第22章

 あたしたちを乗せたバンは、一路、二十三区内を目指して一時間ほど東へと進み、西早稲田にある早稲田大学理工学部のキャンパスへとやってきた。タカシくんが出る国際学会は、ここの校舎の一つで開かれるんだってさー。ちなみに、バンの前後には、「がくはん」の護衛が乗った乗用車が数台、いかにも関係ありませんてな雰囲気で、ときどき車列を入れ替えたりしながらも、ぴったり張りついて並走中。


 早稲田と一口に言っても相当広い。早稲田大学のキャンパスも二つに分かれてて、高田馬場にあるメインキャンパスと比べると、西早稲田の理工学部キャンパスは、鉄筋打ちっぱなしのめっちゃモダニズムな校舎がででんと並んでて、良く言えば機能的、悪く言えば寒々とした感じの場所だったりする。だいたい、歩いてるの真面目そうな男子学生ばっかだしなー。オシャレしたお姉さんたちが大勢歩いてる、メインキャンパスのある高田馬場とは大違いなんでやんの。


 それにしても、まだ朝も早いっていうのに、やたら人が多いなあ。


 と思ったら、なんか、今朝に限って、おじさんたちがあっちこっちに立ってるよ、それも国際色豊かな感じで。


「うわー、なんじゃこれ」


 バードウォッチング用の双眼鏡を手に、キャンパスの手前に止まったバンから降りるなり、双眼鏡であたりを見回して、あたしは思わず溜息をついてしまった。表通りやキャンパス内のそこここに立つ、あのおっさんもこのおっさんもそのおっさんも、どう見ても学会に出席する人じゃないでしょ。


 ちなみに、外国勢はみんな上品でやたらお高そうなスーツ姿、日本勢は反対にやたら安手の背広という格好で、外国勢は人目を気にしてないけど、日本勢はやたらコソコソしようとして見事に失敗している。差、つけられてんなあ。とほほ。


「壮観でしょー」


 あたしの後ろからバンから降りてきたせっちゃんが、横に並んで溜息まじりでそう言った。


「どうしました?」


 池端さんに付き添われてバンを降りてきたタカシくんも、まわりを見回しながら聞いてきた。


「世界中の諜報機関の皆さんが西早稲田に大集合中なのよねー」


「でもって、日本の皆さんも大騒ぎ。警察だけじゃなくて、公安調査庁、外務省、防衛省と、そこらじゅうの組織が出動かけちゃってて」


 あたしとせっちゃんが交互にそう言うと、今度は池端さんが、


「というブリーフィングは受けてたけど、外人さんたち、やけに目立ってないかい? スパイのくせにこんなあからさまでいいわけ?」


 と無邪気な口調で聞いた。なんとかわいー二十七歳! そりゃ高校生で通るわ! じゃなくて、言いたいことはわかります。わかりますよ。


「ま、どんなスポーツだって謎の大型新人が予告登板するとなりゃ、みんな様子見にくるわよ」


 と、せっちゃんが変なたとえをしてみせた。


「スカウトじゃねーから。要は謎の新兵器の偵察ってわけ。でもって、外国の皆さんは身バレ覚悟なんで、最初から身元バレてる有名人ばっか出てきてんのよ」


 どこの国の諜報機関も、こんなしょうもないことで、虎の子の秘密工作員の正体、一人でもバラしたくないもんね。絶対、日本の警察も諜報機関も来てるわけだから。おかげで部下を出せずに自分が来る羽目になっちゃって、どの業界も中間管理職は大変だ。


 あたしの言葉にタカシくんが首をかしげた。


「有名なスパイって。007ですか」


「どこの国の大使館にも顔バレしてるスパイの親玉はいるのよ。実際の工作員たちを指揮してる人。ハンドラーってやつ?」


 せっちゃん、専門外にしては手堅い解説ありがとう。


「あと、本国との連絡係としてもうハナから怪しまれるの承知で来てる人とかね」


 外交官、それも偉い方は「外交特権」つう切り札も持ってるしね。だから皆さん、良い服着て余裕かまして立ってるわけですよ。知らねーぞ、昨日のロボが出てきて銃乱射しても。


 てなことを思いつつ、あたしはもう一度まわりを見回した。


「それにしてもおまわりさんは少ないね」


 あたしが言うと、せっちゃんが溜息をついた。


「アンダーソン博士が狙われてるのは極秘事項だからね。派手に警戒して、騒ぎを起こしたくないってわけ。その分、私服が山盛り来てるわよ」


「治安維持のためには、民間人の危険は覚悟の上ですか。これだからお上のやることは」


「昨日も話したでしょ。アメリカ大統領が来てるって。今日は晩餐会だってんで、おまわりさんたちはそっちの警護で忙しいのよ。だいたいあんたも公務員でしょーが」


「あー、迎賓館だっけ。つか、給料分は働いてるよー。……しっかし、日本に駐在してる偉いさん勢揃いな感じよねー。アメリカ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮は当然として、イスラエルのモサドまで来てんじゃん」


