第15章

 屋上に出ると冷たい風がほおを打った。春先とは言ってもまだまだ寒いなあ。桜もなかなか咲かないわけだ。


 お、遠くからサイレンの音がする。パトカーと消防車がこっちに向かってるな。さすが日本の公共機関は優秀だ。


「こ、ここ、屋上ですよ!」


 あたしの背後で、タカシくんが今さらなことを言い出した。何だと思ってあとついてきたのよ。


「だからいいの! プロはまず下を固める。上に逃げるのはアマチュアだけ。普通、逃げ場はないもんね」


 そして、これまた当たり前だけど、建物に侵入しようとするとき、出口はすべて押さえておくのが鉄則だ。そして、同時に突入するのが常道ってヤツ。


 あの特殊部隊ごっこな連中が突入してきたら、寮はひどいことになる。その前にこっちが先に動かないと。


「だって、逃げ場ないじゃないですか!」


「備えあれば憂いなしってね」


 あたしは、屋上の隅にひっそりと置かれているロッカーに駆け寄り、電子ロックの暗号コードを打ち込んでドアを開けた。


 中には、スーツケース大の鞄のようなものがいくつか入っている。


「予備たくさん置いといて正解」


 そのうちの二つを取ると、一つをタカシくんに放った。


「開けて、中身を身につける!」


 そう言いながら、自分も鞄を開けて中身を取り出して拡げる。拡げたモノは、大きめのバックパックのように見える。それを背負って、身体の前のハーネスをかっちりと止めた。


 タカシくんのほうも、なんとかそこまではできたようだった。


「これって、もしかして……パラシュート、ですか?」


 おそるおそるといった様子で、タカシくんがあたしを見た。


「そのとおり!」


 あたしはタカシくんの手を取り、学園の方に向かって、屋上を歩いていった。


「いや、でも、この建物、四階しかないんですよ。パラシュートで飛ぶには低すぎるんじゃ……」


「だーいじょうぶ。低高度用だから」


「というか、どこにもパラシュートを開くためのヒモとかスイッチとかついてないんですけど……」


「だいじょうぶだって。オートで開くから」


 あたしは、タカシくんを縁にひっぱっていった。


 二〇〇一年にアメリカで起こった、9.11同時多発テロ(つっても、あたしはまだ生まれてなかった頃の話だけど)以来、アメリカをはじめとする各国で開発されたのが、この手の緊急脱出用パラシュートだ。経験のない素人でも使えるように、簡単に装着できること、自動でパラシュートが開くようになっていること、そして、なるべく自然に離陸地点から遠くに離れるようになっていることが、要求される条件だ。


 あたしたちが今着けているのは、そういった市販品を「がくはん」機材課がさらに改良したもので、四階くらいの、従来のパラシュートには低すぎるけど、素で飛び降りるわけにもいかない高さにもちゃんと対応できるようになっている優れものなのだった。


「うわあ、けっこう高いですね……」


「キミ、さっき低いとか言ってなかった?」


「いや、それはパラシュートで降下するにはという意味で……」


「はいはい、理屈はいいから」


 あたしは、タカシくんをドンと屋上から押し出した。あ、ちなみに、うちの寮の屋上には柵とかついてません。なんせ古いからね。


「どわああああああああ!」


 怒声だか悲鳴だかわからない声を上げながら、タカシくんは落ちていった。いや、すぐにパラシュートが開いて、学園の校庭のほうへと漂いだしたんだけど。


 そんな大声出したら、すぐ見つかるじゃん。この場合、そのほうが敵の注意が寮から逸れてくれて好都合なんだけど、キミ、一応護衛対象なんだから、そのへんのことも考えて欲しいものよ。


 あたしは軽くため息をついてから、屋上の床面を蹴って宙へと飛び出した。


 パラシュートが開いて、そのまま風に乗り、タカシくんのあとを追って校庭へと丘を降下していく。


 後ろを振り向いて、丘のふもとを見ると、敵がこっち向いて走ってきてるのが、丘の上で煌々と輝いている清風寮の明かりに照らされて、はっきりと見えた。非常灯だけじゃなくて、みんな起きるなり電気つけちゃったのね。


 明かりがつくわ、火災警報が鳴るわ、住人たちが表にわらわら飛び出してくるわ、パトカーや消防車のサイレンの音が近づいてくるわで、真っ暗な中、突入作戦をする目算が完全に狂った敵の皆さんは、それでも暗視カメラ外してつっこむのかどうか悩んでたみたい(一瞬でも悩んだ時点でプロ失格だとあたしは思うけどね。すぐさま突っ込むか、退却するか、二つに一つでしょ、やっぱ)だけど、さっきの声でこっちに気づいたのか、それともこっちを監視してたベースの連中が気づいて連絡したのか、わらわらとこっちを追いかけてきている。


