第8章
あたしは、タカシくんと彼の「友達」の待ち合わせ場所を、学園の最寄り駅(つっても、そこまでバスに乗って行かないとダメなんだけど)から数駅離れた、駅前の商店街に指定させた。ここは朝夕は乗り降りする人の数も多いし、人通りがいつも多くて、人目にもつきやすい。でも、その分人波にまぎれやすいから、万が一誰かに見とがめられても逃げやすいかんね。
誰かに狙われているときは、表に出るときはこういうところのほうがいいわけ。……というのは基本ルールだけど、いきなり空港のロビーにパワードスーツで突撃かけてくる規格外なヤツら相手に、基本が通じるかどうかは、実は若干心許ない。まあ、気休めでも何もしないよりはマシなんだい。
道々、あたしはタカシくんに、彼が狙われている理由について聞いてみた。なんせ、上からまわってきた資料には「差出人不明の人種差別的な脅迫状が、繰り返し送られてきている」としか書いてなかったんだもん。
なんでそれだけのことで、日米両国がきちんと警護体制を敷いたかというと、ひとえにタカシくんがアメリカの誇る天才の一人、それもまだ少年だからだって、せっちゃんが事前ブリーフィングで言ってた。
タカシ・アンダースンは、若干十一歳でアメリカ最高の大学の一つであるマサチューセッツ工科大学に入学、あっというまに学部を卒業どころか、十六歳で博士号を取得、今や、数学の世界における世界最高の賞(物理とかのノーベル賞みたいなもん)であるフィールズ賞も近々取れるに違いないと噂される天才数学者なんである。……と、これはあたしがネットで検索して調べたんだけどさ。
彼に送られてきていた脅迫状には、「有色人種の子供が、アメリカの金で教育を受け、褒めそやされているのは、逆差別だ」とか書いてあったらしい。
そこでまずは、
「奨学金でもたくさんもらってんの?」
と聞いてみた。
タカシくんの返事は、
「そんなには」
と、そっけない。彼に言わせれば、成績優秀な者がもらう常識の範囲内なんだとか。って、言われても、あたしにゃさっぱりわからんしなあ。
「やっぱ、その線はないかなあ。せっちゃんも言ってたけど、そこらのネオナチやら白人優位主義の人種差別団体やらが、あんなものすごいメカ持ってるとは思えないし。ほんとは何か別の理由があんじゃないの?」
「それって何ですか?」
「あたしが聞いてんのよ、あたしが」
いかにも、ボクは誰からも嫌われたことありません、みたいな顔してんじゃないっちゅーの。
「たとえば、古典的だけどライバルとかいないの? あんたがどんどん偉くなっていくのを『きーー、くやしーーー』とか思ってるライバルとか」
「そ、そんなことで、空港の真ん中で襲ってきたりしないんじゃないですか?」
「どんな動機でも、空港のど真ん中で襲撃してくるのは変でしょ、ふつう」
「なるほど」
納得してんなーーっ。
「そんじゃ、あんたの研究を横取りしたいとか、邪魔したいとか、そういうのは? なんかものすごく斬新な研究とかしてたりしないの?」
自分でも、かなり頭の悪いことを聞いていると思いつつも、さらにつっこんで聞いてみた。こうなりゃ意地だ。
「そんな、昔のスパイ映画じゃあるまいし。だいたい、今やってる研究は、個人的なものじゃなくて、知り合いのお手伝いみたいなものですしねえ……」
タカシくんは、空港から唯一持ってくることができたバックパックから、A4版くらいの大きさの紙切れを一枚取り出してあたしに手渡した。
「何これ?」
「明日発表する予定になってる研究の梗概です」
お、なるほど、日本語で何だかいろいろ書いてあるぞ。てか、字が小さすぎる。数式とかグラフとかも書いてあるけど、まるでちんぷんかんぷんだ。なんとか、タイトルだけでも読んでみたけど、
「……『情報空間上における流言飛語の生成から流布へ至るメカニズムの数学モデル化』? って、なんじゃらほい、それ?」
つか、何の呪文よ?
「元々は、知人の社会学者たちの研究グループに頼まれたんですよ。要するに、インターネット上でデマやウソ、噂といった不確かな情報がどんなふうに広がるかを、解析してみようということなんです」
「あー、最近多いもんね。掲示板とかソーシャルネットとかで、噂がパーッと広まるの。フェイクニュースってやつだ」
あたしは、自分の分かる範囲まで、タカシくんの話をなんとかかみ砕こうと努力してみた。は、話についてってやるぞ。
「でも、そんなのどうやって調べたの?」
「ぼくがやったのはあくまで数学的なモデル作りでしかないんですけどね。要は、ある程度の大きさのデータのネットワークを作って、そこに入力した変数がどんなふうに拡散していくかを計算してみたんです」
「ふうん。よくわかんないけど、それってほんとに現実と対応してんの?」
「痛いところをつかれちゃいました。そこを検証するために、今、ちょっと違うプログラムを作ってるんですけど……」
「けど、何?」
「なるべく現実のインターネットを模した環境に、ある情報を流して、それがどんなふうに伝わっていくか、シミュレーションしてみたいんですけど、それには、かなりの演算能力が必要で、なかなか実験できないんです」
なんかよおわからんが、結局、でっかいコンピュータが使えないんで、ちゃんとした結果が出てないってことか。
「いまいち、パッとしない話ねえ。それって、なんかものすごい大発見とかじゃないの?」
「いやあ、全然そんなものじゃ。最近はけっこういろんな人が手を出してますし」
「でも、キミってノーベル賞、じゃないや、フィールズ賞だっけ、それが取れるかどうかってレベルの天才くんなんでしょ?」
「フィールズ賞取れるかもとかって、一時噂になってたのは、三年前に発表した論文で、今やってる研究とは全然関係ないんですけど」
「はあ。……そういうもんなの?」
あ、思いきりため息をつかれてしまった。悪かったよー。そういうのはさすがに疎いんだよー。
「それに、今回は単独で講演したりとかじゃなくて、学会の研究発表しにきただけですから。国際学会だから、世界中から、それこそものすごい天才数学者の人たちが集まってきますし……」
「んじゃ、キミの研究発表を阻止する理由はないってこと?」
「だいたい、内容はすでに論文の形で発表してますしねえ」
そう言って、タカシくんはあたしの手元の梗概を見た。な、なるほど。
「それじゃ、キミの研究を止めさせたい」
あたしは、ダメ元でさらに食い下がってみた。
「うーん。主要なアイデアは全部論文に書いちゃったんで、ここから先は他の人が続けることもできるかと。実際、ボクにモデル化を依頼した社会学者の人たちも、それを元に自分たちでシミュレーションを始めてますし」
冷静かつ淡々と答えるタカシくん。
ウソついてるようにも見えないし、ダメだこりゃ。
「研究の線はダメかあ。もしかして、死んだお爺さんが莫大な遺産を残してくれたりしない?」
「父もボクも一人っ子です。てか、そんな遺産があったら、自分のお金でファーストクラスに乗ってますよお」
「あー、そですか」
んじゃ、なんであんな派手な方法で襲われたんだよ、キミは? てか、ダメだ。全然進展がない。こーゆーとき、情報担当つか頭使う派のせっちゃんがいてくれると助かるんだけど。なんせ、あたし、根っから筋肉使う派なんだよなー。
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