21 彼女は素直で可愛い子【那須田与一×権田原正和】
「「「ごんだわら!!?」」」
「……って、あの権田原一族の!?」
そろって声をあげた那須田以外の四人だったが、越川だけはどうやらその名前に心当たりがあるらしい。
常ならぬ様子の那須田が、「さあて」と不敵な笑みを浮かべた。
『お前さんがどこの権田原のことを言ってるかはわからねえが、この辺で権田原って言やあ、大抵俺んちのことだわな』
「この状況で那須田さんが悪ふざけをしているとは思えない……。あなたは本当に権田原さんなのですか?」
『だから、さっきちゃんと名乗ったろ。本家の二十一代目、権田原正和だって』
「ちょ……。越川さんと那須田さん、二人でいきなり何の話をしてるんですか?」
戸惑う根木が越川に問うと、青ざめた顔の越川が震える声を絞り出した。
「大変です……。今度はどうやら那須田さんが憑依されてしまったようです」
「「「ええっ!?」」」
越川の告げた一言に、根木も香菜も苺子も驚愕した。
「“ゴンダワラ” って変な名前ですねぇ。今度は何の野菜の精霊なんでしょう?」
「苺子ちゃん、権田原っていうのは人の苗字よ。つまり、取り憑いたのは野菜の精霊じゃなくて……」
「幽霊とでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。那須田さんの悪ふざけに決まってる」
「そう言えば、確か三年ほど前の豪雨災害で、当時
『ああ、それな! あん時増水した用水路に転落して死んだのが俺だよ。七十二まで生きりゃ十分だし、
「なるほど。たしかここの地主さんも権田原の分家筋の方でしたね」
一人だけ合点がいったように、しきりに頷く越川。
「越川さん、しっかりしてくださいよ! 絶対これ那須田さんの悪い冗談ですって!」
「根木君、ちょっと落ち着いて」
目の前で交わされるやり取りが自分のCPUでは処理しきれない事象であることを感知し始め、苛立を募らせていく根木。
そんな彼に、香菜が宥めるように耳打ちした。
「驚くのも無理はないけど、先週は根木君がこんな状態だったのよ。根木君も那須田さんも、憑依されている間は、本来ならば知り得ないことを知っている全くの別人になっているの」
「そんな……っ」
根木にとっては到底受け入れ難いことだが、すでに先週似たような体験をしている越川、香菜、苺子は、権田原という幽霊の存在を受け入れつつあるようだ。
納得できないものの、那須田の様子は先週自分の無意識下で行われた不可解な言動の謎を解く手がかりになるかもしれない。
そう判断した根木は、権田原と名乗りだした那須田の言動をとりあえず黙って観察することにした。
『ところで、今日はここで種まきすんだろ? 俺も兄ちゃんの講義を聞いていいかい?』
「ええ、もちろん。農法の違いはあれど、農業の大ベテランである権田原さんのアドバイスなどをお聞きできたら、僕としてもありがたいです」
那須田の体を器とした権田原が、上腕筋がパンパンに張った両腕を組んで仁王立ちする。
そんな彼を目の前にした越川が、若干緊張した面持ちで、種まきについての講義を始めた。
「まず、本日用意した種について改めて説明しますね。この種は皆さんもよくご存知じゃないかと思いますが、何の種かわかりますか」
小袋から数粒の種を手のひらに出し、それを見せながら越川が問う。
「これはスイカですよね?」
「尾倉さん、正解です。スイカはツルも根も広く伸びていく植物ですから、隣合う株の間も広く取るようにします。株間はおよそ100センチ取り、一箇所に二〜三粒まいて後で間引きします。スイカの種はこの少し尖っている “吸水口” と呼ばれる部分からしか水を吸いませんので、この部分が下を向くように、種を縦に挿すように埋めると発芽しやすくなります」
越川は手のひらにのせた種を縦につまんで見せた後、スイカの種を小袋に戻して別の種を取り出した。
直径3ミリほどの丸く茶色い種からは、白い根がほんの少し出かかっている。
