第7話   その剣を戻せ

 団長はセシリアの原稿に返事を出さない。いったいどこが採用に至らなかったのか、ほとんど独学でシナリオを書いているセシリアには、わからないままだった。


(えーっと、次のストーリーは、主人公を女性にしてー、性格は、どうしようかな、わたしに似てる慎重派の子のほうが書きやすいんだけど……あ、そうだ、主人公と会話する脇役キャラのポジションは、どうしよう、キャラ同士はどれくらい交流をもたせたら……。あーあ、きっとセンスの良い人だったら、すぐに自分の作品の欠点を自己分析して、あっという間に克服して、それでデビューするんだろうなぁ……)


 仕事中のわずかな合間にも、ついシナリオのことが頭をよぎる。それで食器を落とすようなヘマはしないが、この場で酒を飲み交わす人たちが、己の望んだ道を歩み抜いているように見えてきて、気分が落ち込んでしまうことがある。


 ドアベルが新たな来客を知らせた。


「あ、いらっしゃいませー!」


「こんばんは、セシリアちゃん。今いいかな?」


「はい?」


 セシリアはお客から変な話を聞いた。


 変なじいさんが、この店のおもてで喚いていると言う。人だかりもできてしまって、営業妨害ものになっていると言うのだ。


「変な、おじいさん……?」


 セシリアの知る変なおじいさんは一人しかいなかった。厳密に分別するなら、おじいさんに化けた団長だ。この世におじいさんは何百と存在するが、まさか団長が変装した獣人ではと思ったセシリアは、店長におもてを見てくると言って外に出た。


 夜のサーカス国はオレンジ色のガス灯と、いつ閉まるのかわからないお店から漏れるゆったりとした明かりで、照らされていた。夜も深夜も大勢が歩いている。派手な色した制服姿のセシリアが、目立たないほどに。


 客の言ったとおり、店から出てすぐのところに、人だかりができていた。ケンカだろうか、言い争う声に聞き覚えがあったセシリアは眉毛を寄せた。


「ちょっとすいません」


 人混みを謝罪しながら分け入って、なんとか最前線に出ると、案の定、あの獣人老人と、ロビンとメルが対峙していた。獣人老人の片手には、鞘に収まった剣が。

 ロビンとメルの狼狽した顔色を見るに、絡まれているのは彼らのようだった。


「その剣は、もともと儂の物じゃ。あんなに厳重に警備しておったのに、いったいどうやって盗んだのだ」


「これを俺にくれたのは父です。俺は詳しいことは何も知りません」


 セシリアはロビンの真剣な横顔にハッとした。お店にいるときの彼は座っていたので、背丈がよくわからなかったが、今は、セシリアよりもメルよりも背の高い、年上のお兄さんであることが判明した。一度も笑ったことがなさそうな固い表情と、不安たゆたう大きな黒目が印象的な、あまり明るい性格とは言い難い雰囲気の男性である。


「この剣のことは、あきらめてください。この剣ほど舞台で輝く剣を、他に知らないのです」


「お前さん、それをどのように使っておる」


「舞台の上で、演技で振っています」


 ロビンは剣を守るように、両腕で抱きしめていた。メルは、役者であるロビンの顔に傷がつかないように、ロビンの前に出て庇うように立っている。


 ロビンがため息をついた。


「もういいですか。通してください。行こうメル」


 強引に歩きだそうとするロビンと、メル。


 老人が自分の持っていた剣を、鞘からチャキッと引き抜いて、二人に向かって構えた。


 白銀色の剣が、エメラルド色に強く発光する。


 するとロビンが抱きしめていた剣も、鞘のすきまから緑の光をこぼしはじめた。


 突然のことに、ロビンとメルはおろおろしている。


 セシリアは、二つの剣が呼応するように輝く様子に、目をしばたいていた。


(な、なんなの、この展開! 剣が光ってる! ……不謹慎だけど、この展開の続きが気になってきた……)


「おい姉ちゃん」


 セシリアの背中を、かなり強めに突っつく者がいた。振り向くと、店の常連の一人だった。


「あの兄ちゃんたちって、さっき店でメシ食ってたヤツらだろ? さっきまで客だったヤツらが、店先で絡まれてるってのに、姉ちゃんはこんな所に出てまで様子見してるだけなのか? メシ代を払ってもらったら、野次馬に混じって知らん顔するのかよ」


 こんな所とは。セシリアは最前線に出ている自分に、ハッとした。当初は営業妨害と聞いて、解決に回ろうとここまで人混みを掻き分けて来た。それが、今は。


「見損なったぜ、姉ちゃんよー。もうこの店に仲間連れてこねーかんな!」


「そ、そんな……わたし一人で男性三人のケンカなんて、止められるわけが……」


 常連客が大声を上げて怒るので、周囲の注目がすっかりセシリアに集まっていた。


 でも本当にこの場をどうしていいか、わからないセシリア。ふと、メルと目が合った。


 メルはロビンの前に立っているため、獣人老人の光る剣先を真正面から突きつけられている。しかしメルは、この場を動くことができないのだ。ロビンの顔に傷を付けたくないから。


