第2章 東海道・山陽新幹線で出発進行!
第5話 東京駅発のぞみ233号
(はぁ、はぁ……。まいったなー、これじゃ遅刻だよー)
若葉は廊下を必死に走る。
その頭の中では、昨日の帰りがけに掛けられた多々良の言葉が繰り返し響く。
『今日は東京駅で終わったから、明日はその続き。のぞみ233号に乗るからね。東京発十五時ちょうどだから、遅刻厳禁よ』
正直に言うと、若葉は入部をまだ迷っている。
でも入部届は奪い取られてしまったし、なんだかんだ言って昨日の電車ゴッコも案外と楽しかったしで、そのまま入部してもいいかなと思い始めていた。
遅刻の罰で変な目に遭わされないかと不安を抱えつつも、やっと社会科室に到着。大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせると、若葉は謝りの言葉と共に戸を開く。
「ごめんなさい。お掃除当番が長引いて、遅れちゃいました……」
「遅い! 掃除と新幹線の出発時刻、どっちが大事だと思うの? あたしなんて『乗り遅れたら指定券が無効になるのよ、あんた弁償できる?』って言って、いつも見逃してもらってるわよ」
(どこにあるのよ、指定券……)
若葉は多々良に、ビシッと人差し指を突きつけられた。
壁の時計を見ると、約束の十五時から十分が過ぎている。若葉は理不尽だとは思いつつも、先輩の言葉に逆らうわけにもいかずにうつむくことしかできない。
そんな若葉を、六実の言葉が救った。
「いやいや多々良、それはあなたに何を言っても無駄って、みんなが諦めてるだけだからね。それに私たち、自由席でも余裕で座れるんだから、次の新幹線で行けばいいだけでしょ?」
「まあ、仕方ないわね。アクセントも旅のアクシデントよね」
(それ、逆だから……)
六実のフォローに助けられて、若葉はなんとか事なきを得た。
仕方なさげにため息をついた多々良は、次の新幹線を調べるために分厚い時刻表をピラピラとめくり始める。
「のぞみ233号の次だと……」
壁の時計と時刻表を見比べながら、多々良がニヤリと笑う。
そして得意げに、口調まで変えて言葉を続けた。
「諸君、我々はついているぞ。普段ならば、十五時三十分発ののぞみ45号まで待たねばならぬところだが、今日はのぞみ185号が運行中だ!」
多々良の指差した時刻表の欄を、一同が覗き込む。
すると不思議そうな表情を浮かべた阿左美が、気の抜けた声で多々良に尋ねた。
「あのぉ、多々良先輩。このダイヤ形のマークってぇ、なんですかぁ?」
若葉が時刻表を改めて見ると、確かに列車名の上にひし形のマークがついていた。
するとなにやら聞こえてくる、不気味な忍び笑い。
その主は予想通り、嬉しそうな表情を浮かべる多々良だった。
「いいところに気づいたわね、阿左美。このマークは『臨時列車』、運行日注意の印なのよ。ここを見てご覧なさい、ここに――」
「先輩、185号は十三分発なんじゃないですか? もう時間ないですよ」
「あ、でもまだ説明が……」
昨日同様、椅子を並べて作った車内へとバタバタと乗り込む四人。知識を披露する場を壊された多々良は、不満そうな膨れっ面で最後に乗り込んだ。
なんとか東京駅を出発した、のぞみ185号。二脚の椅子を反対に向けて、四人が向かい合わせに。座席反転のボックス仕様だ。
「トランプ持ってきたから、みんなでやらない?」
六実は自分のカバンからトランプを取り出すと、シャッフルを始める。
そして何やら嬉しそうな表情を浮かべて、言葉を続けた。
「四人もいるから、今日は色々できるね。今まではいっつも二人だったから、スピードばっかりだったのよ。さぁ、なにする?」
(えーっ、二人きりでもこれやってたんだ。まさか二人の関係って……、いやいや六実先輩に限ってそんな……)
トランプは多々良の提案で、無難に大富豪をチョイス。
大貧民は床に正座のルール。そしてその席は、阿左美の定位置となった。
そんな盛り上がりを見せた大富豪も、二十分ぐらいが経過したところで、さすがに一息。それを待ち構えていたかのように、すっくと若葉が席を立つ。
「すいません、ちょっと行ってきます……」
そう告げて廊下に向かおうとした若葉の腕を、多々良が引っ掴む。
