18 ユキのパート その6
ここは会議室。ユキと針山は席に着き、向かって正面のモニタディスプレイに会議の相手が映るのを待っていた。
「社長と話すのは初めてかな?」針山がユキに聞いた。
「はい。初めてです」
「回線がつながっても、映像は映らないよ。つながるのは音声だけだ。社長はシャイなんだ。だから、電話会議みたいな物さ。緊張しなくて大丈夫だよ」
間もなく、回線が繋がったようだった。モニタ画面に、社長の秘書らしき女性が映し出された。
「社長がお出になられます」モニタ画面の中の女性が言った。
画面は切り替わり、白の背景の中央に“地球人類研究所”のロゴマークが映る静止画に変わった。そして、音声だけが入った。
「針山くん、待たせてすまない」社長の声のようだ。
「お疲れさまです。お時間をいただき、ありがとうございます」針山がモニタ画面の静止画に向かって言った。
「針山くんの隣は、生体管理チーム主任の栗谷くんだね?」
「はい。栗谷です。よろしくお願いします」ユキは言った。どうやら、社長の映像は映らないが、こちら側の映像は届いているらしい。ユキは姿勢を正し、椅子に座りなおした。
「早速だが、報告は聞いているよ。テストプレイヤー1がアイランドに転移したままにも関わらず、研究所内で覚醒したそうだね」
「はい。そうです。」
「まずは彼の現在の状態を聞こうか」
針山がユキに目配せをした。ユキは資料を見ながら、回答した。
「はい、まずはじめに、彼の呼び名について説明させてください。覚醒した彼のことは、私達はシンと呼んでいます。現在アイランドに転移している高橋さんと区別するためです。
ここからは、アイランドに意識転移している高橋さんを、タカハシさん、そして、先日から覚醒した高橋さんをシンさんと呼びたいと思います。」
「わかりました。続けて」
「シンさんが覚醒したのは、四日前の夕方でした。ちょうど私がベッドサイドにいた時でした。覚醒後から意識はしっかりしていて、その日のうちにベッドから起き上がり、立ちあがることができました。翌日には歩くこともできています。そして、昨日からはトレッドミルで短時間走っています。
主治医も、長期間意識不明で眠っていたとは思えない回復スピードだと言っています。
そしてシンさんは、目を覚ます前の記憶を一切持っていません。自分の名前や生い立ちなど、全くの白紙の状態です。」
「なるほど。よくわかったよ。で、針山くん、どういう事なのかな。彼は何者だ?」
「すでに報告したとおり、タカハシは今もアイランドの中で過ごしています。
ですので、タカハシが記憶を無くして目を覚ましたという線は考えられません。そうであれば、今この時点でアイランドで活動しているタカハシは誰だ? という話になります。
私は今日も、アイランド内のタカハシと連絡を取り合っていまして、何も変わりなく過ごされているのを確認しています。
今からお話するのは、医師とプログラミングチームとの間で出ている仮説です。
現在、タカハシの意識は、アイランドプログラムの中に転移しています。これは、簡単に言えば、タカハシの大脳から、意識階層構造をアイランドプログラムの中にカットアンドペーストしたような状態と思ってもらえればわかりやすいかもしれません。
タカハシを元に戻すには、タカハシの大脳から切り取った意識階層構造を、再構築してやらないといけないのですが、まだ開発途上です。とはいえ、もうプログラムはほぼ完成しているのです。
それなのに元に戻す作業の実行に至っていないのは、ゼロでは無いリスクを考えての事でした。
もし失敗して、タカハシの意識を取り戻すことができなかった場合、非常に恐ろしい状況になる可能性があり、それを回避するために、検証に次ぐ検証を繰り返しているところでした」
「そうこうしている間に、シンが覚醒した、という事だな」社長が言った。
針山は話を続けた。
「そうです。まさにおっしゃるとおり、そうこうしている間にシンが覚醒しました。
ここからは、仮説の話です。
四日前に覚醒したシンは、タカハシとは別の人格です。恐らく、長い間自意識が不在となっているタカハシの大脳が、自意識を回復させようと自己修復を試みたのだ、というのがチームの見解です。
つまり、抜け殻となっている脳が、自意識が欠落しているという状態から回復するために、自ら作り出した新たな自意識が、シンではないか、と。」
「ふむ……。人間の体には、自己再生の能力があるな。皮膚が傷口を自らの力で修復していくように、脳が自意識を再生させた、ということか」
「そういうことです。仮説ではありますが、ほぼ真相だと思います。信じられない事ではありますが、それ以外に考えられませんので……」
しばらくの間、沈黙が続いた。そして再び社長が口を開いた。
「しかし、針山くん。こんな事を言いたくないが、君の支部は失敗続きだな。そもそもアイランドプログラムの中に人間の意識を放り込んだまま回収できない今の状況といい、今回のシンの件といい……。」
「申し訳ありません」針山は恐縮したような声色で謝っているが、顔は無表情のままだ。この会社の人間は、皆表情に乏しすぎて、ユキはそれが不気味に思えた。
「やはり、人間の脳というのは複雑な物だな。これほど複雑な機構を持っていて、その動作機序すら完全に掌握できない代物は、いまだかつて見た事がないよ。地球人類の研究も難しいな。なぁ針山くん」
「はい……おっしゃる通りです」
「で、今後どうするつもりなのだ。このままシンのリハビリを続けて、社会復帰でもさせるというわけにはいくまい」
「はい。次に、今後の対応策について説明させてください。さきほど、タカハシを元に戻すプログラム自体は完成している、と申し上げました。そこで、リスクコントロールの問題は確かにありますが、こうなったら出来るだけ早急にタカハシを元の世界に戻そうと思います。これ以上時間を置くわけにはいきません。」
「しかし、タカハシを戻す前に、すでにタカハシの体を使っているシンはどうするのだ? 脳が自己再生させた新たな自意識を消去する手段でもあるのか?」
「まず、システムを再起動します。そして、再起動のタイミングで、シンをレベル1モードでアイランドに送り込みます。同じタイミングで、タカハシを元に戻します。」
社長はしばらくの間、針山の言った策について考えているようだった。やがて社長が再び口を開いた。
「再起動のタイミングで、シンとタカハシを入れ替えるという事か……。出来るのか」
「理論上、可能です。というより、それしか方法が思いつきません。」
「栗谷くんはどう思う」急に社長がユキに振った
「えっ! ……私には難しいことはよくわかりません。ただ……」
「ただ、何だい」社長が聞いた。
「とても大事な話なので、タカハシさん本人と、シンさんの意見も聞かないと、と思いました」
「ふむ……確かにそうだな。ところで針山くん、タカハシは、この件について知っているのかね」社長が針山に聞いた。
「いえ、まだ知らせておりません。もちろん実行前には説明する必要があると思います。しかし、シンをこのまま社会復帰させるわけにはいかないのはもちろんの事、シンの自意識を戻ってくるタカハシのために消去する方法もありません。どう考えても、シンをアイランドに送る以外に、二人ともを助ける方法は思いつきません。」
「そのようだな……。よしわかった。実行を許可しよう。早速準備に入り給え」
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