第6章
「ひかり、そこで高速おりて」
とっとと襲撃現場から逃げ出し、しばらく車を走らせて、高速の下り口の一つにさしかかったところで、せっちゃんが後ろから声をかけてきた。
「なんで? 車捨てて電車にでも乗り換える?」
「そ。このままじゃ目立ちすぎ」
さっきの激突で、フロント思いきりへこんでるもんね。てか、結果的に盗難車だし。
あたしは、高速を下りるとJRの最寄り駅近くの脇道に車を停めた。
「悪いけど、こっから先はあんたたちだけで行って」
エンジンを切り、車から降りようとしたとき、せっちゃんが唐突にそう言った。
「え?」
あたしが振り返ると、せっちゃんが血にまみれた手を差し出してみせた。
「さっき、うちの車が吹っ飛ばされたとき、破片が刺さっちゃって……」
よく見ると、せっちゃんのスーツの左脇がぐっしょりと濡れている。どうやら、腰のあたりから出血しているらしい。
「びょ、病院! いや、救急車呼ばないと!」
タカシくんがあわてて自分の携帯をポケットから取り出し、電話しようとするのを、せっちゃんが押しとどめた。
「んなことしたら、警官に手錠はめられて警察病院にまっしぐらよ。大丈夫、わたしの携帯のGPS情報を見て、応援の連中がすぐに来るはず。あなたたちは急いでこの場を離れて」
「どこから情報がリークしたかわかんないうちは、誰も信用できないし、うちのセーフハウスも使えない、ってことか」
あたしがそう言うと、せっちゃんは苦い薬でも飲み込んだような顔でうなずいた。
「そういうこと……」
やれやれ、孤立無援ですか。
「行くよ、天才くん」
「は、はい……」
返事はいいけど、さっきからずっと顔色が青いなあ。まあ、ちょっとショックが強すぎたか。
「ひかり……」
車を降りたあたしに、せっちゃんが後ろから声をかけた。
「なに?」
遺言とかは無しにしてよ。
「あんた、次は無線網から外す。絶対外す」
「え?」
「大声で叫びすぎ。耳死んだ」
それだけ言うと、せっちゃんは耳に指を突っ込んで、挿していたイヤホンを抜き出し、大きく息を吐いた。
自分だってぎゃあぎゃあ叫んでたじゃん。ま、そんだけ言えりゃ死にゃあしないか。さっき一瞬ホロッとして損した。
***
「ここは?」
目の前に建つ、やけに古そうな三階建ての木造家屋を見て、タカシくんは疲れた声で聞いてきた。JRから私鉄、さらにはバスと乗り継いで千葉から東京西部までやってきたんだから、疲れてもしょうがないか。お日様もかなり傾いてきてるしねえ。
「あたしんち」
あたしはそう言うと、彼の手を引いて、すたすたと玄関に入っていった。
この年季の入った建物こそ、あたしが通っている私立涼風学園の女子寮であり、あたしの現住所である「清風荘」なのだ。
涼風学園というと、都内じゃけっこう知られたお坊ちゃんお嬢ちゃん学校だ。なんせ、戦前の旧制中学の時代から私塾として存在してたっていうんだから、なんとも由緒正しい私学なんだけど、その実はというと、国が極秘で経営してるのであった。
なんせ、戦前・戦中は、陸軍中野学校に対抗して、外務省がスパイを養成するために設立、利用されてたんだとか。わざわざ私立ってことに偽装してあるのも、スパイ養成校であること隠すためのカモフラージュの一環だったんだって。
もっとも、第二次世界大戦後は旧日本軍や政府のスパイ網は崩壊、涼風学園は経営陣も職員も入れ替わり、普通の学校として運営されるようになって、実態を知ってるのは歴代の理事長以下数人くらいになっちゃった。
でも、学生運動が盛んになった一九六〇年代以降、学校内に潜入するスパイの養成が必要だってんで、またも政府の管理下に戻ったあげく、今は文科省にすべての管轄が移されて、うちら「がくはん」の管理下に入ったというわけ。
とはいえ、「がくはん」の本部は別のところにあるし、管理下にあるというのはほぼ名義上だけの話だったりする。学生運動も今は昔。結局また普通の学校に戻っちゃってたものの、極秘とはいえ国の持ち物には違いないんで、誰かが管理者になってないといけないっていうんで、たらいまわしになったあげく、うちが引き取らされたっぽい。
そんなわけで、今は単にあたしとせっちゃんのベースになってるだけなのだった。だから、「がくはん」の存在を知っている職員はごく少数で、ほとんどの職員や生徒は何も知らずにのんびり学園生活を謳歌してるんだよね。清風荘も「がくはん」の人間はあたし一人だけなのさ。
しかも、「がくはん」は基本的に最小セル単位で機密保持につとめてるから、あたしとせっちゃんの家は、あたしたち以外は室長しか知らない。逆にあたしとせっちゃんも、他の職員たちの私生活は全然知らないんだよね。
なもんで、ここにタカシくんを隠しちゃえば「がくはん」の人間にもしばらくはばれないはず。灯台もと暗し作戦とゆーわけよ。
「おばちゃーーーん!」
あたしは、タカシくんの手を引いて、一階の大半を占める食堂の中へと入っていった。
「おや、ひかりちゃん、お帰り」
食堂の奥にあるキッチンから、大山のおばちゃんが顔を出した。丸まっこい全身から人の良さと肝っ玉の太さを発散してるこのおばちゃんは、この寮の家事すべてを仕切ってる寮母さんだ。うちの寮はなんせ古い、もとい、伝統がある古式ゆかしい建物なんで、今どきの学生寮みたいに全室風呂キッチンつきオートロックのワンルームマンション仕立てなんかになってない。お風呂もトイレも食堂も共用で、朝晩の食事は一回にある大食堂でとることになってるんだなあ。
「なんだい、男の子なんか連れて。寒川さんに見つかったら叱られるよ」
おばちゃんはニコニコ笑いながら、タカシくんを上から下までためつすがめつ品定めした。寒川さんってのは、この寮の寮監さん。大山のおばちゃんとは正反対の口うるさいばあちゃんだ。
「だいじょぶだいじょぶ。この子、甘利先生の親戚だし。それより、おなかすいちゃった。なんか食べるものない?」
あたしはキッチンに一番近いテーブルの前に置かれた椅子の一つにどっかりと腰を下ろした。
「あいかわらずだねえ。まだ夕飯の時間には早いけど、昨日の唐揚げが残ってるし、あとはご飯とおみおつけでいいかい?」
「サンキュー! あ、この子にもね!」
「はいはい」
おばちゃんはてきぱきとご飯の支度を始めてくれた。これこれ。おばちゃんのご飯だけがこの寮の良いところ。いや、家賃の安さもか。
「え、いや、その……」
「遠慮しなさんな。たいしたもんは出せないけどね」
つっ立ったままうだうだ遠慮しかけたタカシくんを、おばちゃんは笑いとばした。
「何言ってんの。おばちゃんのごはんはさいこーにうまいよ」
「そんな嬉しいこと言ってくれんの、ひかりちゃんくらいだよ」
おばちゃんは、唐揚げ定食の載ったお盆を二つ、あたしが陣取っているテーブルへと運んできてくれた。おお、んまそー。
あたしがさっそく唐揚げに箸をのばしたとき、後ろから聞き慣れた足音が聞こえてきた。すたすたすたーっとくるんだ、これが。でもって、これまた聞き慣れた声が真後ろから聞こえてきた。
「真宮さん、こちらの方は?」
出た! 寒川寮監だ。
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