その必死な形相は、まるで自殺でも引き留めるかのようだった。
「ちょっ、何してるの!? 新幹線から飛び降りるなんて、自殺でもするつもり?」
(あ、ほんとに自殺の引き留めだった)
わざわざ理由を告げるまでもないと思っていたけれど、多々良が本気で引き留めてくる以上は仕方がない。
若葉は席を立った理由を、正直に多々良に伝えた。
「いえ、ちょっとおトイレに……」
「のぞみ185号は新横浜も過ぎたのよ? もうこの先、名古屋まで止まらないわ」
トイレが退席理由として充分だと思っていた若葉は、まだまだ甘かった。
多々良がそんなぬるい理由で、この机上旅行を中断してくれるはずがない。
「そんなー、名古屋っていつ着くんですか?」
「十六時五十四分着だから、あと一時間二十分ぐらいね」
掃除当番が終わり次第、急がなくちゃと部室まで走った若葉。普段なら済ませておいたトイレを、今日に限って見送ったのが失敗だった。
「無理無理無理無理無理。そんな、漏れちゃう、漏れちゃう」
「なんなら、そこの掃除用具入れの中にあるバケツに……」
――ぱっかーん。
「新幹線なら、トイレだってついてるはずでしょ。行かせてあげなさい」
六実が後頭部を張り倒してくれたおかげで、若葉を掴んだ多々良の手が緩む。
強引に若葉はその手を振りほどくと、一心不乱にトイレに向かって駆け出した。
「六実せんぱーい、ありがとうございまーす」
(危なかった……。これから先の人生、不名誉なあだ名を背負って生きていくところだった……)
若葉がトイレから戻ると、のぞみ185号の車内では校則違反のスマホを取り出して、なにやらガヤガヤ。
そして若葉に気付いた阿左美が、手招きをしながら呼び寄せる。
「若葉さぁん、早く来ないと見逃しちゃいますよぉ」
「見逃すって何を? それより、スマホは校則違反じゃないんですか?」
若葉がそう尋ねるやいなや、得意げな解説が始まる。
当然声の主は、言うまでもなく多々良だ。
「ふふん、これはスマホであってスマホにあらず! これはのぞみ185号の窓なのよ。だから校則違反では断じてない!」
「何言ってるんですか、多々良先輩? どこをどう見てもスマホじゃないですか」
疑いの目を向ける若葉に、六実が親切に説明を補う。
補うというより、説明のし直しと言った方が正しい。なにしろ若葉には、多々良の解説は一ミリも内容が理解できなかったのだから。
「あのね、若葉ちゃん。東京を出発して四十五分、そろそろ時間的に富士山が見える頃なんだって。だからライブカメラっていう、富士山の今現在の映像をみんなで見ようって話になったの」
(それで、のぞみ185号の窓なんて言ったのか……)
昨日はいい歳をして電車ゴッコとしか思わなかったけれど、想像以上に本気な姿勢は、ゴッコの一言じゃ言い表せない。
若葉は本当に新幹線に乗って、もうすぐ富士山に差し掛かるような緊張を感じ始めていた。今しか見られない風景。その旅の思い出を目に焼き付けようと待ち構える。
そして多々良は、スマホで富士山のライブカメラのサイトにアクセスすると、車窓に見立てた社会科室の窓にそれを掲げた。
表示され始めたライブ映像を、食い入るように見つめる四人――。
「なんですか? これ」
映し出された映像は真っ白。やや灰色がかったその景色は、とてもじゃないけど富士山には見えなかった。
「真っ白ですぅ……。曇ってるみたいですねぇ、富士山」
「しょうがないね、明日また見てみる? ライブ映像」
残念な結果に沈むみんなを、六実が優しくなだめる。
けれども多々良は、その気遣いの言葉を一蹴した。
「何言ってんの、六実。あたしたちはもう静岡を過ぎて、名古屋に向かってるのよ。今見られなかったなら諦めるしかない。どうしても富士山が見たいなら、また引き返して静岡に行くしかないのよ!」
「そうですよね。見たらダメです、六実先輩。ここはグッとこらえて、いつかまた富士山の近くを通るその日まで、お楽しみにとっておきましょう」
今回ばかりは多々良の意見に賛同する若葉。
そんな若葉は、机上旅行の楽しみにどっぷりと嵌りつつあるのかもしれない……。
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