ハッピーハッピーバースデー
りう
20:30
20時に古本屋〈雨漏り〉でアルバイトを終えた私は、姉への誕生日プレゼントを買うため、帰りがけに小さな雑貨屋に立ち寄った。
「いらっしゃいませ」
「あ……どうも……」
少し緊張しているのは、なにも、お洒落な店内の空気に気圧されているからというわけではない。
一昨日、些細な事で姉と喧嘩をしてしまった私は、このプレゼントを機会に仲直りしようと画策しているわけなのだが、たぶんそういう意識が頭の片隅にあるせいで、どうも肩に力が入ってしまっているのだ。
落ち着いた雰囲気が漂う十畳ほどの広さの店内──そこには所狭しと商品が並べられており、人がすれ違う事はほぼ不可能。ただ今は幸いな事に(お店側には申し訳ないが)客は私一人のみだった。商品をじっくり物色する余裕は十分ありそうだ。
薄暗い店内にはしっとりとしたピアノの旋律が流れていて、そのおかげか段々と肩の力が抜けていく。
本来プレゼント選びは楽しいもの。そういう感覚が暫くして胸の奥からじんわりと蘇ってきた。
暫く悩んだ私は、アクセサリーに狙いを絞ることにした。私と姉は顔がよく似ているため、装身具は互いの違い、つまり個性を引き出す重要アイテムとなるわけなのだが、だからこそ偶の贈り物としては最適だ。
姉の顔を思い浮かべながら、手に取った商品をいくつか自分に当てて吟味する。ネックレス、髪留め、イアリングなどなど。どれもお洒落で、どれも姉には似合う気がしてしまう。
そうこうしている内、棚に置かれた鏡に写る自分の顔が、いつのまにか綻んでいる瞬間が訪れた。
これが良い。
直感で決めたそれを、私は即座に会計まで持っていく。迷いは禁物。こういう装飾品選びは感覚を信用するべきだ。
店員さんが、商品をチェックして金額を伝えてくれた。
その金額に少し驚いたが、それは金額を確認せずに即決した私が悪い。でも驚いただけで、決して狼狽える私じゃない。
このために、姉には内緒で始めたアルバイト。私の懐は、ハンドメイドのちょっとお高い髪留めを買ったところでダメージを受けたりはしない。
私は鞄から財布を取り出し、そこからお札を抜き取った。それから堂々と会計を済ませようと──しかしその瞬間、鞄の中の携帯電話が震えた。
電話の着信だ。
雰囲気のある雑貨屋で小洒落たアイテムを手に入れるという、なんだか小さい頃から憧れていたようなシチュエーションにいたのに、少し拍子抜けしてしまう。
そのせいで、出していたお金を一回引っ込めるという、まるで金額を前に逡巡しているみたいな動作を取ってしまった。
「……すみません」
無論電話には出ない。落ち着いた店内にバイブレーションの音が響かぬよう、私は鞄の口をそっと素早く閉じた。
それから気を取り直し、改めて会計を済ませる。
「ありがとうございます」
店員のお礼にこちらも礼を返し、恥ずかしくなった私は足早に店を出た。
帰るには、あとはここまま街の喧騒から離れ、街灯が照らす道を進むだけだ。
と、その前に。先ほどの着信が誰からのものだったのか確認しようと、買ったプレゼントを鞄に仕舞うついでに、私はスマホを取り出した。
「───?」
スマホの画面を確認した時、私はその異変に気付いた。
20:30と書かれた時刻表示の下に、見慣れない通知が表示されている。
【不在着信 5件】
「え、……なにこれ」
いたずらだろうか。そう思い、相手の名前をチェックする。
【不在着信 19:39 お姉ちゃん】
【不在着信 19:47 非通知】
【不在着信 19:50 魅春】
【不在着信 20:10 住吉先輩】
【不在着信 20:27 後輩ちゃん】
「どういうこと……?」
19時台の3件の着信は、アルバイト中だったから気づかなかった。気づけなかった。
20時台のものは──、1件目は鞄の中に仕舞ってあったから気づけなかったのだろう。2件目は最新のもの。会計中だったため無視した着信だ。
偶然が重なっただけ、だろうか?
しかしこうも連続して……。不自然だ。
なんだか、嫌な予感。
そして────。
私はそれに気づいた。
スマホの画面に釘付けになり、立ち止まっていた私がふと顔を上げると、そこに、その先に、鈍く光る物体が転がっている。
「あれって…………」
恐る恐る近づき、その正体を確認する。
不気味に明滅する蛍光灯に照らされているのは、アスファルトに横たえた猫のキーホルダーだった。私が雑貨屋に来た時には、こんなものは落ちていなかったはずだ。
しかも、見覚えのあるそれは────、
「──お姉ちゃんのだ……」
道端に姉のキーホルダーが落ちている。
状況としてはただそれだけなのに、途端に嫌な連想が脳内を埋め尽くす。
お姉ちゃんに、何かあった……?
私は咄嗟に姉に電話をかけた。
「……………」
「………………………」
「……………………………………」
「………え……なんで」
しかし結果として、電話は繋がらなかった。
発信履歴に残る【20:30 お姉ちゃん】の文字。
これは一体どういう事なのだろう。
言い知れない不安が胸中を席巻していた。
私はそのキーホルダーを拾うと、少し速度を上げて歩き出した。留守番電話を再生するよう指で画面を叩き、スピーカー部分を痛いほど強く、耳に押し当てる。
自宅に向かって真っ直ぐ歩き出すその頃には、雑貨屋の店員が何やら含みのある笑みを浮かべていた事など、すっかり忘れていた。
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