麻衣子編

第18話 「01 魔術師」のカードの話 (01魔術師)


 今日は「魔術師」のカードの話をしようと思います。


 「魔術師」のカードには必ず杖を持った右手を振り上げている男の絵が描かれています。見た目どおり人物系のカードで、「新しく始める・始まる」「好奇心」「想像力」を意味します。小説などでよく出てくる「ふとしたきっかけで」「たまたま思い立って」みたいなフレーズを表すのがこの「魔術師」のカードです。逆位置リバースで出た場合は「優柔不断」「臆病」「無気力」「悪目立」です。


 また、このカードは「兄」を強く示唆しています。ちなみに愚者も「兄」、皇帝のカードは「父」です。女教皇と女帝のカードはどちらも「姉」。兄姉を示すカードが二種類ずつあるのに、「弟」「妹」を直接表すカードはありません。このあたりは西洋人的感覚なのでしょう。英語・フランス語・ドイツ語では兄と弟、姉と妹を区別する単語が存在しないのと関係ありそうな気がします。

 

 実は「母」を直接表すカードもなかったりしますが、正義・節制・審判のカードにはどれも母親の含みがあります。また女教皇は正確に言うと「年上の女性」を表していますので、母親と読んでも間違いではありません。


 今回は「魔術師」のカードを引いた僕と麻衣子先輩の話です。



「ゆうすけ、あのさ……」

 浴衣に半纏を着て下駄を鳴らしながら、僕とヒロキは温泉街をふらふらと歩いていました。


 十二月のある日、僕たちはサークルのメンバーと近郊の温泉地に来ていました。学祭のお店で予想外に利益が出たので、みんなで温泉に行って慰労会をしようということになったのでした。

 温泉に到着した後、夕食までは自由時間。僕たち一年生男子四人は連れ立って外湯に繰り出します。七か所ある外湯のうち三つ入った後で、テツロ―とタケシの二人は「男は黙って全湯制覇だ!」と言って残りの外湯に向かって行きましたが、僕とヒロキはそこで離脱しました。外湯めぐりは意外と体力を使うんです。僕たちはぶらぶらと宿への道を戻っているところでした。


 ヒロキは中肉中背で僕より少し身長が低いのですが、筋肉質な体型でやたら浴衣が似合います。まるで時代小説の剣豪のようです。そのヒロキが少し聞きにくそうに僕に話しかけてきました。


「麻衣子さんの話、知ってる?」


 その話だろうな、と僕は予想していました。一年生で麻衣子先輩との接触が一番多いのは間違いなく僕です。僕は、みんなが学祭三日目の夜の謎のお客さんと麻衣子先輩の関係を知りたがっている気配はずっと感じていました。


「……まあ、だいたい聞いた」

「あのクレシマさんのことも?」

「……うん、まあ、おおよそ」


 ヒロキは探るように聞いてきますが、僕は両腕を浴衣の袖に突っ込んで、彼を見ずに前を向いて歩き続けます。それ以上聞いても俺は喋らねーぞ、的な雰囲気を一生懸命漂わせます。


 麻衣子先輩の話を僕の口から語る気はありませんでした。

 僕は温泉街を歩きながら、学祭の夜のその後を思い出していました。

 


 学祭の最終日。僕はものすごい勢いで占いをこなしていました。朝からノンストップで十人連続です。


 最終日、僕は占い師もアスリートのように「ゾーンに入る」ことを体感していました。出たカードがすらすらと喋り出して、それをそのまま繰り返すだけでお客さんが驚くほど的中していきます。自分で考えなくてもいいので、全然疲れません。一種のトランス状態のようなものです。


