第5話 「15 悪魔」のカードの話 (15悪魔)
今回は、カードにまつわる話を一旦置いておいて、さっちゃんの話をしようと思います。
ここまで意図的にさっちゃんの話は避けてきましたが、ここからはそういうわけには行きません。今回はタッロトカードの話はほとんど出てきませんが、そこはご容赦ください。
◇
さっちゃんは僕たちの地元では有名な難関女子校に通っていました。僕は普通の公立高校の出身です。高校三年生になって受験のために通い出した予備校で僕たちは出会い、四月の冷たい通り雨に濡れて予備校で震えていたさっちゃんに、たまたま持っていた買ったばかりのまだ値札がついてるユニクロのパーカーを僕が貸してあげたことがきっかけで、僕たちは付き合い出しました。
さっちゃんはとてもまじめで、物語を書くのが好きな大人しい女の子でした。成績は抜群で、予備校に通う必要なかったんじゃないかとも思いました。聞くと地元から離れた大学の文学部を目指しているそうです。
僕は割と必死に勉強して、彼女と同じ大学に進学しました。そして春になって二人で大学の校門をくぐったのでした。
四月の講義が始まってすぐのころ、待ち合わせをしていた文学部の建物の前に行くと、さっちゃんは二人の女子学生と話をしていました。どちらかというと人に話しかけるのが苦手なさっちゃんがもう友達を作ったんだ、と珍しく思っていると、彼女は助かった、という顔で僕に向かって手を振ります。さっちゃんは文学部の二年生の女子学生二人に捕まってサークルの勧誘を受けていたのでした。
この時の二人のうち、長髪で切れ長の目が印象的な、落ち着いた雰囲気の女の人が麻衣子先輩、セミロングで大きな目の小柄で活発な女の人があゆみさんでした。
「すみません。私、旅行あんまり好きじゃないし、音楽にも疎くて……」
「そっかあ、残念。そちらの方は彼氏さん? キミも一年生? どうかな、旅行と音楽のサークルなんだけど」
「すごい興味あります。俺好きなんです。旅行も音楽も」
「ホント? あ、是非入って! 是非入って! 海外旅行して海外の街角で日本のうた歌ったり、逆に海外の民族楽器買ってきて学祭で演奏したりするの。楽しいよ?」
主にマシンガントークで勧誘文句を並べたのはあゆみさんです。さっちゃんはまったく興味なさそうでしたが、もともと音楽が好きで海外旅行にも行きたいと思っていた僕は、いきなりドストライクな活動内容のサークルに心奪われていました。
「ちょっと入ってみたいかもしれないです」
「きゃー、麻衣子! やったよ! 新入生ゲットだよ! キミ、名前は? 名前は? 文学部なの?」
「法学部のゆうすけっていいます」
「あのね、あのね、三号館に食堂あるでしょ? あれの地下がサークル控室になってるの。毎週火曜日の十六時から例会なんだけど、いつもたいてい誰かがいるから。これから行ってみる? 行ってみる? じゃあ、行こうか!」
あゆみさん、声デカすぎ。しかも早口すぎ。これはさっちゃん辟易しただろうな、と思いました。しかもあゆみさんは人の返事も聞かずに、僕の腕をつかんで三号館に向けて連れ去ってしまいました。
残されたさっちゃんと麻衣子先輩は、後で聞いた話ですが、やれやれという感じで行きがかり上二人で例の喫茶店に行ったそうです。この時、本格的に物語を書いてみたい、とさっちゃんが言ったのを聞いて、麻衣子先輩は先輩の知り合いが所属している文芸サークルを二つさっちゃんに紹介してくれました。一つはミステリーと本格文学系、もう一つはラノベ系の文芸サークルだったそうです。とりあえず両方行ってみて雰囲気が気に入った方にすればいいよ、という麻衣子先輩のアドバイスを聞いて、半月ほど両方の部会に顔を出したさっちゃんは、最終的に本格文学系のサークルに入ることにしました。
後にその話をさっちゃんから聞いた僕は、麻衣子先輩って、口数の多い人には見えないのに妙に知り合いたくさんいるんだな、と思いました。それよりも、さっちゃんがいろいろ相談できる先輩ができたのを嬉しく思いました。
