第6話   サーカス国での暮らし

 あれから三ヶ月が過ぎて、朝は団長へ送るための物語の執筆活動、昼は国内の講堂に通って、新しいネタになりそうな話を聞いたり、本を読んで勉強したり、夕方と夜は酒場の店員と、セシリアは忙しい毎日を送っていた。


「いらっしゃいませー」


「よおオレのセシリー、とりあえずバッカスとチーズな」


「はーい、よろこんでー」


 質素倹約を美徳とするシスター・ジゼルが知ったら怒るだろうなぁと思いつつ、セシリアは店の看板娘となっていた。ここはサーカス国のド真ん中。物流と人の横行が盛んで、観光客はもちろんのこと、たまに一仕事終えた女優や俳優がこっそり飲みにやってくる憩いの店だ。


 隅っこのテーブルで独り飲みしているお客が、セシリアに向かって手招きしていた。どこかで見たことがある顔だった。セシリアは席に歩み寄るうちに思い出した。馬車の中で一緒だった、遊学青年だ。


「やあ」


「こんばんは」


「馬車で会ったときは、あんなに無愛想だったのに。今じゃ厚化粧して、だれかれかまわず笑顔ふりまいてさぁ」


「ふふ、なんですか、いきなり。お客様には常に笑顔で、そしてキビキビ働くのは、接客業の基本です。だらだらしてたら、クビになっちゃいますもの」


 セシリアも初めのうちは、客の喧嘩腰な態度やセクハラ発言に腹が立って、すぐに顔に出していたが、もうこのバイト辞めようと思うたび、審査員兼団長の言葉が脳裏をよぎり、踏ん張ることができた。


 青年は気落ちした様子で、お酒を飲んでいた。


「この国の生活には、慣れたかい? 僕ぁ慣れないよ」


「まだ三ヶ月ですよ。これから慣れますよ」


「そうかな。ここは、僕の知らない物や出来事がたくさんあって、目が回っちゃうよ。なにもかも全部知りたくて、毎日くたくたになって勉強してるよ」


「いいじゃないですかぁ。わたしなんて住居と講堂と酒場を行ったり来たり、ほとんど毎日ですよ。ほんっとに忙しくて、ぜんぜん他の場所に出歩けなくて。だから、お兄さんがうらやましいです」


「ははは、口が上手だね」


 青年はいくぶんか嬉しそうな顔に変わったが、何気なく手に取ったメニュー表に、ふっと表情が堅くなった。メニュー表は紙の冊子でできており、青年はページを物憂げな顔でめくった。


「この紙っていうヤツも、この国では当たり前に使われているけど、僕の故郷では高級品なんだ。すぐに紙の職人に取材したよ。植物の繊維を利用しているところまでは同じだったけど、すごい機械で、大量生産してて……」


 青年はメニュー表を元の位置に戻して、ハァとためいきをついた。


「この国は、何かおかしい。缶詰ってやつは、あきらかに僕ら一般庶民の持ってる技術じゃ作れない。あんなに薄く、丈夫に鉄を加工するなんてすごいですね、と僕が言ったら、職人さんは、これは鉄じゃなくてアルミだって言うんだ。なんだよアルミって! 鉄じゃないのかよ!」


 お酒で顔が赤くなった青年の大きな声は、酒場のにぎわいに溶けこみ、だれも気に留めなかった。


「この国にいる時間が長くなってゆくほど、僕は自分がちっぽけな世間知らずに思えて、とても惨めになるんだ」


「むずかしく考えすぎじゃありませんか? おいしいごはん食べて、元気出しましょ」


 他のテーブルの空いた皿を回収したいセシリアは、浮き足立っていた。


「わたしも、初めてだらけのことで、わからないことが多いですけど、まだここにいたいと思います。ほら、団長さんだって言ってたじゃないですか、知らないことを知るのは楽しいって」


「ちがうんだ。僕が言っているのは、この国は、時代の流れが僕の故郷と違うってことさ。ここで習ったことのほとんどが、僕の故郷では、役に立たない。それでもこの国では、知識がとても活躍している。僕の住んでいた場所は、そして僕は、古くさくて役立たずなんだろうかって思うんだ」


「そうだ、トマトのカプレーゼって知ってます?」


 セシリアが急に振った話題に、青年がぎょっとした。


「なんだいそれ」


「カプレーゼって言葉、わたしもなんのことかわかりませんでした。アンチョビとか、フォアグラとか、ここでいろんな人から言葉を教わったり、味見して学びました。すごく楽しかったです」


「きみが客の扱いに慣れたのは、この店の影響かな」


「そうかもしれません。今はまだ、何の役に立つのかわからない知識でも、きっといつか役に立ちます。お勉強を楽しんで、がんばってください。応援してます」


「あいよ。そのトマトのカプなんとかっての、一つもらうよ」


「はい、かしこまりー」


 やめる、帰る、と言わない彼は、目を細めてグラスを傾けていた。



「あれが、お前らの住む場所だ」


 団長は背の高い四角い建物を指さした。窓がたくさん付いていて、窓の数だけ部屋があるのだと説明した。


 サーカス国に入ったばかりの初日で、右も左もわからないセシリアたちにとって、すでに住まいが用意されているのは嬉しい驚きだった。


 だが、セシリアがその建物に住んでいたのは、たったの十日。家賃をかせぐために見つけた仕事が、どうしても合わなくて、他の場所へ移動したくなったのだ。


 団長には悪く思ったが、セシリアは引っ越した。荷物はそれほど多くなかった。


「ハァ……今度こそ新しい場所でやっていけたらいいな」


 荷物の入った鞄を片手に、一人とぼとぼと昼間の街道を歩いていると、すれちがう人はみんな楽しそうで、裕福な観光客はおみやげを使用人に持たせて買い物を楽しんでいた。


 ふとセシリアが視線をあげると、前方に、派手な色合いがよく目立つ大きな土産物店が見えた。あくびした口のように大きく開いた玄関口から、ファストフードを手に出てくるお客の笑顔。そのすみっこで、見覚えのある男が箒で掃き掃除をしていた。