「これはオクラの種です。オクラの種皮はとても硬くて発芽しにくいため、この種は一晩水に浸けて発芽を促したものです。オクラは花が咲いてから莢が収穫適期を迎えるまでが四〜五日と短く、収穫適期を逃すとすぐに大きくなり固くて食べられなくなってしまいます。そのため、密植気味に育てて栄養や水分をあえて奪い合わせ、莢の肥大を遅くして収穫適期を少しでも長くするのが家庭菜園向きの育て方になります」
『ほう。俺もオクラを自家用に栽培していたが、苗を買って一本立ちで育ててたから、木みたいにでかくなって俺の背丈を越してたな』
「農家さんのように毎日畑で作業出来る方ならば、食べ頃を逃さず収穫できると思いますが、彼らは週に一度しか菜園に来られないのです。密植させると草丈も低く抑えられますから、管理も楽になりますし。株間は30センチで、三粒ずつまきます。種と種の距離が近いと競合しすぎて育ちの悪い株が出てくるので、同じ穴の中に数センチの間隔をあけて種をまきます」
ほう、と権田原が顎をさすりながら頷いた。
その反応にほっとした様子を見せつつ、越川はまた別の種を見せる。
「これも皆さんにおなじみの種、大豆です」
「えぇ? 大豆って、節分の豆まきのアレですよねぇ? そんなの育てる計画に入ってましたっけ?」
苺子がひとり素っ頓狂な声を上げた。
会社で顔を合わせる程度の時は、彼女の天真爛漫なところを可愛らしいと思わなくもなかった根木だが、野菜づくりを始めてからというもの、彼女の無知さに付き合うのはストレスがかかるし時間の無駄であると感じている。
苺子と同部署の先輩でもある香菜もフォローしてばかりではやはり疲れるのか、二人が苺子の反応をスルーしようとしたところで、権田原が豪快に笑い出した。
『お嬢ちゃん、大豆ってのはエダマメの種だよ。大豆を若採りすると枝豆になるんだ。知らなかったのか?』
「えー、そうなんですかぁ? 知らなかったー」
『お嬢ちゃんは俺の孫と歳がそう変わらねえみたいだな。俺の孫も、百姓の家に生まれたくせに野菜のこと全然知らなくてなあ。ガキの頃にもっと畑で遊ばせて、米や野菜を身近に感じられるようにすりゃ良かったなんて思ってんだよ』
「へぇー。あたしは今まで畑にぜーんぜん縁がなかったですけど、ここに来るの結構楽しいですよぉ。もちろん、根木サンが一緒だからってこともあるけど、可愛いお花とか、小さな虫さんとか、見てて飽きないし♪」
『そうなんだよなぁ。うちの畑はマルチや農薬使ってたから、だだっ広いだけでガキが喜ぶような自然がなかったんだ。俺のガキの頃は爺さんの田畑が遊び場だったし、孫がワクワクするような場所になってりゃあ、ちっとは違ってたかもわかんねえなあ』
普段の那須田ならば、能天気な苺子に辛辣な言葉を容赦なく浴びせるはずなのに、権田原を名乗る彼は切れ長の目をすうっと細めて、慈しむような眼差しを苺子に向けている。
そのギャップが信じられなくて、根木が思わず口を挟んだ。
「那須田さん! そこは野田さんの脳内お花畑発言にツッコミ入れるとこじゃないんですか!?」
『あぁ? この子は俺の見守るこの畑に来るのが楽しいって言ってんだ。素直で可愛い良い子じゃねえか』
「見た目は那須田さんでちょっと怖いけど、あたしゴンちゃんとならお友達になれそうですぅ!」
『おう、そうか! この歳でこんなに若いお嬢ちゃんと友達になれるとは思わなかったぜ。もっとも、俺からすりゃあ孫がもう一人できたようなもんだけどな』
“ゴンちゃん” “いっちゃん” と呼び合い、笑顔で握手を交わす苺子と権田原。
彼が那須田であれば、こんな光景は絶対に有り得ない。
目を疑う根木の横で、香菜がやれやれと苦笑まじりにメガネの縁を押し上げた。
「あの……、そろそろ講義を再開してもいいでしょうか?」
『おう、そうだった。話の腰を折ってすまなかったな。続けてくれ』
苺子と権田原に脱線させられた越川が躊躇いがちに講義を再開させたものの、放心状態の根木が気を取り直すまでにはかなりの時間を要したのであった。
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