話をさっちゃんに戻します。
僕はさっちゃんの書く物語を読むのが高校時代から好きでした。将来は作家になりたい、それでなくても何か文章を書く仕事に就きたい。入試も終わった春休みに彼女はそういうことを明るい笑顔で言っていました。
さっちゃんはとても「悲しい話」を書くのが上手で、ありとあらゆるテクニックを駆使して僕を泣かせに来ました。その展開を考える物語の構成力と冴えわたる情景筆致は、プロの作家さんにも負けていなかったと今でも思います。今、僕が書く「悲しい話」は、百パーセント当時のさっちゃんの影響を受けているはずです。
ところが、彼女は逆に「楽しい話」がまるで書けないという、プロの作家になるにはある意味致命的な弱点を抱えていました。彼女が書く「楽しいシーン」は登場人物が全然楽しそうじゃない。それを指摘するべきかどうか、高校生の終わりぐらいから僕はずっと迷っていました。しかしやっぱり、真剣に物語を書く訓練を積んでいるさっちゃんに向かって、ド素人の僕が口出しするのは憚られました。
彼女は、ある日僕が遊び半分で一晩で適当に書いたハチャメチャ系ラブコメを読んで「なんでゆう君、こんな楽しいお話しがいきなり書けるの?」と真顔で聞いてきたことがありました。その表情に嫉妬に近い感情が浮かんでいるのを僕は見てしまったのです。そんなの勉強して書けるようになるもんじゃありません。
僕は彼女が楽しい話を書けない理由には、なんとなく見当が付いていました。彼女は根がまじめすぎたんです。楽しいってなんなのか。そもそも彼女はそれを良く知らなかったんだと思います。
ただやっぱり、付き合っているのなら、いや恋人同士であったならばこそ、僕はさっちゃんに言ってあげるべきだったのかもしれません。
さっちゃんはゴールデンウィークを過ぎるとすっかり大学生活のペースをつかみ、近くのパン屋でアルバイトを始めました。こういう所はまじめな彼女らしいです。一方僕の方はと言えば、毎日根無し草のように遊びまくっていました。大学でできた友人達はみんな強烈な個性を持っており、高校とのスケールの違いを感じずにはいられません。
新しい学校、新しい友人。そして新しい環境。
季節が夏になるころ、だんだん僕の中にその心境は芽生えてきていました。
―――さっちゃんと一緒にいない方が楽しい……。
僕はその心の声に対して、これはノイズだ、絶対これに耳に傾けてはいけない、とずっと全力で、抑え込むようになっていました。
◇
僕がタロットを習い始めてしばらくたった九月の中ごろの話です。
僕は喫茶店でカードを見ながら本でその意味を確認していました。テーブルの向かいには文庫本を読みながら優雅に紅茶を飲んでいる麻衣子先輩。
悪魔のカードを見ながらその意味を確認していると、麻衣子先輩が文庫本に目を向けたまま僕に言いました。
「ゆうすけクン、悪魔のカードの意味、なんて書いてある?」
どうして麻衣子先輩は文庫本読んでるのに、僕の見ているカードが分かるんだ。この人やっぱりヤバくね? と思いました。
「誘惑、嫉妬ですね。あれ?
「うん。それでだいたい合ってる。悪魔のカードが表すのは『人間の
なるほど。
具体的なカードの読み方に先輩がアドバイスをくれるのは珍しいことでした。
「ただね。
僕の見ている解説本には正位置でも
「私は、悪魔の
僕は思い当たる節があってどきんとします。麻衣子先輩は相変わらず文庫本に目を向けたままこう続けました。
「……恋愛を占ってるとよく出てくるよ」
この人は多分、僕の心の声、『ノイズ』に気が付いている……。
僕は、麻衣子先輩に見透かされた心境の持って行き場がなくて、悪魔のカードをただ見下ろしていただけでした。
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