 よしよし。これで、寮のみんなを巻き込まずに済んだ。


 つか、君たち、背後からの明かりに照らされて、丸見えだよ。


 あたしは両手でロープをつかみ、パラシュートを操作してくるりと全身で後ろを向くと、ロープから手を離し、ジーンズに差し込んであるガバメントを抜いた。


 追っ手の先頭の男に銃口を向け、胸元めがけて四、五発撃ち込む。せっちゃんやタカシくんたちの大好きなゴルゴ13とかなら全弾心臓に命中させるだろうし、心優しい日本の刑事ドラマの主人公なら腕とか脚とかに命中させて敵の動きを止めたりするんだろうけど、現実はそんなふうにはできていない。


 距離は遠い、こっちは揺れてる、武器は拳銃ときたら、弾をばらまいてみて、当たればめっけもんてなくらいだ。ダブルタップで急所を狙うとかなんとかってのは、シューティングレンジとかで得点競うんでもなけりゃ、あんまり意味ないと思うんだよねー。特に戦場じゃ、当たるかどうかより、自分が弾に当たらないことのほうが大切だもん。


 もちろん、当たらないよりは当たったほうがいいからね。だから、一番大きい的、つまり胸を狙ってはみたわけ。一発くらいは当たるだろうと思って。ま、要は足止めになりゃちょーラッキーってところ。


 そしたら、狙った相手は一度は倒れたものの、すぐに起き上がって、他の連中と一緒に歩き出してやんの。


 当たった、よねえ。効いてない?


 てか、上空から銃撃されたのに、皆さんおかまいなしでそのまま前進すか? マジか?


 あたしが今手にしてるコルトガバメント、制式名称コルトM1911は、一九一一年にアメリカ軍に正式採用され、八五年にベレッタM92Fが後継に選ばれるまで制式拳銃として使われ続けた名銃(あたしが持ってんのは一九二六年に改良されたM1911A1と呼ばれるタイプだ)で、今でも愛用者が多い。


 それはメカニズム自体の信頼性の高さと、使用している.45ACP、いわゆる45口径弾という大口径弾の威力の高さが評価されているからだ。装弾数こそ7+1発と今の基準では少ないけど、信頼性と弾の威力がそれを補っているわけ。


 その弾が効かないってことは、よっぽど高性能の防弾ベスト着てるってこと。こりゃアサルトライフルとかサブマシンガンとかの弾とかじゃないとダメかも。つか、貫通してないとしても、当たりゃけっこう衝撃あるはずなのに、根性だけは認めてやろう。


 しかも、バンバン撃ち返してきたよ! 明かりが連中の背後にあるから、こっちからは向こうは丸見えでも、敵からはあたしの姿はあんまりよく見えないはず。とはいえ、向こうはそれこそアサルトライフル。こりゃ、とっとと逃げるが勝ちだ。


 あたしは、ガバメントをジーンズに挿し、再びロープを引っ張って進行方向に向きを変え、さらに、パラシュートの帆を少し絞って降下速度を上げた。


 と思ったら、連中、あたしじゃなくて、パラシュート狙って撃ってたらしく、あっというまに帆に穴が何カ所も!


 そうですか。見えない的より見える的狙えってことですか。あくまでも基本に忠実なこって。


 おかげで、落下速度がぐんぐん速くなってきましたよ。てか、落ちてるし!


 あっというまに、先行していたタカシくんを追いぬいちまったい。


 校庭の地面がどんどん近づいてきた。やばいやばい。あたしは、身体をできるだけ縮め、着地の衝撃に備えた。


 足が地面に着くのを感じた瞬間、そのまま柔道の受け身の要領で、ゴロゴロと進行方向に転がろうとした。……けど、やっぱ足と肩を思いきり打ってしまった。いたたたた。


 痛みをこらえて何とか立ち上がろうとしていたら、あたしに追い越されちゃったタカシくんが、悲鳴だか何だかわからない声を上げてるのが背後から聞こえてきた。。


「うわー、落ちる、落ち、ぶつかるー!」


 落ちてくれないと困るでしょーが。


「足上げてお尻から! 初心者は危ないから足から着地しようとしな……」


 後ろ向いてアドバイスしようとしてたら、足から下りて思いきり前に転びましたよ、タカシくん。頭、強く打ってないといいなー。


 あたしは、痛みをこらえつつ、急いでパラシュートを脱ぎ捨て、タカシくんに駆け寄った。


「急いで!」


 うつぶせに地面に転がってうめき声を上げているタカシくんを引き起こし、手早くパラシュートを外すと、あたしは彼の手をひいて校舎に向かって駆けだした。

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