第14話 川沿いの遊歩道での話
今日は喫茶店でマキを占った後の帰り道の話をします。
今回も占いの話は出てきません。
◇
「……そんな自分が大嫌いやった」
僕とマキは喫茶店を出て、肩を並べて川沿いの遊歩道を歩いていました。
マキはささやくような調子で語り始めました。
僕が道端の自販機に五百円玉を突っ込んでマキに目くばせすると、マキは黙ってカフェオレのボタンを押しました。僕も缶コーヒーを買って、そのままベンチに腰を下ろします。
「私、ちょっと変わってるって言われててな、クラスで浮いとったん。だから学校であんまり喋らんかったし、ほとんど笑わんかった。友達とも立ち入った話とか全然せーへんかった」
マキは僕のとなりに音もたてずに腰掛けると、プルタブを引っ張ってカフェオレに口を付けました。そして低い声で、静かに、ゆっくりと話を続けました。
「正直あんまり学校楽しくなかってん。女子校ってな、結構嫌なとこやねん。一回そういう立ち位置になってしまうと、浮上するチャンスなんてほとんどないし。でもな、高二のとき新任の先生が担任になってん。大学出たての若い男の先生。正直顔はイマイチやった」
僕は、聞いているよ、の意味を込めて黙って頷きます。マキは川の流れる暗がりに向かってつぶやき続けます。
「でも優しかってん、すごく。今から考えるとベタなんやけど、先生のこと好きになってしまってん、私。笑えるやろ?」
ちらっと僕の方を見たマキに、そんなことないよ、と視線で返答します。
「それでな、ある日先生に言われたん。『マキ、推薦受けてみーひんか。多分大丈夫やから』って。その東京の超有名私大に興味なかってんけど、先生が言うなら受けてみようかなって」
「高三になってそのままその先生が進路担当になってな。私、先生の言うとおり推薦用の勉強してたん。そやのにな。その年から推薦枠減らされてしまってん。なんか何年か上の先輩が不祥事起こしたらしくって」
「当然誰かが推薦外れることになるやん? 私、先生に聞いたん。『先生、私、推薦外れてもいいよ。他の子に回してくれていいよ』って。先生は『大丈夫。マキが推薦受けれるようにするから』ってずっと言ってくれてた」
「でもな。だんだん、先生、私と話すとき視線が泳ぐようになってきたん。そして私が進路指導室行くの嫌がるようになってきたん。先生、そんなことはっきり言ってないで? でもそういうのって分かってしまうやん。一応、私もな、ほら、恋する乙女? やったわけやし」
「私な、推薦あかんならあかんって言ってくれれば別にそれでよかった。だってその大学にどうしても行きたかったわけじゃなかってんもん。でも先生は大丈夫としか言わんかった」
「そうこうしてるうちに夏休みになってな。私もう推薦受ける気なくなってたから予備校行って自分で受験勉強始めたんよ。先生はあまり私と会わんようにしてたみたいやけど、たまに顔を合わせると 『推薦大丈夫やから』と同じことばっかしずっと言ってた」
「そしたら夏休み明けに進路指導主任の先生に呼ばれてな。『マキは一般受験に回ってくれるか。マキの方が成績がいいから推薦は別の子にしたい』って言われてん。『はい。いいですよ』と二つ返事でOKしたってん。もう普通の受験勉強始めてたから」
「その後な、私の好きやった先生がぐだぐだ言うの。『本当はマキに推薦取らせるつもりやった』『主任がうんと言わんかった』『学校の進学実績を考えたらしょうがなかった』とか言い訳をいろいろと。そら、もうええわ、っていうぐらい」
「大人の事情なんて女子高生でも察するぐらいはできるし。推薦枠減らされた時に一般受験にしてくれって言っとけばええだけの話やん。結局、私が一学期の間やきもきしても何も残るもんなかった。もう先生のことなんかすっかりどうでもよくなってた。なんでこんなちっせー奴好きになったかなあ、と恥ずかしくなったわ」
マキはここまで一気にしゃべって、ふう、と息をつきました。僕の顔をまじまじと見つめるその表情は「私がおかしかいのかな?」と僕に問いかけていました。
話を聞く限り、マキは何も悪くありません。むしろ推薦入試を反故にされても一般入試で堂々と合格を勝ち取ってきたマキに対して、称賛されることはあっても非難される筋合いはどこにもありません。普段どんなにバカ騒ぎしていても、適当な数字を出まかせで並べていても、マキはもともと頭のいい奴だったんです。
僕はマキに向かって頷きました。大丈夫だ、マキは間違ってなんかいない。マキは僕の表情を見ていつもの笑顔に戻ります。そして、今度は一転して明るいトーンで話始めました。
「私な、大学来て、このサークルに入ってホントによかった、救われた、と思ってるんよ。だってみんなすごい『変』やん? ずっと『変わってる』って言われ続けてきた私から見ても『すごい変な奴』ばっかり。私の変さなんて取るに足らんくらい」
「しかもみんな『変なこと』になんのコンプレックスも感じてない。変で当たり前、変な奴が勝ち、みたいな感じで。そういう人たちと一緒にいるとな、ずっと『普通』にせなあかん、みんなと同じようにならなあかんと思って生きてきたのが心底アホらしくなったわ」
