第11話 僕の高校時代の話 その2
今日は前回の僕の高校時代の話の続きをしようと思います。
今回もタロットの話はまったく出てきません。
◇
文化祭が終わった数日後の放課後、僕は予備校に行くために教室を出ようとしたところでクラスメートの一人に呼び止められました。
「ちょっと、ゆうすけ君。文化祭に来てたあの子何なのよ」
「いや、だから彼女だって」
「あーちゃんはどうしたのよ、あーちゃんは! かわいそうじゃん、あーちゃん泣いてたんだよ!」
そんなこと言われたって僕も困ります。そんなの百パーセントあずさの自爆です。
「今日だって、あーちゃん、すぐ帰っちゃったし。ホント見損なったよ。ゆうすけ君、そんな男だと思わなかった」
もう、なんというか……。流れ弾に当たったというにはあまりにも理不尽な風評被害です。僕は怒るクラスメートに向かって肩をすくめます。
「一応、言い訳させてもらうとな。最初から片桐とはなんの関係もなかったんだって」
「そんなの知らない! もう、ゆうすけ君、サイテー!」
クラスメートの女子は僕をキッと睨んで行ってしまいました。僕はため息をついて教室を後にします。
どうしてこうなっちゃたかな。
でも、僕にできる手段なんて他になかったと思います。あのままなし崩しに、校内ではあずさが彼女、予備校ではさっちゃんが彼女、という二重生活を続ける、という考えも頭をよぎらなかったかと言えば嘘になります。むしろそれが一番丸く収まっていたような気もしていました。
校門を出てしばらく進むと少し大きな公園があります。バス通りに出るには中を横切って行くのが早いので、僕は公園の中に足を踏み入れました。
季節は梅雨のはずですが、今日は爽やかに晴れています。
噴水の横を抜けて、バス通りへ続く木立の道の両脇に並ぶベンチ。そのうちの一つに座るうちの学校の制服の女子。
ベンチに腰かけていたのはあずさでした。僕はそこに彼女がいるのを予感していたのかもしれません。僕は黙って通り過ぎようか、それとも―――高二の春の時のように声を掛けようか。一瞬躊躇しました。
「ねえ」
先に声を掛けて来たのはあずさでした。彼女はベンチに座ったまま顔を上げて、固い表情で言いました。
「文化祭の時のあの子がゆうすけの彼女なの?」
「うん」
「付き合い始めたの、パーカー貸してあげたのがきっかけだったんだって?」
「……うん」
「……そう」
僕はあずさの隣に腰掛けました。そのまま通り過ぎるべきだったのかもしれません。
「わたしにも……ハンカチ貸してくれたのに、……それはきっかけにはならなかったんだね」
あずさはそんなことを言って、顔を伏せてしまいました。
―――お互い興味も関心もなく、二年間で交わした四百字にも満たない会話。
その四百字にも満たない会話のほとんどは高二の春に、この公園のこのベンチで交わしたものでした。
高二の四月の花冷えのするある日、あずさは例によって男子生徒からの告白を断った直後、この公園のベンチに佇んでいました。一人で、ぽつんと。
午後からの委員会のために、バス通りのコンビニで昼食を買って学校に戻ろうとしていた僕は、偶然そのシーンを目撃してしまいました。正確に言うと、男子がベンチから離れて行くのが遠巻きに見えただけでしたが、それだけで何があったかだいたい分かってしまったのです。
僕は、余りに儚げで辛そうなあずさの様子を見過ごせませんでした。彼女の隣に黙って腰を下ろします。今思えば親しくもないのによくそんなことができたな、と思います。
「飲む?」
僕は持っていたお茶のペットボトルを差し出しました。
「……ゆうすけ君? ……ありがと」
あずさはため息とともに緩慢な動作でキャップを開けて一口飲みます。
「肉まんもあるよ。食べる?」
「……うん。ありがと」
せっかく買ってきた昼食をなぜあずさに与えようとしたのか、自分でも理解できません。
あずさは素直に肉まんが三つ入った包みを受け取ると、一つでいい、と言って残りを僕に返しました。
「……大変だな。モテるってのも」
「……わたしね、友達作るの、すごい下手みたいなんだ……」
あずさは桜の木の向こうの空にぼんやり目をやりながらひとりごとのようにつぶやきます。そりゃ、お前が悪いよ、とはあまりに儚い表情のあずさに僕は言えませんでした。このころから僕はヘタレでした。あずさは肉まんの底の紙をめくって一口かじって言います。
「男の子はみんな、友達を飛び越えて、すぐ付き合おうって話になっちゃう。知り合いの次がすぐ恋人っておかしくない?」
あずさには悪気はない。彼女はもともと対人距離が近い、近すぎる子だったんです。初対面でもするっと懐に入り込んで、ごく近い距離で接することができる。それは彼女の持つ立派なスキルの一つだったとは思います。
ただ、思春期の男子にそのスキルを発揮するのは少々気を付けるべきでした。あずさと少し親しくなった男は、その対人距離の近さをみんな盛大に勘違いしました。一人残らず、です。
高一の時に何人もの彼氏候補が浮かんでは消えたのは、その勘違いをした男たちがいざ正式に付き合おうという段になって、あずさから拒否された結果だったのです。
悪気はなくても褒められたことではない。むしろあずさが非難されても仕方ないかもしれません。あずさに付いて回った「男癖悪い」という評判は、この時勘違いした男たちの逆恨みから出たものだ、僕はその時、そのことを、彼女の苦しげで儚げな表情から理解したのです。
「またわたし、友達を一人減らしちゃった……」
そういうとあずさは唇を噛みました。瞳に涙がたまって行きます。彼女は彼女なりに傷ついていたんです。高二になったばかりの僕は黙ってハンカチを貸してあげるしかできませんでした。