 十人連続でも平気でしたが、さすがにトイレに行きたくなったのと喉が渇いたので、小休止してブースを出たところで接客中のマキに話しかけられました。


「ゆう君、休憩取ってへんのとちゃう? 少し休んだら?」

「サンキュー、マキ。でも俺、今覚醒してるから平気だぜ。今ならマキの明日のパンツの色でも当てられる!」

「えー、まじ? まじ? じゃあ私の今日のパンツの色、当ててみてよー」

「ぬははは、見える。見えるぞ、マキ。黒だ! しかも赤リボンつきだ!」


 当然出鱈目です。タロットカードでパンツの色なんか分かる訳ありません。しかし、なぜか適当に言ったその言葉はクリーンヒットしてしまったようです。マキは瞬時に赤面すると、僕の胸を手ではたきながら叫びました。


「ゆう君、へんたーい! 人のパンツの色とかチェックしてんなー!」

「覚醒した俺に見えないものははないんだ! ぬはははは」


 いやいや、めっちゃ嘘、出まかせもいいとこです。というか、当てろって言ったのはマキじゃん。そんな派手なパンツ履いてるのかよ、と実は僕はドン引きしていました。


 こうして盛況のうちに僕たちのお店は四日間の営業を終えました。


 飲食物は食材を買い足すほど売れ、世界の物産品は完売、占いコーナーでは四日間で僕と麻衣子先輩の二人で二百人強を占いました。そのうち三十人近くは最終日の覚醒した僕が占ったものでした。さすがにこれだけこなすと知らない人を占うのにも随分慣れました。


 学祭最終日の翌日。丸一日かかってお店を片付けた後、僕は麻衣子先輩と一緒にいつもの喫茶店でコーヒーを飲んでいました。一杯三百五十円のコーヒーはちゃんと豆を挽いて淹れているのであれば安い、というのを実感します。


 麻衣子先輩はコーヒーに口を付けると僕を見ながらポツリといいました。


「ゆうすけクン、……私の話、聞きたい?」

「そりゃ、聞きたいかどうかで言えば、聞きたいですよ。でも、……先輩が苦しんだり悲しんだりした話は、聞きたくない……です」


 僕にとって麻衣子先輩は、いつもひょうひょうとしていて、何事にも動じなくて、すべてを見通していて、未来も予言してしまう、そんな存在でした。

 それは僕の勝手なイメージ上の産物でしかない。それぐらいは分かっていました。

 それはいわば一種のアイドル像、僕が勝手に見ている幻影。それも重々承知していました。

 それでも麻衣子先輩が、困ったり、苦しんだり、悲しんだりする姿を見るのはいたたまれなかったのです。


 麻衣子先輩は僕の返事を聞かずに勝手に話始めます。


「彼……クレシマさんはね、私と同じ高校の先輩。彼は今、M2修士2年なの」


 なるほど院生なのか。道理で老けてるのに社会人に見えないわけだ、と僕は納得します。しかし、重要なのはそこではありません。僕は先輩の話をさえぎって抗議しました。


「あ、いや、先輩。俺の言ったこと、聞いてました? 先輩が苦しんだり悲しんだりする話は聞きたくないんですって」

「ううん、そんなに苦しんだり悲しんだりの話じゃない。どちらかというと、クレシマさんに申し訳ないのと、私が恥ずかしい話……」


 そこまで言うと先輩は恥ずかしげに顔を赤らめて目をそらしました。うわっ、似合わねー、乙女かよ、と思いましたが、一方で僕は心の底で安堵のため息を付いていました。元カレの話でさえ聞くのが憚られるのに、元婚約者の話です。普通に考えて麻衣子先輩が傷ついていないはずがありません。


 でも、それが「恥ずかしい話」で済むのなら、先輩が悲しい思いをしていないのなら、今度は一転してがぜん興味が湧いてきます。これじゃ下世話なゲスヤローだよな、と少し自分がイヤになりました。


「……? M2ってことは先輩よりも四つ上ですか?」

「ううん、二つ上。私、二浪してるから。知らなかった? 私、ゆうすけクンよりも三つ年上なんだよ? あ、私は早生まれだから、一年の大半は二つ年上ってことになるかしら」

