第20話 「11 正義」のカードの話 (11正義)


 今日は「正義」のカードの話をしようと思います。


 タロットを習い始めた人がよく迷うのが「08力」「11正義」「14節制」の3種類のステータス系カード。いずれも正位置では精神的な安定を表していてほぼ同じ意味。絵柄も似ていることが多く、迷いやすいです。


 この三枚にはいずれも女性の含みがあります。従ってしっかりものの長女(力=気力・精神力)、堅物の次女(正義=理性・判断力)、自然体で元気いっぱいの三女(節制=調和安定・健康)と三姉妹セットで覚えるといいと思います。


 正義のカードは正位置では「的確な判断」「正しい選択」「公正公平」、逆位置では「不公平・不公正」「誤解」。恋愛を占っている時に出る「正義」の逆位置リバースは、「すれ違いで別れる」と決め読みできます。どちらが悪いわけではないけど、気持ちがすれ違って別れれたり離れたりというような場面を表します。喧嘩別れでないところがポイントで、ヨリが戻りやすいシチュエーションとも言えます。正義の逆位置リバースは一度距離を置いてみるといいよ、というカードからのアドバイスだと覚えておきましょう。


 今回はプロのタロット占い師エミさんの渾身のフルスプレッドに出た「正義」のカードの話です。



 学祭の翌日の夕方、もう外は暗くなっていました。

 麻衣子先輩はカップをソーサーにかちりと戻して語り続けます。


「私ね、喜び勇んで一人暮らしを始めたの。憧れの東京で、憧れの女子大生生活だもん。そりゃ舞い上がるわよ。入学して三ヶ月くらいは毎日が新鮮だった。ゆうすけクンも心当たりあるでしょ?」


 ありまくりです。さっちゃんと別れるきっかけにもなった入学直後の喧騒の日々のことを思い出して、僕は少しせつない気分になります。


「……先輩、俺の傷を抉るの、やめてもらえます?」

「ふふふ、私はどっかのゆうすけクンとは違ってね、しばらくしたらちゃんと婚約者のこと思い出したのよ。あ、私こんなふらふら遊んでる場合じゃないや、って」

「だからディスるか語るかどっちかにしてくださいよ、先輩!」


 先輩は僕の抗議を受け流して、いたずらっぽく笑いながら話を続けました。


「私ね、ちょくちょく夜行バスに乗ってクレシマさんに会いに行くようになったの。一年生の秋には私たちはまた普通の遠距離恋愛カップルに戻っていた。しかし、……やっぱりタイミングの合わないカップルってあるのよねー。だんだん私だけが夜行バスに乗って往復する生活に疲れて来ちゃって。二年生になるころに『私ばっかり移動するの不公平! たまにはクレシマさんが東京に来てよ!』とか言っちゃってたの」


 そもそもクレシマさんは、何度も同じ大学を受けるように麻衣子先輩を誘ってくれていたはず。それを蹴ってまで東京に行ったのは麻衣子先輩です。「私ばっかり夜行バスで移動してるから不公平」というセリフは、ひどい言いがかりです。クレシマさん、よくこの段階でキレなかったな、と思います。


「そうしてるうちにクレシマさん、院に進学することにしたから卒論と院試の準備で忙しくなって」


 大学院の入試には、早いところは九月には論文を提出しないといけません。院進希望者の四年生は、いろいろぬるいうちの大学でも猛勉強が必要でした。学部生時代から研究室に出入りしている理系の学生の方が、院進はラクなことが多いそうです。


「クレシマさん、だんだん『来てもいいけど、かまってやれないぞ』って言うようになってきて……。そうなると、私もいろいろ不満がたまっちゃったのよ。『婚約者より勉強が大事なの?』とか『図書館にこもりきりなの? 私がわざわざ夜行バスに乗って来てるのに』とか『ただの恋人同士じゃなくて婚約者なのよ!』とか」

