第11話   アパートと、窓とポスト・2

 中古ショップで見つけた、安くても可愛く見えるくすみオレンジのワンピースをすっぽりかぶって、いざパン屋さんへ。いつも美味しそうな匂いが漂うわりには焼いてる個数が少なくて、新作なんて実際に目にしたことがないのを、セシリアの疲労した頭では思い出せなかった。


「え……ミルクパンしか残ってない。しかも二個だけ~」


 レジの壁には、新作のサーモンオムレツツナバゲットのイラストが、でかでかと貼られていて、とんでもなく美味しそうに描く誰かの画力を、セシリアは少し恨んだ。もう少し遠くのパン屋に行けば、何か別のが買えたのかもしれないが、もうお腹がぺっこぺこなセシリアは、ミルクパン二個を購入して、アパートの部屋に戻ってきた。


「あの店、人気なのに品数が少なすぎるわ。これは今月も新作を拝める日は、期待できないわね……誰かが買い占めてるのかしら」


 パンをちぎっては、コップのミネラルウォーターで流し込むという、簡単なお昼。職場のまかない料理におかず系が多いせいか、休日はパンだけで充分だった。


「さて、原稿をポストに投函しなくちゃ。あ、そうだった、シスターへの手紙も書かなきゃ」


 パンを全て食べ終わると、文机の椅子に座って、インクをたっぷり含ませたガラスペンで、週一で書いているシスター・ジゼルへの手紙を、したためる。


 何を書くかは、昨日の夜中に頭の中で下書きを考えていたせいか、すらすらと文章が浮かんできた。シスター・ジゼルを心配させないような文ばかり書き記していたが、ついポロッと、近所のパン屋さんの新作を一度も食べたことがないグチを、一行だけ付け足していた。


「腕が疲れた……」


 朝早くから利き手を酷使し続けていたため、ついにペンを握る気がなくなるほど、腕がだるくなってしまった。


 しばらく、椅子に座ったままでボーッとしてみる。作業興奮で熱くなっていた頭では、この後どうしたいかの計画が思い浮かばない。


 今日は一日、ボーッとしていたかった。


 掻き上げた原稿と手紙を、アパート玄関横のポストに、投函しなければならないのに。もう足が動かない。


「なんでパン屋に行くついでに、原稿だけでもポストに入れなかったのかしら」


 セシリアなりに、考えてみる。


「きっと長編が完成した感動のあまりに、手元に置いて眺めていたかったのね。無意識に大事にしすぎていたんだわ。すぐにポストの中へと手放すべきだったのに」


 いざポストに投函、と両手で茶封筒を持ち上げてみるも、その重さに顔がにやけて、また机に下ろして、しばし眺めてしまう。


「私って、こんなにたくさん書けたんだ……毎日これぐらい書けたら幸せだろうな~」


 もう少しだけ、部屋に置いておくことにした。



 この国の周囲、窓から遠く望む景色は、ときおり大きく変化する。ここは本当に、不思議な場所だとセシリアは思う。窓からは、絵本でしか見たことがない青い海が夕日をきらめかせている。しかし、明日には全て干上がってしまい、緑の雑草が生えて、お隣さんから借りた双眼鏡に、小動物たちの日々を生き抜く様子が、うかがえた。


 地形や地理に疎いセシリアには、これが実際にあり得ることなのか、異常なことなのか、わからない。同じアパートに住む人に、挨拶がてらに、窓から見える景色について尋ねてみるも、詳しく知るものは誰もいなかった。


「海が見えるわ……世界地図だと、どのへんに位置する国なのかしら……」


 忙しく、充実した生活の裏で、異変や不気味さの原因を追究する気力が、奪われてゆく。


 夕方近くになった頃、ようやくセシリアは冷静になり、原稿と手紙を腕にして、自室を後にした。


 アパートの玄関の隣には、鳥の巣箱の形をした、大きなポストがあった。いつ手紙を回収しているのかわからないが、相手の住所を書いた封筒を投函すると、確実に相手に届くのだという。


「切手とか、お金は要らないのかしら」


 セシリアはぶ厚い茶封筒と、白い封筒をそれぞれ片手に持ち、階段を下って、玄関横のポストに、そっと投函した。


 ポストの中で、ガタンと大きな音がして、セシリアは原稿が無事か心配になったが、取り出して確認する術はなくて、


「無事でありますように。あと、団長に採用されますように」


 お祈りしてから、部屋に戻った。


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