「ええええー、まじですか!?」


 先輩の打ち明け話は序盤も序盤。まだ始まったばかりで、具体的な話はまだ何も言っていません。それなのに、いきなり僕はノックアウト級のヘビーパンチを食らってしまいました。


 ショックを受けている僕に構わず語り出す麻衣子先輩は、いたずらっぽく薄く笑っていました。


「ふふふ、そんな遠回りしちゃったのもね、クレシマさんとのことがあったからなの。私、高校生の時ね……」



 僕はヒロキと肩を並べて温泉街を宿に向かって歩いています。

 もう外は薄暗くなって来ました。気温は低いのですが、外湯で火照った身体にはちょうどいい涼みになっています。


 すると途中の小さいオシャレ系の土産物屋の前で、浴衣の女子三人組が手を振っています。いずみとマキと麻衣子先輩でした。ヒロキは「おー!」と手を振りかえして三人の元に走って行きます。


「ゆう君! 電話してんのになんででーへんの!」

 いやいや、マキ声でかいって。


「さ、ゆうすけクン、行くわよ」

 麻衣子先輩はなんの説明もなしに土産物屋ののれんをくぐって奥へ向かって歩いていきます。


 仕方なく僕もついて行くと、奥の小部屋には「占いの館」と書いた札がかかっていました。その扉を麻衣子先輩がノックすると中から「どうぞ」と女の人の声がします。


 部屋の中はキャンドルの明かりの占い小部屋になっていました。麻衣子先輩は平然と椅子に腰かけます。僕も突っ立っているわけにも行かないので、事情がつかめないまま麻衣子先輩の隣の椅子に座りました。黒いクロスのかかった大きめのテーブルの向こうには若い女の占い師さん。年のころは二十代前半でしょうか。麻衣子先輩が学祭でしていた魔道士ルックをもっとガチにした感じの服を着ています。


「それじゃ、始めます。お二人の恋愛のゆくえでよろしいですね?」

 占い師さんが静かに喋りました。その声はびっくりするほど色気のあるハスキーボイスです。顔は清純派なのに、このギャップは萌えます。一部に熱狂的なファンがいそうです。


 ははあ、麻衣子先輩はプロの占い師さんの占いを、おそらく批評的な視線で見物するつもりなんだな、と僕は察しました。


 占い師さんは、静かにカードを切り始めました。職業的関心と言ってもいいのでしょうか、その手元には注目してしまいます。ただ、麻衣子先輩ほどカードさばきは上手くないな、と思いました。見てると見慣れない形にカードを広げていきます。


      結果

      世界(逆)


出来事    宣託    肯定

節制    魔術師    愚者

      

   否定    成り行き

   恋人(逆)  太陽


       

 五角形に並べたカードの真ん中にキーカードを置くペンタグラムというスプレッドです。いつも僕たちが使っているケルティッククロスと違って「時系列」という概念がありません。

 特定の具体的な事件の解決策を探る場合や、複数の人が同じ課題に直面している場合に使いやすいスプレッドです。カップルの未来を占うには確かにこのスプレッドが一番適しているようです。


 占い師さんはじっとスプレッドを見つめていましたが、麻衣子先輩に向かってにっこりと微笑むと艶やかに、しかし自信たっぷりに言い放ちました。


「お二人はいわゆる恋人同士ではありませんね? ご姉弟でしょうか。それとも少し違うようですが」


……おお、この占い師さん、できる! 一発で僕たちの関係を見破った!


 僕はちょっと感嘆して麻衣子先輩の方を見ました。

 麻衣子先輩は「それがどうしたの?」的な表情でさらりと占い師さんに言いました。


「私たちはお互いを深く理解し合い、信頼し合っています。それを前提に占っていただけますか?」


 うわっ、この人、プロの占い師さん相手に喧嘩売ってるよ!



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