「あんまり聞きたくないんだけどさあ。ひかり、あんた、なんでそんなに余所の国のスパイの顔知ってんの?」


「蛇の道は蛇。てか、知り合い混じってるし」


 ロシアのピョートルじいさんを見つけたあたしは、双眼鏡を眼から離し、ついつい手を振ってしまった。あたしと視線が合ったじいさん、苦笑いしながら、ゆっくりと向きを変えて歩き去っていく。悪いことしちゃったかなー。


「あれ、ロシア大使館の駐在武官じゃない?」


「せっちゃん、よく予習してきたねえ」


「してきたねえ、じゃない。どーゆー知り合いなのよ?!」


「中二の時、ロシアとカザフスタンの国境で、KGBとちょっと揉めちゃって。その時、パパに頼まれて仲裁に来てくれたんだよね、あのじいちゃん」


「何で揉めたんだか。てか、女子中学生がそんなとこで何してたわけ?」


「話長くなるけど、聞きたい?」


「絶対イヤ。……もう慣れたけど、真宮ひかり、マジおそるべし」


 怪獣みたいに言うなよー。


「……ありゃ? MI6はいないのかな?」


 あたしのつぶやきに、せっちゃんは、


「イギリスさんは様子見してるっぽいんだって」


 と答えた。


「さすがは世界一の古狸。てか、誰に聞いたの、それ?」


「ボス。なんか昨日は内調さんの仕切りで緊急の合同情報会議が開かれて、うちのボスも呼び出し食らったんだって」


「合同会議ねえ。なんだっけ? 日本版NSCだっけ?」


「国家安全保障会議? んなもん、総理やら大臣やらぞろぞろ出てくるところに、ぶっつけ本番で顔出すタマですか、どいつもこいつも古狸だってのに」


「うげげ。お偉いさんに報告する前にみんなで根回しですか。日本人らしー。つうか、みなさん仲良いんだか悪いんだかねえ」


「ねえ。……じゃなくて、あたしら、護衛対象連れてんだから、スパイ見物なんかしてないで、とっとと会場入ろうよ」


 そう言って歩き出そうとするせっちゃん。気が早いよ。


「ちょい待ち」


「何よ?」


「あの透明ロボが今日も来てたら、へたに屋内に入った方がヤバいって。もうちょいまわりチェックさせてよ」


 あたしがそう言うと、タカシくんが感心したように、


「実はロボがいないか確認してたんですね。さすがー」


 と声を上げた。もっと言ってもっと言って。誉めると伸びる子なんで。


 透明だつっても、隠しとける場所は限られてるからねー。最初から見つける気でチェックすりゃ、見つかるだろうと思って、ロボが待機してそうな場所、双眼鏡でチェックしまくってたってわけ。スパイのおじさんたちの生態観察は、あくまでおまけよ、おまけ。


 そこへ、


『こちら31。怪しい熱源は見つからない。可視光だけじゃなく、赤外線も隠せるんなら、どうにもならんが』


 と、バンに残っている立川さんからの連絡が、左耳のイヤホンから聞こえてきた。バンに積んでる機材で、会場周辺を調べてもらっていたのだ。


「45から31。りょーかいでーす」


 やっぱあのロボ、赤外線じゃ検知できねーってかー。めんどくさいなー、もう。しゃーない。今んとこ肉眼でも確認できてないし、敵さんの要求通り、学会発表といきますか。ま、あたしらは横で見てるだけだけど。って、あれ?


「なんでみんな、あたしから距離取ってんのよ?」


 あたしがロボ探して双眼鏡でまわりを再確認してるあいだに、三人とも私から数メートルも離れたところに移動してんでやんの。


『だって、あんた目立ってんだもん』


 せっちゃん、露骨にこっち見ないようにして、無線のマイクにささやいてるし。


『工学部の校舎、セーラー服の女子が歩いてんだもんなあ』


 と、こっちは池端さん。


『しかも、でっかい双眼鏡持って。野鳥の会の人?』


 こら、なんか笑ってないか、せっちゃん。


「しょーがないでしょ、これしかなかったんだから! てか、ジャージの人に言われたくない!」


『大学の体育教師ってことで、よろしく』


「無理筋すぎる……。てか、護衛が護衛対象から離れちゃったらマズいでしょーが!」


 せっちゃん、タカシくんの肩持って、ニコニコ笑ってやがる。てか、天才少年。てめーも苦笑いしてんじゃねーよ。


『大丈夫。何かあったら博士は私たちが身を挺して守るから。あなたは安心して迎撃に専念して』


『がんばれ、遊軍』


 池端さんがそう言った途端、立川さんが噴き出す音が聞こえた。


『すまん』


 いや、すまんじゃないでしょ、立川さん、すまんじゃ。


 くそー。あんたらなー。いつかシメる。絶対シメたる。

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