25 閉じ込められていた思い【野田苺子×梓川瞳子】

『どうして私、こんなところに……』


 辺りを見渡しながら、訝しげに眉をひそめる苺子。

 しかし、彼女の顔つきにいつものあざとさはなく、むしろ二十五歳という年齢以上に落ち着いた雰囲気を醸し出している。


「苺子ちゃん……?」


 香菜が声をかけたが、その呼びかけに反応することなく、苺子は辺りを観察し続けた。


 そして。


『……っ!? け、圭介さん……!?』


 しゃがみ込んでひたすら干し草をちぎり続けている越川に目を止めた途端、愕然として後ずさったのだ。


「苺子ちゃん、越川さんがどうかした?」


「さっきまで一緒にダンゴムシごっこやってたじゃないの。いきなり我に返ったりして、変な娘ね」


 歩み寄る香菜と那須田の存在にようやく気付いた苺子が、怯えたように二人を見た。

 そして、自分が置かれた今の状況を確かめるように、ゆっくりとこう言ったのだ。


『ここは日本ですか? あなた方はどちら様ですか? ……どうして、越川圭介さんがここにいるんですか?』


「「…………っ!!」」


 苺子が放ったその一言が決定打となり、香菜と那須田は顔を見合わせながら額に手をあて、ため息をついた。


「やっぱり苺子ちゃんも憑依されちゃったのね……」


「トマティーヌの苗の傍にいたんだもの。仕方ないわ。ただ……どうもこの霊、越川センセのことを知ってるみたいね」


 苺子に憑依した相手を特定すべく、那須田が一歩進んで彼女に近づいた。


「お察しの通り、ここは日本。アタシ達はこの菜園で野菜づくりの研修をしている会社員。そして、そこにいるのは越川圭介で間違いないわ。……で、アンタはどこの誰なのよ?」


『私は、梓川あずさがわ瞳子とうこと申します。……越川圭介さんの元婚約者です』


「「えっ……えええええええええっっっ!!?」」


 香菜と那須田がのけぞるほどに驚くも、ダンゴロウに憑依されている越川は、瞳子と名乗った霊の存在に無関心な様子。

 相変わらず香菜達に背を向けてしゃがみ込んだまま、黙々と葉っぱをちぎり続けている。


「センセの元婚約者って……。前にセンセが話してた、結婚直前で逃げられた彼女ってことよね?」


「そうだと思います。越川さんは、それがきっかけでパーマカルチャーに出会ったって話てましたよね」


「その彼女が野田苺子に憑依したってことは……。彼女はすでにこの世にはいないってこと――!?」


 ひそひそと話し合う那須田と香菜。

 そこに、トマティーヌに憑依された根木が割り込んできた。


『違う。彼女は幽霊じゃない。生命エネルギーの強さからいって、生霊だと思うわ』


 そう告げたトマティーヌが、瞳子の方へ向き直る。


『瞳子さん、でしたっけ? あなたは今どちらにお住まいなの? ここに来る直前、あなた何をしていたのかしら?』


 女言葉で尋ねてくるクールで外見の青年を胡乱げに見返しつつ、瞳子という女が答える。


『私は今、夫の仕事の都合でフロリダに住んでいます。いつもどおり夜に就寝して、目が覚めたと思ったらここにいて……。つまり、これは夢ってことでしょうか?』


『やっぱりそういうことなのね』


 一人合点がいったようなトマティーヌ。

 深く頷くと香菜たちの方へと向き直り、説明を始めた。


『ビンゴだわ。やっぱり彼女は生霊よ。コッシーがダンゴロウに憑依されたことで、睡眠中の彼女の意識がここに引き寄せられたんだわ』


「それってどういうこと?」


『コッシーは、彼女への未練を意識の奥深くに閉じ込めていたのよ。ダンゴロウに憑依されて意識を手放したと同時に、奥底にあった強い思いが解放されてしまった。その思いが大地のパワーと共鳴して、睡眠によって肉体との結びつきが弱くなっていた瞳子の意識をここへ呼び寄せてしまったってわけ』


「そんな無茶苦茶な……って、この状況なら、もはや何が起こったって不思議じゃないわね」


 呆れ半分の香菜の横で、那須田が憐れみの眼差しを越川に向けた。


「越川センセったら……。パーマカルチャー一筋の硬派なフリして、実は自分を捨てた恋人に未練タラタラだったってわけね」


『普段はその未練を深層心理に閉じ込めているから、本人にその自覚はないはずよ。ただ、大地のパワーと共鳴したとは言え生霊を呼び寄せるほどの強い思いだったわけだから、よほど辛い別れ方をしたんでしょうね』


 ひそひそと話し込む三人を後目に、瞳子は黙々と葉っぱをちぎり続ける越川の横にしゃがみ、軽く肩を叩いた。


『圭介さん……。瞳子です。たとえ夢の中でも、あなたに会えてよかった。私、あなたにずっと “ごめんなさい” と “ありがとう” を伝えたかったから』


 穏やかな声で瞳子が話しかける。

 しかし、ダンゴロウに憑依されたままの越川は、彼女の存在に一片の意識も向けず、ひたすらに分解者としての仕事をこなしている。


『圭介さん……? 私の声が聞こえないの? それとも、私を恨んでいるから無視をしているの?』


 悲しげに声を震わせながらも、越川に声をかけ続ける瞳子。

 そこへトマティーヌが歩み寄り、同じようにしゃがみ込んだ。


『残念ながら、今のコッシーにあなたの声は届いていないの。あなたとの間に色々あったみたいだけど、彼は今は立ち直って、健康に良くて美味しい野菜が多くの人の口に入るために日々頑張っているのよ』


『圭介さんが野菜づくりを……?』


『そうよ。この菜園は、環境にやさしくて持続可能な野菜づくりを教えるために、コッシーが借りてる菜園なのよ』


 トマティーヌの言葉に、瞳子は立ち上がって辺りを見渡した。

 地表から出たばかりの小さな芽や、まだ小さくて若い苗を見回して、瞳を潤ませる。


『これが夢だとしても……圭介さんが自分の生きる道を見つけて元気に暮らしているのなら、私も嬉しいです。せっかくだから、せめて夢の中だけでも、圭介さんのお手伝いができたら嬉しいわ』


『そう? じゃあ、せっかくだし、あなたにも野菜づくりのお手伝いを頼んじゃおうかしら。今日コッシーは落花生の種まきをするって言ってたけど、私達の脇芽がそろそろ伸び始めてきたのよね。だから今日はミニトマトの脇芽取りについても教えるわね』


 トマティーヌはにっこりと微笑むと、越川の代わりに落花生の種まきの準備を始めた。


「元婚約者がダンゴムシに憑依されてるって知ったら、あの瞳子って女、どんなリアクションするかしらね」


「越川さんの名誉のためにも、それはできるだけ伏せておきましょうよ」


 トマティーヌと化した根木と、瞳子と化した苺子の背中を見つめながら、そう囁きあう那須田と香菜であった。





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