 舞台用の小道具にこだわるロビンは、次の舞台にもあの剣を使うつもりなのだろう、ということは、ロビンには次の舞台が控えており、舞台に使うあの剣を手放すつもりはないと。メルがいなかったら、ロビンが剣の先を、顔の部位のどこかに突きつけられていたかもしれない。


 観客にとっては、目の前で輝く俳優たちこそが心の大半を占めるのだ。衣装や脚本家の存在なんて頭から吹き飛ぶほどに、舞台に没頭し、ただただ登場人物たちの歩む人生を心から応援するのである。


(今一番大変な目に遭っているのは、わたしじゃなくて、メルだ! メルを助けないと!)


 セシリアは獣人老人に駆け寄ると、剣を鞘にしまうよう説得した。だが、聞く耳を持っている相手ではないことは、薄々わかっていたので、セシリアは作戦を変更し、ざわざわしている人混みに向かって、大声を張り上げた。


「はーい! 劇の宣伝はここまで! 皆様ぜひ名俳優ロビンソン・バードの出演する劇に、足をお運びくださいませー!」


 すると、「なぁんだ宣伝かよ」と言いながら、人々が散り散りに歩いていった。剣が光るという不自然な派手さも相まって、宣伝用パフォーマンスだと信じてもらえたらしい。セシリアはメルとロビンに「早く行って」と手で合図した。


 ロビンとメルが立ち去ってゆくのを確認したセシリアは、ほっと胸を撫で下ろした。が、獣人老人のふくれっつらに気がついて「げ」と顔が引きつる。


「あ、あの、何か?」


「即席にしては、まあまあの出来だな。補欠入学だ」


 その声は、しわがれた老人の声ではなく、甲高く不安定な、あのスクイギー・フレンドの声。


「はい……? あの、なんの話を」


「ボツ原稿製造マシーンにしては、丸く収めたなって褒めてんだよ」


「ボ」


「お前は創作活動よりも、声出して客を先導する仕事のが向いてら」


 獣人老人は剣を鞘にチャキッと戻した。


「あの剣、なんとしてでもロビンの野郎から取り返さなきゃならねー。あいつがわけもわかんねーまま剣の力を引き出したら、大変なことになるぞ」


「大変なことって、なんですか?」


「何がおきるかは、オレ様にもわかんねー。根暗ロビンが何しでかすかなんて、メルぐらいしか見当つかねーわ。すべては、今の剣の持ち主しだい、オレ様とロビンしだいってところだな」


 なんかよくわからないことを言われて、セシリアは怪訝な顔になる。


「それも何かの舞台の紹介なんですか?」


「ああ? そう言えばお前が着てるの、そこの店の制服じゃねーか。まだ休憩時間じゃねーだろ、なーにサボってやがんだよ。店長にチクるぞー?」


 あ、とセシリアも声を上げた。店の前の人集りは解消されたのだから、もう自分がここにいる理由はない。店に戻らねば。


「俺も久しぶりに大声出したせいで、ノドがガラガラだぜ。なんか一杯ひっかけてくか」


 え、来るの、とセシリアはギョッとしたが、どこ吹く風で店へとやってくる団長を止める理由は、見つからない。


「いらっしゃいませー」


「空いてる席へお座りくださーい」


「あ、セシリアちゃんおかえりー。お店の前、なんとかしてくれてありがとねー」


「いえいえ……わたしは、何も……」


 セシリアは団長一名様を、空いているお席へ案内した。


 団長は店内の活気と、料理の美味しそうな匂いに、目を白黒させていた。特に注視していたのは、メイクも衣装もそのままのピエロ団体。


「なんだよ、あいつら、化粧したままここに来てるのか。びっくりだぜ」


「ああ、パフォーマンスを終えたピエロさんたちが、団体でお店にいらっしゃったんですね。ここは劇場で働く従業員さんも、よくお立ち寄りになるんですよ」


 ピエロたちは、派手な化粧も衣装もそのままに座っていた。お手拭きで顔をこすったピエロの化粧が、ぐしゃぐしゃになっている。


「たまに店内でお客さんにパフォーマンスのサービスをしてくれることもあるんですよ」


「まったく、あいつら……食いもんの汁で衣装とか汚すなよなー」


 ブツクサ言う獣人老人に、ピエロの一人が気が付いた。


「あれ? 団長だ! 珍しい、人前に出てるぞ!」


「え? あ、ほんとだ! 団長ー! 一緒に飲みます〜?」


「いや、オレ様はまだ仕事が残ってるから、酒はいいや。苺ソーダを一杯頼むよ」


「はーい、オーダー入りまーす」


 雰囲気に似合わず可愛い飲み物を頼むんだな、とセシリアは思ったが、顔にも口にも出さなかった。


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