学祭編

第15話 「9 隠者」のカードの話 (9隠者)(21世界)


 今日は「隠者」のカードの話をしようと思います。


 隠者は人物系のカードですので、「特定の誰か」が占いに影響を与えている暗示があります。ところがこのカードの示す「特定の誰か」とは「占われている人が意識していない人物」です。たまに「自分自身」の場合もあったりします。


 「意識していない人物」を指す場合は、その人の存在を明かすと占われている人が混乱したり、勝手な期待をして占い結果を歪めてしまったり、カードが誰を指すのか『犯人捜し』を始めてしまうこともあり、慎重に扱わないといけないので結構面倒です。『ガラスの仮面』という漫画をご存知でしょうか。あれの紫のバラの人のような足長おじさん的立ち位置の人を指しています。また、「もう一人の自分」を指して「考えすぎて行動に移せない」という含みになることもあります。


 恋愛を占っている時に隠者のカードが出ると、解釈の仕方で占いの結果が正反対になったりする占い師泣かせのカードの一つです。吉札なのか凶札なのか、しっかり読まないと分かりません。


 正位置では真理の探求、悟り、混迷していたトラブルの解決。逆位置では悪い意味での秘密、孤立、劣等感。人物系のカードの中では一番地味で読みづらいのですが、その影響は意外と大きいことがあるので侮れません。


 今回は僕が引いたそんな「隠者」のカードの話です。



 マキを占った翌日。ついに学祭も前日です。


 もうお店の準備はだいたい終わっていて、今日はサークルのメンバー総出で喫茶店のメニューの仕込とステージ演奏の練習に掛かりきりでした。ひととおり仕込みと練習が終わると、すっかり準備できたという感じになって、みんな思い思いのことをしたりしなかったり、端的に言えばだらけ始めました。僕はこのサークルのそんなゆるい雰囲気も好きでした。メンバーはしばらく談笑した後、夜ごはんの時間になったこともあって、思い思いに散会していきました。


 僕と麻衣子先輩は占いコーナーのセッティングで居残りです。残っているのは僕たち二人とあゆみさんとマキ。麻衣子先輩と僕は教室の隅の占いコーナーを黙々と仕上げていきます。暗幕で仕切って、黒いクロスをテーブルに被せ、その上にはキャンドルグラスを置く。これでぐんと占いコーナーっぽくなりました。というか少しやりすぎて敷居が高くなった感じもします。


「先輩、これ暗幕ない方がいいんじゃないですか? 怪しすぎですよ」

「これぐらいの方が、お客さんが覚悟してくれるからいいのよ。覚悟のある人だけが来てくれた方が、占いやすいわよ?」

「うーん、そういうもんですか」


 麻衣子先輩は全然意に介しません。先輩は暗幕にヘキサグラムの形に銀紙を貼り付け始めました。さらに怪しさが加速していきます。


「怪しいー。雰囲気ちょー怪しいー。ラブホの待合室みたいー」


 意味不明な例えでテンションが上がっているのはあゆみさんです。なんなんですか、この人は。これには僕もドン引きするしかありません。麻衣子先輩はヘキサグラムの貼り付けに必死で、あゆみさんの言葉を完全スルーしています。


 あゆみさんのテンションに一歩も引かなかったのはマキでした。あゆみさんとマキはサークルのメンバー内でも声量で一二を競っており「混ぜるな危険」とみんなに言われていました。どちらがナンバーワンかはその差が些少すぎて検証する気にもなりません。


「えー、そうなんですかー! きゃー! あゆみさん、ラブホってこんなんなんですかー?」

「そうそう! こんな感じー! ……と思うよー」


 取って付けたようなあゆみさんのフォローは、逆に居心地が悪くなる効果しかありませんでした。


「へー、惜しかったなー。私も見れてたかもしれんかったのになー。昨日あのままゆう君に連れていかれてれば……」


 があああ、何を言ってるんだこいつは!

 あわててマキを睨むと、マキは僕に向かって意味深なてへぺろをしてきました。だーかーらー、そういうのやめてほしいんだよ、誤解されるから! なんかこんなのばっかりです。僕はマキの昨日のきわどい冗談をとがめ忘れていたのを後悔しました。


「ゆうすけクン、ちょっと予行演習してみる?」


 これがマキのせりふだったら「なんの演習だ!」とさらに追加でうろたえるところでしたが、聞こえたのは熱心に暗幕にヘキサグラムを貼り付けていた麻衣子先輩の冷静な声でした。よかった。マキの危険極まりないジョークは、作業に没頭する麻衣子先輩の耳には届いていなかったようです。僕はほっとしながら麻衣子先輩に返事を返します。


「じゃあ一つお願いします。俺の恋愛運ってことで」

 麻衣子先輩直々に占ってもらうのは割と久しぶりでした。


「ゆうすけクンの恋愛運? いまさら? ま、いいわ。せっかくだから着替えてくるわね。ちょっと待ってて」


 着替え? この人何言ってんだろ、と思っていると、麻衣子先輩は教室の奥の荷物置き場から、赤の内張りのフードのついた黒ローブをかぶって戻ってきました。その姿はまさに黒魔道士。