「だから今、すごーい気楽になってんねん。取り繕って無理に『普通』にする必要がまるでないんやもん。むしろ『変さ』で負けたらあかん、っていう謎の競争心が湧いてるぐらい」
マキの笑顔は満足気でした。サークルのメンバーは確かにみんな桁違いにおかしくて変な奴ばかりです。マキも相当変わっている子ですが、あのメンバーの中では至って普通。木は森の中に隠せ、ってやつです。
「でな、私、女子校出身やから、男の人みんなに好かれなあかん、すべての男の人に嫌われたらあかんと思ってたん」
「四月から今まで、そこだけはちょっとムリしてたかもしれへん。さっきの占いで出てたやん?ちやほやされたいと思ってるっていうやつ。多分それのことなんやと思う。だからな、……少し男の人との接し方考えてみるわ」
マキは語り始めた頃とは別人のように明るい声で楽しそうに言いました。
なるほど。マキが引いた女帝はそういう意味なのか。本人の中で納得する答えが見つかったのなら、占い師としてはそれで本望です。それはマキ自身が、占い師である僕を通さずに、直接カードから受け取ったメッセージなのですから。
僕は楽しそうにカフェオレをすするマキに向かって言いました。
「それがいいと思う。俺の個人的な意見だけどさ、男全員に好かれる必要なんてないよ。誰からも愛さるやつは、実は誰からも愛されていないんだよ」
「おおー、ここで名言が来るかー。さすがゆう君やね。私もゆう君にだけ愛されれば、それでいいわー」
僕は思わず缶コーヒーを吹いてしまいました。ちょっと静かに語ってたと思ったらこれです。
「マキ、あのさあ……」
「あははは、うそうそ。私、ゆう君には惚れへんから大丈夫やでー。あずピーが言うてたもん。ゆう君にだけは惚れたらいかんよって。ゆう君みたいな男に惚れるとぬかるみにハマるでって」
あずピーってのはもしかしなくてもあずさでしょう。あいつは一体何を吹いて回ってんだよ。
「実は私な、あの男嫌いのあずピーがそこまで言うゆう君ってどんな男なんかなって最初思ってたん。正直見た目普通やし、雰囲気も地味やし、頭いいわけでも運動できるわけでもないし」
しかもずだぼろな言われようです。復活したマキは遠慮というものにまったく頓着しません。
「でもな、分かってきた。ゆう君は結局いろんなことで確実に二番手に付けてるやん? そんなゆう君みたいな人好きになってしまうと、それ以外の男のな、ゆう君よりも悪いところばっかり見えるようになってしまうんやな、って。タケシ君確かに頭いいしイケメンやけど、それ以外のとこでゆう君よりいいとこないやん?」
そんなこと言ったらタケシがかわいそうだろ、と思いました。というか頭良くてイケメンなだけで十分なのでは?
しかし、タケシのことよりも気になるのはあずさの話です。
「それよりさ、そのあずピーって片桐あずさだよな? それとも別人? そもそもマキは片桐とそんなに仲良かったのか? 片桐が男嫌いなんて信じられないぞ」
マキは不思議なものでも見たというような顔で僕を見ます。
「片桐あずさちゃん、略してあずピー、めっちゃ男嫌いやん。経済学部で有名やで?夏休み前ぐらいから仲良くなってん。弦研のシノちゃんと三人でよう遊んでるよ?」
あずさが男嫌い、だと? いつから男嫌いにクラスチェンジしたんだ、片桐あずさ。
「あずピー、ゆう君の元カノなんやろ? あれ? 元々カノやったっけ?」
「そんな細かいとこはどうでもいいんだよ。俺は一度も片桐と付き合ったことなんかない! 誰だよそんな変な噂流す奴は」
マキは僕の抗議の声を快活に笑い飛ばしました。
「あははは、それこそどうでもいいことやん。肝心なんはな、あずピー、今でもゆう君のこと、めっちゃ好きってことやで! さ、ゆう君、そろそろ行こっか!」
マキは勢いよく立ち上がるとゴミ箱に缶を投げ入れて、言いました。
「あんまり良い雰囲気になりすぎて、間違ってゆう君にちゅーされたりしたら、私、あずピーに殺されるし!」
マキのセリフに何からどう突っ込んでいいのか、突っ込みどころだらけすぎて僕は困り果ててしまいます。だいたい間違ってちゅーしてきたのはあずさだろうが。あずさは僕のことをどういう風にマキに吹き込んでいるのか。相当情報が歪んでいるっぽいです。伝言ゲームはこういう時怖いです。
マキはくるりと振り向くと満面の笑みを僕に見せてくれました。月明かりに照らされるマキの笑顔。それは周囲を巻き込んで楽しくさせてくれる、彼女にしかできない、いつもの彼女の笑顔でした。
やっぱりマキは笑ってる方が似合っています。
彼女のセミロングの髪が揺れるのを見ながら、突っ込むのは明日でいいや、と思いました。
僕も立ち上がってため息をつきつつ、満月に向かって祈ります。
いつまでもマキが心から笑っていられますように、と。
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