第10話   アパートと、窓とポスト・1

 セシリアはベッドから飛び起きた。


「いいネタが浮かんだ! これだわ! なぜか役者さんがロビンさんとメルだったけど、これは昨日話したときの印象が強くて、夢に出ただけね」


 セシリアは着替えも洗顔もそっちのけで、文机の椅子を引いて、ドスンと腰掛けた。ガラスペンを取り、筆先をインク壺に突っ込んで、原稿用紙にガリガリと文字を走らせる。


「そうねぇ、二人がこの表情してる時に、ちょっと風を吹かせて、照明は、この位置から照らしてもらおうかしら……ああ、アイディアが湧いて止まらないわ!」


 こういう時が最高に楽しいのだった。


 頭に浮かんだ夢の内容は薄ぼんやりとしていて、原稿用紙に書いているうちに、だんだん手の動きが鈍ってきた。


「けっこう背景がぼんやりとしていて、うーん……ロビンさんが見ていた景色が、ぜんっぜん思い出せないわ。そもそも稽古場の陰ってどこ? 稽古場ってどこ? なんの稽古をするところ? やっぱ役者さんが舞台の練習をするところよね。あと、ロビンさんが眺めていた三角屋根の建物って、本当に団長が仕事してる場所なのかな。この国の全ての建物の屋根に、見覚えがあるわけじゃないのよね……」


 舞台シナリオは、あまり細かい感情の指示を入れず、役者さんの演技力に任せる部分が多い。背景を造るのは、まだずっと先の段階だし、今まさに原稿を書いている最中のセシリアが気にすることではない。


 背景は大道具の仕事であるし、そもそもあの夢は、既存の建物を背景に使っているようだったので、舞台で再現するならば、あの場所のあの角度で、役者さんに演じてもらうしかなかった。


「心優しいメルの気遣いが、ロボットみたいだって、気にするロビンさんのお話かぁ……どんなストーリーに仕上げようかな。本当にメルさんをロボットにするべきか、それともロビンさんの考えすぎってオチにしようか……」


 セシリアは腕組みし、ガラスペンのインクが羽織の袖に付着したのも気づかない。悩むあまり、インクの付いたペン先で頭を掻いてしまったことにも気づかない。


「そうだ、こうしよう。なんでも願いが叶う魔法の剣があって、それをロビンさんとメルが二人で二本そろえて、それを使ってオズさんを倒して、二人はサーカス国を脱出して、旅に出るの」


 さっそくセシリアのペン先が、ロビンを行動させてゆく。剣の効果の噂を酒場で耳にしたロビンが、メルに話を持ちかけて……セシリアの筆が止まった。


「ちょっと待って、オズさんって、誰……?」


 椅子の背もたれに、思いきりもたれて、頭を大きく仰け反らせ、逆立ちしたような視界になりながら、うーんと腕を組み想像する。


「よし、オズさんは悪い神様ってことにしましょ。剣で倒されるくらいだもの、メルをこの国に引き入れてから、ずっと捕まえて働かせてるって設定にしましょう」


 アイデアがまとまったら、即刻姿勢を戻して、物語を紡ぎ続けた。


 楽しく書いている最中で、また筆が止まった。


「オズさんと団長って、どういう関係なの……メルを雇ったのはオズさんじゃなくて、団長なのよね……」


 またまた逆さまの視界になって考える。熟慮する。長考する。腕を組んで考え続ける。


「そもそも、これは団長に見せるための原稿なのに、その団長を悪の手下にして書いちゃ怒られるかしら。うーん……ただでさえ実在する従業員さん二名を、勝手に登場人物にしちゃってるんだし、団長まで変な設定で登場させちゃ、さすがにまずいわね……」


 審査員の団長を怒らせては、採用されるものもされない気がしたセシリアは、姿勢を戻した。


「よし、団長という登場人物は、ばっさり削除しよう。悪役はオズさんだけにしましょうか。団長と悪の魔王、オズさんにはその二役を兼業してもらいましょう。うん、ストーリーが上手く繋がる気がする!」


 道が決まれば、筆が早い。朝食も買わず水分も摂らないまま、気付けばお昼過ぎまで筆を走らせていた。指先はインクで汚れ、そのままあちこち触ったせいで、服までシミだらけになっても、まったく気にしない、気づいてすらいない。


「できた!」


 完成した嬉しさのあまり、ペンを原稿の束の上にパーンッと置いてしまい、ガラスペンが折れてしまうではないかと慌てて拾い上げた。


 このガラスペンも、この部屋に初めからあった物だった。買えば高価な代物、こんなボロアパートの備品にしては不自然であると思ったセシリアは、入居当日に大家さんに尋ねてみた。すると「前に住んでいた人が家賃代わりに置いて、逃げてった」とのこと。文房具に興味がない大家さんは、そのままセシリアに貸してくれると言う。以来、セシリアはありがたく使わせてもらっていた。


 完成した原稿の束の端っこを、キリで穴を開けて、紐でつづって、茶封筒の中へ丁寧に入れて、ノリで封をした。


「うう、けっこうぶ厚くなったわね……ノリ、剥がれないかしら」


 配達途中で封が取れたら悲劇である。セシリアはこの封筒そのものも、紐で縛ってみた。


「これで、よし、と。これなら途中で封が開いちゃっても、原稿が飛び出ることはないでしょう」


 初めてこんなにたくさん書けた。自分至上最高傑作。セシリアは満足げな鼻息が出る。


 ふと、己がひどく空腹なことに気が付いて、セシリアは慌てて立ち上がると壁時計を確認した。


 質素な作りの時計盤の指針が、よからぬ角度を示していた。


「うわあ! もうこんな時間! 朝ご飯、いえ、ランチのお得メニューが売り切れちゃうー! って言うか、もう売り切れてるわ、こんな時間だし……」


 がっくりと、椅子にうなだれた。少しでも節約し、その中でも美味しい物が食べたかったセシリアは、休日はいつも近所の定食屋の日替わりランチが楽しみだったのだ。


「今日はどんなメニューだったのかしら……」


 今まで食べてきたメニューが、頭の中を走馬燈のようによぎってゆく。視界のド真ん中には、原稿の入った茶封筒が。物語の中のロビンとメルが、パン屋さんでお茶をするシーンが、目の裏に浮かんでくる。


「なんだか、パンが食べたくなってきちゃった。今日は原稿ができた記念日ってことで、自分へのご褒美に、人気店のを食べに行きましょうか」


 立ち上がろうとしたら、足が重かった。早朝から昼過ぎまで、夢中で筆を動かしてきた体は、いくら若いからとて無理がたたって、錆びついたようになっていた。


 首から下が黒いインクで汚れていることにも気づいて、よけいに足が重くなってしまった。


「まず、顔を洗って、着替えなきゃ……」


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