第7章

 あたしは、すばやく後ろを振り返り、両手を握りしめて祈るような姿勢で寮長を見上げた。まだ右手には唐揚げ突き刺した箸を握ったままだったけど。


「寮監さま! ちょうどお願いに行こうと思っていたところだったんです!」


「な、なんです、改まって」


「この子、甘利先生の遠い親戚で、今日アメリカから日本に来たばかりなんですけど、今晩泊まるところがないらしくて……」


「あ、甘利先生はどうなさったの?」


「実は、さっき先生から電話があって、今、病院だとか……」


「病院?!」


「急性盲腸で、これから手術しないといけないそうなんです」


 ごめん、せっちゃん。そういうことにさせといて。


「おやまあ、お気の毒」


 大山のおばちゃんがいかにも『かわいそうに』という表情でタカシくんを見つめた。ナイスフォロー、おばちゃん。


「それで、本当は自分のマンションに泊めるつもりだったんだけど、しばらく清風荘で預かってもらえないかと……」


 目を潤ませて寒川のばあちゃんを見つめてみた。


「寮監として、男子禁制の清風荘に、男の子を泊めることなど認められません。せめて男子寮の烈風荘とか……」


 お、効いてる効いてる。


「寮監さま! はるばるアメリカからやってきた甘利先生の親類を、ひとりぼっちで放り出したりなんて、わたしには……、わたしにはできません!」


「し、真宮さん……」


 寒川寮監は、困ったような顔であたしとタカシくんを見比べた。


「まあ、この子を烈風荘のバンカラどもの中に放り込むのは、ちょっとかわいそうじゃないかい?」


 大山のおばちゃんが最後の一押しをしてくれた。さすが人情家! つか、バンカラって何? どこの言葉?


「……いいでしょう。それじゃあ、空いている来客用の部屋を使っていただくということで……」


 ついに寮監が折れた。


「ありがとうございます、寮監様!」


「ただし、お風呂は最後にしてもらいますよ。他の寮生達との接触も控えていただきます」


「それはもう、もちろんです。ほら、あんたもお礼する」


 あたしは立ち上がると、横でぼーっと事態を見守っていたタカシくんの頭を叩いた。


 あわててお辞儀するタカシくん。ほんとに小学生みたいだな、おい。


「あ、ありがとうございます。タカシ・アンダースンといいます。よろしくお願いします」


「あら、外国の方?」


「父がアメリカ人で、ボクもアメリカ国籍なんです」


「まあまあ、それにしては日本語もお上手だし礼儀も正しくて、真宮さんにも見習っていただきたいものですわ」


 うわ、そーきたか。


「いや、ほら、あたしは外国暮らしが長かったし……という言い訳はもう通用しませんね。反省します。それはもう海よりも深く」


「わかっていればよろしい」


 ぐぐぐ、ここは我慢だ、ひかり。


「アメリカからって、もしかして、成田にいたのかい? よく無事だったねえ」


「へ?」


「ほら、さっきからずっとテレビでやってるよ」


 大山のおばちゃんはそう言うと調理台の上に置いてあったリモコンを手にとって、食堂の壁に掛かっている大型テレビのスイッチを入れた。とたんに、アナウンサーの声と共に、成田空港の到着ロビーの映像がテレビの画面に映し出された。


『……成田空港を襲ったテロリストグループは、到着ロビーで銃を乱射、さらには爆弾を爆発させたという報も入っており……警備にあたっていた警察官三名が死亡、七名が重軽傷という凶悪な……』


 うーわー、もろに空港でのバトルが監視カメラに映ってたか。つか、報道されてる負傷者が警官のみってことは、あたしたち『がくはん』の存在はもみ消したか。ま、おまわりさんたちにはかわいそうだけど、巻き添え食った民間人がいなくてまずは良かった……て、あれ?