「先輩、そんなもの用意してたんですか!」

「ふふふ、何事もまずは形からね」


 先輩は今日はこっちでやってみるわね、と色鮮やかなマルセイユタロットをテーブルの上に出しました。キャンドルグラスにライターで火を付けて、教室の照明を落とすとさらに怪しい雰囲気になります。目の前には本当の魔女のような出で立ちの麻衣子先輩。後ろの暗幕にはゆらゆらとキャンドルが映した先輩の影が揺れています。すげー臨場感です。結構怖がるお客さん出てきそう、というか僕自身が結構怖い、と思いました。


 麻衣子先輩は相変わらず軽やかにカードを広げて行きます。僕も練習しているのですが、なかなかこう上手くは広げられません。僕は場の雰囲気と麻衣子先輩の衣装に圧倒されて、なぜだか緊張してしまいました。


 先輩が優雅にめくって出てきたカードは……、


過去   現在     未来

隠者   運命の輪  世界   


「今日は練習だからスリーカードね。ゆうすけクンも時間が押して来たらスリーカードやるんだから、後で練習しといてね」


 そう言ってから麻衣子先輩は三枚のカードを見て考え込んでしまいました。僕はそれを見て意外に思います。


「先輩、これ、簡単じゃないです? 隠者のカードが指す人物の影響を受けて運命が好転して、大成功、って感じですよね? なんかえらいいいカードばっかり出てますね」

「うーん、悪くはないけど、でも隠者が過去に出てるのがちょっとね……」

「隠者は誰なんですかね?」


 先輩は僕を見て少しだけ笑います。

「それはまだゆうすけクンが追求してはいけないの。だから隠者なのよ」


 うーん、今の僕には、当てはまる人物は思い当たりません。それでも、あえて上げるとするならば……。僕はぼんやり浮かんだその顔を意識して追い払いました。隠者のカードはあくまで隠者。それが誰なのか、占われた人が追求するのは禁じ手です。

 麻衣子先輩は、しばらく考えてひどく抽象的な占い結果を僕に告げました。


「ゆうすけクンの運命は相当将来までもう決まってしまってるみたいな感じ……なのかな。私は、隠者のカードが暗示するのは、ゆうすけクン自身だと思うわ。そしてゆうすけクンが『真実』に気が付いて満足のいく結果に繋がる」


 悪い結果ではなく、むしろすごく良い占い結果なんですが、内容がめちゃくちゃ重いです。しかも具体的なことが何一つ分かりません。これはある意味ストレスがたまります。


「先輩、それじゃ分からないですよ。真実ってなんなんですか?」

「スリーカードだからそれ以上細かいことは分からないわ。でも、将来間違いなく満足できる結果になる。それだけしかカードは言ってないわね」


 塔のカードがどんな場合でも悪いことを示す極悪カードなら、世界のカードはその逆。どこに出ても必ずいい結果をもたらす最良カードです。何を占っていても世界のカードが正位置で出ていれば「とにかく最後は上手く行く」という最強の吉札でした。なんか僕なんかに出るのはもったいない感じです。


 世界は天体系のカードですので、逆位置リバースでも「上手く行く」という意味は消えません。世界の逆位置リバースは「最終的には上手く行くけど遠回りする」という感じで読みます。

 ただし、カードの組み合わせによっては成功直前の足踏み状態がずっと続いて「焦り」「不満」「期待外れ」「もどかしい」というマイナスのニュアンスが強くなります。特に他の天体系カードの逆位置と世界の逆位置が並んで出た場合は、「すぐそこにある成功に手が届きそうで届かない」という非常にもどかしい状態を表します。


「ところで、ゆうすけクン」


 麻衣子先輩は少し非難がましい視線で僕を見ました。はっきり言ってその衣装で睨まれると怖いです。即死魔法で滅殺されそうな気分になります。


「マキちゃんまでたぶらかすつもり?」


 ……ほーら、マキが余計なこと言うから……。だいたい地獄耳の先輩があのマキの大声を聞き逃すはずがないじゃないか、と僕は心の中で舌打ちします。


「そんなことしてないですって! おい、マキ! 変なこと言うから先輩が誤解してるじゃないか!」


 振り返るとマキとあゆみさんは僕と麻衣子先輩には目もくれず、一生懸命ビニールひもを束ねて作ったポンポン飾りで占いコーナーの看板をデコっていました。


「まあいいけどね。ほどほどにしておきなさいよ」


 またしても突っ込みどころ満載のセリフをいう麻衣子先輩。もういちいち反論するのも疲れたような気がしてきました。


 学祭の前夜、ひと気が少ない夜の大学の校舎には、あちこちから不思議な高揚感と浮遊感に包まれた静かな熱気があふれだしています。間違いなく僕たちもその熱源の一つでした。


「明日は午後から忙しくなるわよ。覚悟しておいてね」



 この時、僕が引いた隠者のカード。


 その意味するところを僕が理解できるようになるまでには、実に十年以上の時間が必要でした。


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