら、大家のセンスで選び抜かれた当時の思い出スクラップブックのようで、白黒写真の中でピエロと変顔をして並んでいる、少年大家の姿もあった。


「皆さん、しましまの制服を着ていますね。矢印で名前が書きこまれていますけど、この男の子が、大家さんですか?」


「ああ、この写真か。俺はチケット売り場のボーイとして、働いてたんだ。売り場がわかりにくい場所にあってな、俺は客を案内する係だった」


「へえ、こんなに小さな頃から」


 十歳よりも小さく見える。だが、周囲の大人から可愛がられて、順調に生意気ボーイに育っているのが、よくわかる顔をしている。


 見上げた大家さんの顔も、なんだか活き活きしていた。当時の楽しかった記憶、誇らしい思い出とともに、目に輝きが戻っている。


 写真の背景に写った建物は、どこも廃墟には見えなかった。全体が入りきっているわけではなかったが、太い柱に支えられた、どっしりとした立派な劇場であることが充分に伝わってくる。


(こんなに立派な建物が、どうして廃墟になったのかしら……経営難で、修繕費が下りなかった、とか?)


 大家さんのきらきらした目の前で、とても尋ねられなかった。


「『最北の劇場』、それがこの劇場の名前だった。あのロビンソン・バードも主演として何度も舞台に立ったんだ。当時のスタッフには、あの東の魔女が働いてたんだぜ」


「東の魔女? どなたですか、それは」


「ん? ああ、最近の若い子は知らないのか」


 大家は、セシリアが眺めているファイルの下に積み重なった、別のファイルを引き抜くと、ページをめくって、差し出した。


「ほら、ここだ。このファイルには、売り場スタッフ全員の写真を収めてあるんだ」


 そう言って指で差し示されたのは、白黒写真の中でうつむく、浮かない顔の女性だった。夏場の頃だろうか、半袖ばかりの中で、一人だけ肩からぶ厚いカーディガンを羽織り、その胸元を両手で手繰り寄せていた。短く切ったおかっぱヘアーが、右から吹いてくる風に揺れている。


(うわぁ、暗い顔の女の人ね……。周りが明るい顔してる分、すごく目立つわ)


 笑ったら、きっと美人だろうに、不安と寒さに苛まれて、この人だけが真冬の外に立たされているようだった。


「この女性が、魔女なんですか?」


「ああ。彼女がサーカス国から出る頃には、周囲から魔女だって呼ばれるようになってたな。規則に厳しく、不正には厳格に対処するあの団長様も、この人には敵わなかったらしいぞ。チケット代を踏み倒されたらしい」


「え? チケット代? どこかの舞台をタダしたってことですか?」


 セシリアが聞き返すと、大家の老人は少し面食らったように、白いぼさぼさの片眉を吊り上げた。


「さあなぁ、どういう状況だったのかは、俺にも詳しくはわからん。サーカス国には、チケットがバカ高ぇ舞台が幾つもあるからな、スタッフとして働いても、返せなかったのかもしれないな」


 かもしれないな、で終わる話だった。


(魔女さんが、チケット代を全額返す前に、踏み倒して出国したってこと……? それが今でも伝説になるって、どういう踏み倒し方をしたんだろ……団長をブン殴ったとか?)


 なんとも曖昧な話であると、セシリアは思った。ただの噂話と、なんら変わらない。


 明日着ていく服は、地味めな物に決まった。でも、髪の毛ぐらいは、大好きなルビー色のリボンを編み込んで、気分を上げていくことにしたのだった。


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