第16章

 深夜の校内には誰もいない。昔は先生が宿直するとか、警備員が常駐するとか、そういうこともあったらしいけど、今は人件費削減とかもあって夜間警備は無人化されている。世の中景気が悪いとせちがらいよねー。つっても、日本の景気が良かった頃って、全然知らないんだけどさ。


 んなことはさておき、校舎のドアに駆け寄ると、あたしは財布から文科省の身分証を取り出した。昼間せっちゃんが空港で見せてた、部署名と役職名が全然書かれてない「がくはん」専用のヤツね。当然、あたしも持ってるわけ。でもって、この身分証、ICカードになってて「がくはん」施設の電子ロックのドアを出入りできるようになってる。つまり、うちの学園内のドアも通れるわけ。もちろん、先生たちのほとんどはあたしがそんなもん持ってるなんて、全然知らないけどね。


 そんなわけで、身分証でドアの鍵を開けると、あたしはタカシくんの手を引いたまま廊下を突っ走り、一目散に奥の部屋へと駆け込んだ。


「ここは?」


 タカシくんがまわりをきょろきょろ見回した。


 白で統一された室内に、カーテンで仕切られた簡易ベッド二つ、そして薬品棚等々、誰でも一目でわかりそうなもんだけどにゃー。部屋の主であるせっちゃんの趣味で、よくわかんないゆるキャラグッズがそこらじゅうに転がってるのはどうかと思うけど。


「保健室よ、保健室。アメリカの学校にだってあるでしょ?」


「うちの大学には医学部の病院がありますけど……」


「誰が大学の話をしてますか。まあいいや。とにかくそこのベッドに座って」


 あたしは、部屋の隅のほうにある簡易ベッドを指さした。


「ここに隠れるんですか?」


「いいから、早く!」


 タカシくんが不思議そうな顔のままベッドに腰掛けると、あたしはそのすぐ隣に立ち、ベッド脇の隠しスイッチに「がくはん」の身分証をかざした。


 とたんに、かすかな機械音と共にベッドがその周囲の床ごと地下へと沈み始めた。


「うわっ」


 タカシくんが慌てて腰を浮かし、まわりを見回す。


「見よ、「がくはん」の科学力!」


「な、なんかいきなりスパイ映画みたいになってきましたね」


 なんとゆーしょうもないリアクション。もうちょっと豊かな感情表現はできんもんかね、天才くん。てか、もうちょっと感動しなよ。


 ベッドは地下十数メートルまで降下して停止した。


「こっち!」


 ベッドの向こうには数メートルほど狭い通路があり、いかにも頑丈そうな鋼の扉へと続いている。


 あたしは扉のそばに駆け寄ると、またも「がくはん」の身分証を扉横の壁にかざした。


 すると、壁面に小さなキーパッドが浮かび上がった。


 手早く、今週の暗証番号を打ち込む。


 鈍い音と共に、正面の扉が左右に開いていった。


 扉が開ききるのを待っていられず、滑り込むようにして中に入った。


 あたしが足を踏み入れると同時に、センサが働いて天井の照明が点き、スリープ状態だったすべてのシステムが再起動し始めた。


 とたんに、正面の壁面いっぱいに取りつけられた大型スクリーンにさまざまな情報が次々に表示されていく。その中には、学校および寮とその周辺に配置された監視カメラの映像や各種警備システムの情報などももちろん含まれていた。


 部屋の中央にはブリーフィング用の大きなテーブルとそれを囲むように置かれた椅子数脚があり、右手には作戦用の装備がぎっしりと詰め込まれたロッカールームが、左手にはここに籠もることになった場合のための居住スペースがある。


 これぞ、あたしとせっちゃんだけが現在使用している「がくはん」の涼風学園支部作戦室なのだった。


「学校の下に秘密基地とは。いよいよスパイ映画みたい」


 あいかわらずぼんやりした感想をつぶやいてるタカシくんをほっといて、あたしはスクリーン手前のコンソールに駆け寄り、非常時用の真っ赤なボタンを叩くように押し下げ、コンソール上のマイクをひっつかんで本部への直通回線のスイッチを入れた。


「こちら45! コードレッド! 護衛対象は無事! 敵は重火器で武装、最低でも二個分隊! 至急応援を請う!」


 スクリーン上に新しい窓が一つ開き、今年配属されたばっかの三桁ナンバーのにいちゃんの顔が映し出された。自衛隊のレンジャーかどっかから室長が引き抜いてきた筋肉野郎だ。いかにも着慣れてない感じの背広が筋肉でパンパンにふくれていて、とってもかっこ悪い。


『こちら本部。おい、真宮、今まで連絡もしないで、いきなり応援要請とはいい根性して……』


 おいおい、緊急警報送ってきた相手に説教始めたよ、このにいちゃん。


「コードレッドだ、つってんの! グダグダ言ってないでさっさと復唱!」


『おまえ! 何様のつ……』


 なんだ、この状況判断の悪さ。これだから実戦経験のないヤツはダメなんだよなー。


「真宮ひかり様だ! とっととこっちの指示を復唱して、当直中の実働部隊呼べ!」


 この新入りめ。歳は下でもこっちが先輩だっつの。ろくに場数も踏んでないくせに偉そうにすんなっての。


『真宮。それくらいにしといてやれ』


 画面の外から、聞き慣れた渋いじい様の声が聞こえてきた。


『室長!』


 驚き半分、不満半分の声を上げた当直のにいちゃんの脇から、白髪頭の爺さまが顔を出した。


 鋭い目つき、薄い口、きっちり刈り込んだ白髪、多くのしわが刻まれた彫りの深い細面の顔、そして、どんな時でも仕立ての良い三つ揃いのスーツをビシッと着込んだ痩せぎすの長身(あたしより背が高い)。


 目が合うだけでビビってしまいそうなというか、「謹厳」という言葉を絵に描いたようなというか、還暦なんかとうの昔に過ぎてるとは思えない迫力に満ちあふれたこの爺さんが、「がくはん」の室長、本道光太郎なんである。


 あたし、実は苦手なんだよなー、この爺さん。なんせ、仕事一筋半世紀とかそんな人だから、人生観が一致しないつうかね。


 若い頃は学生運動の闘士だったとかなんとかいう話もあるのが、どこでどうやって政府の秘密機関の長におさまって、普通の公務員の定年をとっくに過ぎてるのに、いまだにそのポストに居座ってるのか、考えるととっても恐いしなー。


「おりょ、こんな時間まで本部に詰めてたんですか、室長?」


『あたりまえだ。木島と高平は死亡、坂梨は重症、甘利は軽症で、二人とも入院、おまえはアンダースン博士と共に音信不通。家で寝ていられるわけがないだろう』


 室長の言葉に、あたしは思わず反応した。


「よかった。坂梨さんは生きてんですね」


『今のところはな』


 室長は重い口調でそう言ったが、少なくとも全滅じゃなかったんだと思っただけで、あたしはちょっと救われた気がした。あのときは逃げるだけで精一杯だったし、みんな生きてるとは思えなかったからだ。


『で、状況は?』


 そう聞かれて、あたしはようやくスクリーン上に映し出されている監視カメラの映像や各種警備システムの情報に目を向けた。まずいまずい。かなり焦ってる。落ち着け、真宮ひかり。

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