第2話 獣人っぽい乗客
「ん? おい、そんなとこで何してるんだ! 危ないだろ!」
御者の大声に、セシリアを含めた乗客が驚いて、振り向いた。馬車が急停止し、馬が嘶きを上げた。
男はむにゃむにゃ言いながら顔を上げた。暗闇に隠れる猫のように丸い瞳孔が一瞬で細くなり、金色の両目が御者を見上げる。
「おお、ちょうどいいところに馬車が来たぜ。サーカス国まで乗せてってもらえんかな」
その顔はネコ科動物のような作りをしていて、ふんわりと表皮を覆う明るい体毛が、この人物の年齢を不詳にさせていた。
にもかかわらず、御者が「なんだ、この爺ちゃんは?」とつぶやくのが、セシリアたちにも聞こえた。
「爺ちゃん、運賃になるようなもんは持ってんだろうな」
「あいよ」
男は立ち上がると、これまた古ぼけた貴族風の衣装に付着した土を、大きな手でバサバサ払い、腰にいくつかぶらさがっている巾着の一つを取ると、御者に投げ渡した。
受け取った御者は袋のひもをゆるめ、中身を取り出して目を丸くした。
「金貨!? こりゃ偽物じゃないだろうな! なんでこんな物を、あんたみたいなのが持ってんだ」
「んな細けーことは、どうでもよかろうってな。さ、乗せてもらおうか」
男は馬車に片足をかけて「よっ」と乗りこんだ。一般の男性よりも頭二つ分大きな男の、特大の肩幅が、ぎゅうぎゅうの馬車をさらに狭くした。
馬車が解体しそうな軋みを上げて揺れる。
御者が巾着を胸元にしまった。
「爺ちゃん、これ盗品じゃないだろうな。厄介事は勘弁だぞ」
「なぁに、出どころを調べる
「……ふてぇ野郎だ。騒いだら降りてもらうからな」
御者は馬に鞭を入れて進ませた。
窮屈な車内。セシリアはいろんな意味で息が詰まりそうだった。誰もがうつむいて無言だった。
ただ一人、平然としている新入りをのぞいて。
(うぅ、変な人が、わたしのとなりに……)
セシリアは男の小脇に頭が挟まれそうだった。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「セシリアです……」
「いい名前じゃないか。どこの出身だ?」
「最寄りの教会です……」
昼近くになり、にわかに曇ってきた空から雨が降りだした。
御者は近隣の村で馬車を止め、積み荷を下ろしたり載せたりしていた。
セシリアたちはパン屋の屋根の下で休息を取っていた。パンが買えないセシリアは、鞄の中からお弁当を取り出す。穀物をすりつぶして丸めて焼いた、ごわごわしてノドが乾くお手製のパンをかじりながら、ぼーっと雨空を眺めていると、
「お嬢ちゃんも、サーカス国に行くのか?」
先ほどの男がとなりにやってきた。臭いはしないが、その身なりは屋根裏で忘れられた骨董品のように古ぼけており、セシリアはパンを乞いに来たのかと警戒した。分けてあげてもよいが、この男の体の大きさからして半分以上は奪われそうである。
彼はそんなに距離を詰めて立たなかった。話しに来ただけのようである。
「あすこには、魔物やら魔法使いが住んでるって噂だぞ」
「そんな噂は、信じてません。魔法とかいう術も、油で火を操るような仕組みがちゃんとあるはずです。サーカスですもの、派手な演出でお客をわかす手品師ぐらい、いると思います」
「ほほう、手品か〜。まあだまだ見聞の狭いこって」
男がいたずらっぽく、ぼさぼさの眉を片方だけつり上げた。セシリアはちょっと反発し、鼻息を荒くする。
「あなたはサーカス国へ何をしに行くんですか?」
「観光だ」
「……そうですか」
さして変わった返答でもなかった。
彼は同じく屋根の下で雨宿りをしている馬車の乗客を一瞥し、ふざけた様子で目玉を上向かせた。
「辛気臭え顔ばかりだ。俺様には、ここにいる全員が観光に行くとは思えねえな。何をしに行くんだ?」
誰も返事をしなかった。
…………。
沈黙に、変な責任を感じたらしい小柄な男が、
「出稼ぎです」
と震える声をしぼりだした。
すると、そのとなりの男が、連鎖するように片手を上げた。
「僕は、勉強をしに。サーカス国では、旅の詩人が各地の伝承を唄い、他国からの追放者が秘術を持ち寄って会合を開いていると聞きます。文字の読み書きから、占星術、カードゲームのルールまで、ありとあらゆる学術が、あの国では学べるそうなのです」
「ほう、熱心なことだ。知らないことを知ってゆくのは楽しいもんな」
男はやっと満足できる返答に出会えて、にやっとしている。
まるで志を競い合うように、次々と挙がる手。そして告げられる、サーカス国へ行く目的。詳細不明で、なぞ多き国へ赴く者の声は、覚悟と不安でふるえていた。観光へ行くというのは、老人だけだった。
「わたしは!」
最後にセシリアの番になって、セシリアは緊張で声が大きくうわずった。
「わたしは、脚本家になりに行きます。サーカス国には、すばらしい女優さん、俳優さん、そして舞台装置が、日々お客様を楽しませ、感動を生んでいると聞きました。わたしも、本場で本物を学び、物語の創作に携わる人間になりに行きます」
セシリアは緊張のあまりに言葉の使い方を間違えなかったかと焦った。傍らの男は、おもしろげに金色の瞳孔を細めている。
「ほほう。行けばすぐに夢が叶うような目をしてるな」
セシリアはむっとした。
「現実は甘くないと覚悟しています。サーカス国で働き口を見つけて、生活費を稼ぎながら、書いた作品を団長に読んでいただこうかと考えています」
「行けばすぐに働き口が見つかるような目をしてるな」
セシリアは言葉につまり、そっぽを向いた。
「いけませんか」
「ふふ、どの程度思うようにいかんか、またどの程度ならば夢のために耐えられるか、あんがいお前さんはなんにも耐えられんかもしれんぞ」
「そんなことありません。わたしの何を知ってるっていうんですか」
「そうだ。その負けん気が大事だ。どんなことがあっても、前へ進む意地。それを失っては、死んでるも同然だからな」
それは、セシリアも同感だった。
「あとはどんな災難に遭っても、他人のせいにせず、自分の行動であがき続けること。それと、気の合う
「お爺さんの夢は、なんですか?」
男は自分に質問がくるとは思わなかったらしい、不思議そうな顔でセシリアを見下ろしている。
「平凡な生活だ。元気に働いて飲んで食って、結婚もして、子供も大勢いて、普通の騒がしい暮らしが送りたかった」
どうして過去形なのか、尋ねる勇気を持つ者はだれもいなかった。
「ま、俺様が俺様である以上、普通の暮らしとは無縁なんだがな」
男の大きな犬歯が口の端から飛び出す笑顔は、気まずい空気をさらに凍りつかせた。サーカス国の怪しい噂も相まって、彼の出身地がどこかも、正体が人間とは思えないことも、誰も話題にできなかった。
(獣人だなんて、そんな、わたしが描いた物語じゃあるまいし、実在するわけないじゃない。この人は、えぇっと……どう見てもライオンっぽいけど、ライオン似の普通のお爺さんよ、そう、そういうことにしておきましょ)
用事の済んだ御者が、セシリアたちを呼んでいる。
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