「次からもう少し気を付ければいいんじゃないかな」
僕はあずさの頭に軽く手を置いて、そのさらっとした髪の毛を撫でて立ち上がります。悩みのレベルが違いすぎてこれ以上あずさに話せることはない、そう思いました。
「片桐が『友達じゃなくて、それ以上の関係を望む男』が現れるまでね」
そして僕は「じゃ、俺学校に戻るから」と言ってその場を離れたのでした。
―――そのことがあってから一年と少し。
あずさはあの時の儚い表情ではなく、切ない表情で僕を見つめます。
そして、また目を伏せました。
再びゆっくり顔を上げたあずさは、何か決意したかのような表情で僕に近づくと、不意に唇を重ねてきたのです。時間にすれば一秒もなかったかもしれません。でも硬直した僕にはそれはとても、とても長い時間のように感じました。
顔を離したあずさは僕のことをあふれるぐらいの悲しみを湛えた瞳で見つめて、こう言いました。
「ゆうすけの彼女、……かわいい子だね。……大事にしてあげてね」
高三の四月からのあずさの一連の行動、僕はそれを何人もの男に勘違いさせた例のスキルの発現だと思っていました。僕は勘違いなんかしないぞ、そう最初から身構えていました。でもそれは僕の大きな、あずさにとっては悲劇的な思い違いでした。
―――こいつは本気で「友達じゃない、それ以上の関係」を僕に望んでいる。
僕はそのことに気づかざるを得ませんでした。
でも、だからって、僕に何ができるって言うのでしょう。ここであずさに心を揺らすこと、それだけはしてはいけないことだったのです。あずさが本気であればあるほど、僕はさっちゃんのために、あずさを嫌いにならないといけませんでした。間違って僕があずさを好きになってしまう前に。
それほどまでにあずさは魅惑的だった、それは確実に言えることでした。
―――せめてさっちゃんのことを悪く言ってくれれば、心からあずさを嫌いになれたのに。
―――あんな子の何がいいのと悪しざまに罵ってくれれば、本気で嫌いだと言えたのに。
僕にはこう言うしか選択肢はありませんでした。
「片桐……、俺は片桐のことが……嫌いだ」
◇
「……とこういうことがあったんです」
僕は仏頂面のまま麻衣子先輩に言いました。
麻衣子先輩は茶化してくるかと思ったら、真剣な表情で僕の話を最後まで聞き、ゆっくり口を開きます。
「あなたたち……、ゆうすけクンも、片桐さんも、さっちゃんも、本当に不器用だったのね」
……まったくそのとおりだと僕は思いました。少なくとも現状を見るに、三人とも幸せにはなっていません。それは悲しいぐらい厳然とした事実です。
「でもその話を聞くと、タケシくんの引いたこのカードの読み方を少し変えないといけないかもね」
先輩は手元に広げたスプレッドの、女帝の
「多分タケシも勘違いしただけだと思います。肉体関係と読みましたけど、手をつないだとかそんなレベルですよ、きっと。童貞丸出しですもんね、あいつ」
「ふふふ、私もそう思うわ。相当舞い上がったのね、タケシくん。この塔のカードはタケシくんが刺されるんじゃなくて、タケシくんの方が暴力を振るうニュアンスになっちゃうわね」
「ああ、確かに。暴力を振るうっていうか、本当に襲っちゃうイメージですね」
もし、あずさが昔のような近接攻撃をタケシに仕掛けたのだとしたら、一瞬でタケシの脳内フェロモンが限界突破するぐらい上昇したのは容易に想像できました。というより、それしか想像できません。
「まったく、片桐はまだそんなことしてたのか、ホントに」
救えないな、と僕は思いましたが、言葉に出さずに飲み込みます。そんなことしても結局傷つくのはあずさ自身だってまだ気が付かないのか。
「それで、ゆうすけクンは今はどう思っているの? 片桐さんのこと」
これは「今は」の前にあるべき「さっちゃんと別れた」という言葉をあえて省略した質問でした。僕があずさを嫌う根拠はさっちゃんという彼女がいたから。さっちゃんと別れた今、あずさを嫌う根拠はなくなっているのではないのか。麻衣子先輩は僕にそう問うているのです。こういう意地悪な質問をする麻衣子先輩、心からキライです。
「今でもキライです」
僕はそう即答しました。
「そうなの? 意地張ってても誰も幸せになれないわよ? 一度片桐さんと会って話してみたら?」
「先輩、俺の言ったこと聞いてました? 俺は片桐がキラいなんです!」
僕はムキになって先輩に反論しました。
でも、先輩に問われずとも、自分の中でそれは何度も考えていたことでした。
もし、さっちゃんにパーカーを貸したあの日、雨が降っていなかったら。
もし、あの日、さっちゃんが傘を忘れていなかったら。
もし、予備校の暖房がもう少し強くかかっていたら。
もし、他の誰かがさっちゃんに先にタオルを貸していたら。
―――そうしたら、今、僕の側にいるのは、誰だったんだろう。
そんな「もし」を今ここで考えても、誰にとってもなんの得にもなりません。
「……分かったわ。もう言わないから」
麻衣子先輩はそう言ってカードを片付け始めました。なんとも例えづらい表情の微笑みを僕に向けています。
先輩は最後のカードをポーチにしまうと、今度はいたずらっぽい笑顔を僕に向けて言いました。
「要するに、ゆうすけクンが女たらしなのが全部悪いってことね。ここは罰としてゆうすけクンが払っておいてね」
……麻衣子先輩、ひどい……。
先輩のそういうところ、とってもキラいです。
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