「もっとかまってほしい、ですか。でも、先輩、それってわがまますぎますよ……」

「……それは反省してる。でもね、ゆうすけクン。少女は、わがままが通じないことを知ってオトナの女になっていくものなのよ」


……先輩、カッコつけてもだめですって。常人の我がままのレベルを超えてます。


「ついにクレシマさん、院試が終わるまで来ないでくれ、ってことを遠回しに言ったの、私に。それを聞いて、私、拗ねちゃってね。『分かった。もう行かないから。二度とね!』と啖呵切っちゃったの」


 麻衣子先輩、その時十九歳のはず。恐るべき純粋さ、恐るべき幼さです。今時女子高生でもそんな拗ね方しないでしょう。僕はだんだんこの麻衣子先輩とクレシマさんにまつわるストーリーの全体像が読めてきました。


「さては、先輩、院試終わってからもクレシマさんにわざと連絡取らなかったりしたんですか?」

「ふふふ、さすがゆうすけクンね。ご名答よ。もっと言うとね、東京に来てくれたクレシマさん追い返したりしちゃった……」

「えー、そりゃひでー。こじらせ系じゃないですか!」


 わざわざ東京まで来てくれた恋人、麻衣子先輩からすれば婚約者、を追い返すとか正気の沙汰とは思えません。

 僕が顔を上げると、麻衣子先輩はふっと視線をそらせました。果たしてその胸の中に去来するのはどういう感情なのでしょう。


「まさにこじらせ系女子よね」


 自嘲のこもった笑いを浮かべる麻衣子先輩。

 これはこれでちょっと見るに忍びないです。


「二ヶ月ぐらいすねてたけど、結局久しぶりにクレシマさんのとこへ行ったの。そしたらね、クレシマさん、私がプレゼントした万年筆と違うのを使ってるのに気が付いちゃって。考えてみたら私がこじらせる前から女の影がちらついていたのよね」

「あらら、クレシマさん、新しく彼女作っちゃったみたいな感じなんですか」

「私、それを見てね、これは離れて暮らしているからだめなんだ、物理的な距離のせいなんだ、と思っちゃったの」


 うーん、これはクレシマさんを責めるのはちょっと酷かもしれません。

 普通は、二度と来ないと捨て台詞を言われて、会いに行っても追い返されたんじゃ、もうフラれたと思っても仕方ないところでしょう。


「それで、さすがにちょっと悩んだけど、結局大学入り直そうと退学しちゃった。2年生の十月に」

「まじですか! そこで大学辞めちゃうなんて……」


 『常人離れしてますよね』『キチガイじみてますよね』、どちらのセリフを続けようか僕は一瞬迷いましたが、もうどっちでもいいです。麻衣子先輩はさらっと言いますが、これはとんでもない話です。とにかくその発想は普通ではないです。


「よくそんなの親が許してくれましたね。というか先輩、その東京の私大どうしても行きたかったんじゃなかったんですか?」

「親には黙ってた。仕送りもそのまま貰いっぱなし。あんなに行きたかった東京だったのにね。東京に来たせいでクレシマさんと上手くいかなくなったと思ったらすっかり興味もなくなったの」


 なんてこった……。ここにとんでもない放蕩娘がいるよ。先輩のご両親はとてつもなく娘に甘くて、経済的に余裕があったに違いありません。もし自分の娘が勝手にそんなことしたら、僕はとりあえずキレる自信があります。


 ここまでの話は、確かに終始麻衣子先輩の恥ずかしい話です。先輩は、思ったよりもはるかに純情無垢で、思い込みの激しい激情家で、めんどくささMAXのこじらせ系乙女だったんです。


 僕は思いついた形容フレーズの数々にめまいがしました。どんなにかわいくても近寄りたくないぜ、こんな人には……。


「それで、今の大学に一年生として入学してからがね……大変だった。……いろいろとね」



 麻衣子先輩が喫茶店で語ってくれた話。あれがウソだったとは思いません。


 でも何かが足りない気がします。僕には話してくれていないことがある、そんな気がずっとしていました。それを僕が聞いていいものなのかどうかは微妙ですが、エミさんの占いなら、それを明るみに出せるかもしれない。