 馬車の乗客であり、出稼ぎのためこの国に来たと言っていた、小柄な男だった。


「こんにちは」


 セシリアが声をかけると、男は枯れ葉を片づける手を止めて、セシリアを見つけた。


「あ、こんにちは、馬車の。浮かない顔して、どこ行くんだい」


「えっと、引っ越しです」


「へえ? 俺ももうすぐ引っ越すつもりなんだ。ここの仕事は、覚えることが多くて大変で」


 男はへへっと苦笑し、その際、前歯の欠けたのが見えた。セシリアもつられて苦笑する。自分の引っ越し話を、否定せず受け止めてくれた男の笑顔が嬉しかった。


「そう言えば、お嬢さんは団長が探してるって言う剣を見つけたかい?」


「あ、忘れてました……なんでしたっけ」


「虚言の剣だよ。ああ、俺はそれっぽいの見つけたんだ。演劇の小道具にされてた。しかし、持ち主のロビンって役者が、どうにも返してくれそうにないんだ。肌身離さず持っている」


 男は箒の柄をくるりと回して肩にかけると、ハァとため息をついた。


「団長も困ってるみたいだし、何かの縁ってことにして、ロビンの所属する劇場に近い場所に引っ越そうと思うんだ。この国でいちばん大きな劇場だ」


「あ、わたしも!」


 セシリアはこのとき初めて、自分がどこに移動したらよいか、はっきりとわかった。


「わたしも、その付近にしようと思います。いちばん大きな劇場に、用事があるので」


 メルの件だった。メルはいちばん大きな劇場で、衣装係をしているらしい。セシリアは新たな土地で、今度こそ絶対にがんばろうと決めたのだった。



 男がどこに引っ越し先を決めたかはわからない。あれから一度も見かけないのが、セシリアには少しさびしかった。


 店の扉が開き、金色のドアベルが鳴った。現れたのは、なんとメルだった。馬車以来、彼には会えていなかったセシリアは、自分がここで働いている報告も含めて挨拶したく思ったが、今は料理をテーブルへ運ぶのに忙しい。


 メルはセシリアに気づくことなく、席についた。後から入ってきた黒髪の男性も、メルの向かいの椅子に座った。


(あ、お連れさんがいるのか……)


 楽しく食事をしに来た二人に、店員のセシリアが割り込むのは気まずい。セシリアは二人に気づかれないようにこそこそと、厨房にお冷のコップを取りに向かった。


 厨房にはちょうど別のお客さんの注文した料理ができていた。満員御礼、商売繁盛。セシリアがお客のテーブルへと料理を運んでいる最中に、たまたまメルたちの会話が聞こえてきた。黒髪の男性が、黒い布に包まれた棒状の何かを、テーブルに立てかけている。


「団長が今日も楽屋にやってきた。この剣によほど強い思い入れがあるらしい。だが、俺もこの剣がないと役が演じられない。困ったものだ」


「明日の予定を調整して、団長と話し合える時間を作ろうか?」


「できそうか? 助かるよ、メル。だが、団長は来てくれるだろうか、昨日も剣のことで口論になってしまった」


「大丈夫さ。きみの名前は出さないで、僕の用事ってことでお願いしに行くよ。小道具泥棒が多くて困ってます、ってね」


 いたずらっぽく肩をすくめるメルに、黒髪の男性は驚いた後、優しい苦笑を浮かべた。


「メルには、いつも助けられてばかりだな」


「元気出しなって。今日はおごるよ。舞台お疲れさま」


 メルは顔色が青白くて、やせていて、彼を初めて見る人はきっと頼りない男性だと思うだろう。セシリアはメルのすてきなところを見つけられて、とても嬉しくなった。


 そんなメルに励まされている、黒髪の男性の正体に、セシリアは気づいた。メルが、舞台お疲れさまって言っていたから。


(ああ、この人は舞台俳優さんなのね。この国は役者さんが大勢いるから、顔と名前が覚えきれないわ。劇作家を目指すなら、こういうこともちゃんと覚えておかないとね)


 ふと、テーブル横の剣を包んでいる布が、めくれていることにセシリアは気がついた。剣の柄に彫られた、複雑なデザインが見える。


(ん……? この剣、どこかで見たことがあるような……)


 たしか団長が同じ物を持っていたような、しかしセシリアは柄のデザインをはっきりと覚えていなくて、自信がなかった。


 メルが何気なく顔をあげて、セシリアに気がついた。


「やあセシリアじゃないか! そのお店の制服、とっても似合うね!」


 セシリアは緊張しながらメルの前にやってきた。どうも、と一礼する。


 するとメルと同席していた黒髪の男の人が、丁寧に席を立った。


「貴女が、セシリアさんですね。お話はメルから聞いています。初めまして。この付近の劇場で役者をしております、ロビンソン・バードです」


「は、はじめまして! セシリアです! その節は、メルさんに大変お世話になりまして!」


 セシリアも慌ててお辞儀した。


 メルとロビンソンに、何も詳しいことは聞けなかった。セシリアは二人の食べたい物と飲みたい物の注文をとって、料理をテーブルまで運び、二人は食事を終えて、カウンターでお金を払って店を出た。


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