「……なんだか、よくわかんないね、この絵」


 思わず私は首をかしげてしまった。


「そうなんだよねえ。なんかブレてんだわ」


 と、大山のおばちゃんがあたしの横にやってきて首をかしげると、寒川寮監までその隣に立って、


「ブレてるというより、ノイズが入ってません?」


 と首をかしげた。


「なんだかなー」


 テレビに映っている画像は、ピントがぼけているのとも、ブロックノイズが乗っているのとも違う、なんとも変なひずみがかかっていて、なんとなく何が起こっているかがわかる程度で、人の顔や服装などは全然クリアに見えていなかった。おかげで、あのロボットだかパワードスーツだかも、はっきりと映ってなくて、なんだか大きな人がライフルらしきものをふりまわしているようにしか見えなかった。


「成田の警備体制はどーなっとるんだか。仮にも日本の表玄関だっちゅーのに、監視カメラもまともに動いてないのは問題ですのお」


 と、日本の明日を嘆いてみせたら、寒川寮監にポカリと頭を叩かれてしまった。


「い、痛いよ、寮監さま。ちょっと良いこと言ったつもりだったのにー」


「その教頭先生の物まね、いい加減にしないとご飯抜きますよ」


「……す、すいません」


「まあ、言ってることは一理あるけど、あんたが心配するようなことじゃないわね、ひかりちゃん。あと、教頭先生の物まね、あんま似てないよ」


 大川のおばちゃんが笑いをこらえながらそう言った。えー、自信あるんだけどなー、この物まね。


 ま、なにはともあれ、現場の映像がこの調子ならあたしたちのメンも割れてなさそう。


『……警視庁に届いた声明文によりますと、「ホワイト・アメリカ」と名乗るテロリスト・グループは、今日アメリカから来日した数学者を「アメリカの知的財産を日本に売り渡そうとするスパイ」として処刑するために成田空港を襲ったとのことです。この数学者の身元および安否などは、いまだ公表されておりません……』


 と、ニュースキャスターも言ってるし、とりあえずセーフってとこかな。


「まあ、何にしても巻き込まれなくてよかったよ、タカシくん……」


 そう言って、タカシくんに話を合わせてもらおうと振り向いたら、


「……うん。うん。じゃあ、六時頃に」


 って、ご飯も食べずに携帯で誰かとしゃべってるよ、このセンセー! バカ? もしかして、専門バカってやつ?


「ちょ、あんた、何やってんのっ?!」


「え?」


「え、じゃない! ちょっとこっち!」


 あたしは、ぽかんとしてるタカシくんの腕を取って立たせると、これまたぽかんとしている大山寮母と寒川寮監に愛想笑いをふりまいて煙に巻きつつ、食堂の外の廊下へと連れ出した。


「と、友達と約束していたもので……」


 おどおどとタカシくんがあたしを見上げてくる。ええい、うっとおしい。


「今の状況がわかっとんのか、キミは?」


「まずかった、ですか?」


「まずいに決まってるでしょ! せっかく隠れてんのに!」


「でも……ずっと前から約束してて……何年も会ってない友達で……」


 子犬みたいな目でこっち見るなああああ。


「だあああ。わかりました。わかりましたともさ。んじゃ、せめて、待ち合わせ場所はこっちで指定させて」


 あたしは、ここからサクッと行ける範囲で一番マシ、いや、一番安全そうな場所を頭の中で検索し始めた。


 そしたら、タカシくんが一言、


「彼の家に行くことにしていたんですけど、ここに来てもらいますか?」


 と、つぶらな瞳でおっしゃってくれました。


 人が頭を悩ましてるときに、そーゆー間抜けなことを言いますか、おい。


「あんた、ほんとに天才少年なの? それともフェイスブック作ったおたくにいちゃんみたいに、数学のこと以外は低脳のKYかっ?!」


「KYって何ですか?……というか、映画に出てくるザッカーバーグのエピソードはかなりフィクションが混じっているみたいですよ」


 やっぱこの子おたくだ。おたくに違いない。も、絶対そうだ。


「んなことはどーでもいいのよ! と・に・か・く! ちょっと電話しなさい、もう一回! あー、携帯使わない! そこに公衆電話置いてあるから! さっさと済ませんのよ。あたしも一本電話かけたいから」


 あたしは、寮の玄関口に置かれている年代物の公衆電話を指さした。なんか疲れる。先が思いやられるなあ。

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