 そんな少しよこしまな僕の期待を知ってか知らずか、エミさんは左手前のカードにゆっくり荘厳に手を伸ばしながら話始めました。


「まず、お二人から見て左手前は『否定』のプレイスです。あなた方お二人の運勢を占う上で、障害となっている事柄を表します。右手前は『成り行き』のプレイスです。現在までのお二人の関係が成立したいきさつと経過がここに出ます」


 エミさんは僕たち二人に交互に顔を向けながら『否定』と『成り行き』のプレイスのカードを表替えして行きます。


   否定      成り行き

   恋人(逆)  太陽

   法王(逆) 吊るされた男(逆)

    正義      皇帝


―――なんだこれー。イヤだなー。恋人の逆位置リバースと法王の逆位置リバースかよ……。


 僕はこの場にいる女性二人に聞こえないようにうめきます。


 『成り行き』のプレイスの方は、「無為な努力に辟易していたところに、積極的な男と出会って信頼と愛情が育まれる」と読めます。当たっているかはともかく、悪い占いにはならなさそうです。


 しかし『否定』のプレイスの方が問題です


 恋人の逆位置リバースはもともとセクシャルな含みがあります。

 法王のカードも、逆位置リバースで出ると正位置にはないセクシャルなニュアンスが含まれてきます。その意味するところは「男性の性的魅力の欠如」。


―――これ「俺に性的魅力がなくて、麻衣子先輩が嫌気がさすから、別れた方がいい」って読めちゃうんだけど……。俺の読みすぎかなあ?


 僕はかなり微妙な顔をしたのでしょう。麻衣子先輩が僕の表情を窺いながら「ゆうすけ、どうしたの?」と聞いてきました。いつもの「クン」を付けずに呼び捨てです。僕はため息をついて「なんでもない」とぶっきらぼうに答えました。


 涼し気な微笑みと清楚な顔立ちには似つかわしくない艶やかなハスキーボイスが、エミさん口元から流れ出しました。いよいよエミさんのカード読みリーディングの始まりです。


「お二人の出会いは偶然。でもそれは天の意志たる必然でもありましたね。おそらくほんの一瞬しか邂逅のタイミングはなかったはずです」


―――うっ、当たってるかも。


 あの時、麻衣子先輩たちがさっちゃんをサークルに勧誘していなかったら、僕はこのサークルのことを知る機会はなく、そして僕たちは永遠に出会うことはなかったでしょう。


「どちらかが遠距離恋愛をされていて辛い思いをした過去をお持ちのようですね。でもお二人が出会えたことによって事態は大きく変わって行きます」


―――これも当たってる。すごいな、エミさん。


 横目でちらりと見ると、麻衣子先輩はスプレッドを真剣に見下ろしていました。


「今、お二人の関係の障害になっているもの。それはわずかな誤解、そして恋心に溺れない理性。その合理的な判断力がお互いの親密度の邪魔になっています」


 ほお、正義=理性、法王(逆)=誤解、恋人(逆)=親密になりきれない、お互い信じきれない、か。なるほど、そうやって読むのか。確かにそう読める。エミさん、ただものじゃないぞ。


 僕は勝手に性的魅力とかの妄想をしてしまったことに恥じ入りました。そこへ麻衣子先輩が肘で僕の脇腹を突いて、「エロいこと考えてたでしょ?」と小声で囁きます。


 「すみません」と小声で返しましたが、ここでそう聞いてくる麻衣子先輩も十中八九、僕と同じ読みだったに違いありません。まったく食えない人だよな、と僕は聞こえないようにため息を付きます。


 そんな僕たちをやんわり見ていたエミさんは、僕に向かって言いました。


「しかし、ゆうすけさんには過去も現在も、そして将来も他の女性の影が見え隠れしています。それには麻衣子さんもお気づきのようですけどね」


 ん? 他の女性の影? どのカードにそんなの出てるんだ?


 僕は心当たりのないことを断言されて、たじろいでしまいました。


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